ジャワ中心主義との距離
森永:僕がガリンさんとよく話すのは、島国としての日本、島国としてのインドネシアという点です。この『サタンジャワ』も本来だったらジャワ的なものを使っていますが、例えばコスチュームデザイナーは、スマトラの素材をこの中に入れたりしています。だから僕が音楽を作る時も、あまり今のジャワに限定しないでいいと言われていました。結果的に集めたメンバーが皆ジャワの人達にはなってしまったのですが。
福島:面白いのは、ジョグジャ、ソロと他の地方の間には、言ってみれば、京都対その他、みたいな距離感があります。地方から見れば、ジョグジャ、ソロは洗練されているけど、ある種の反発もないわけではない。だからガムランなども、下手をすればそうした王宮文化中心主義の象徴になりかねない。ガムランを、もっと、ざっくばらんな使い方にするとか。
森永:結局アートの分野、現地のアーティスト達というのは、みんなソロ(国立)の芸術大学に行きたいから、そこを夢見ています。田舎に行けば行くほど、その夢というのはどんどん強くなって、ソロに行って、そこで勉強したら、私の子はすごく偉いのよとなっていたのが少し前だとしたら、今はそこを飛び越えて外国に行けてしまいます。そうなった時に、その人が帰国した時の、インドネシア音楽の文化の見方というのがどうなるのだろうという所にも僕はすごく興味があって、いつも話しています。
福島:面白いですね。要するにこのソロ、ジョグジャには伝統的なエリート層がいますが、それに対して新しいエリート層が出てくると、揉めますよね。インドネシア語は、皆が使っている言葉で、敬語も余りないし。『オペラジャワ』では、多少他の言葉も出てきますが、ほぼ全編ジャワ語で話しているじゃないですか。一つ間違えるとジャワ・ショービニスムに見えてしまう。他方、彼のフィルモグラフィを見ると、政治的、文化的なマイノリティ系を題材にして、それで物議をかもすことで逆に活性化するというか。問題はこれがジャワというテーマを持ち出した時に、監督のストレートさが上手く働くのかどうか。
森永:今回の作品を作る時に、僕はよりミニマルに人を選んでいきたいと思うのですが、彼の場合はどんどん増やします。人が増えるという事が彼にとっては多分ものすごく大事な点です。例えば『サタンジャワ』のオリジナルはそれこそガムランにシンフォニーオーケストラを入れて、何が何だか分からないけど、ごちゃごちゃにわーっとやる。多分、監督にとっては人が関わるという事が、要素を埋め尽くすという美学なのかなと思います。『オペラジャワ』もジャワのその分野の先駆者達がいっぱい参加しているじゃないですか。映画もそうですし、ガリンさんを見ていても、撮影している現場に行くと多分彼が一番生き生きしているのかなと思います。そういう人達を演出していくというのは、大変だけれど、ものすごく楽しい事だと思います。だから、いろいろな演奏家、ダンサーがいっぱいいて、それを一つのカメラのフレームの中に全部収めようというアプローチというのは彼しか出来ない事なのかなと思います。
福島:ただ、『オペラジャワ』と『サタンジャワ』だと、『オペラジャワ』は明らかに、インドネシアでは有名な人々総動員みたいですが、『サタンジャワ』というのは、その意味で言うと総動員っぽいですか?
森永:若手の人は多分総動員しているはずです。ダンスをやっている人たちはジャワでも皆知っている方たちだし、音楽に関して言えば、作曲家のラハユ・スパンガがトップにいて、いろいろな音楽を集めている。だから僕の中では、『サタンジャワ』は世代が僕と近いから、余りわっという驚きはないけれども、その分野で面白い事をしている人たちは集まっている。あと、予算が限られていたというのも多少……。
福島:下部構造的な制約があった。
森永:そうですね。
音を与え過ぎない
福島:今回、海外版のサンプルを試聴する機会があって、森永さんの仮バージョンとちょっと比較してみたのですが、海外版はガムラン色がかなり強くて、映像によるジャワ影絵芝居(ワヤン)みたいな印象をうけました。森永さんのバージョンを見ると、メリハリが全く違って面白かったです。まず海外のバージョンはお聞きになっていますか。
森永:生のライブでは聞いてないです。
福島:普通一つの映像に複数の人が別の音をつけるって余りないじゃないですか。そういう場合に、既にあるバージョンは何か制約になりますか?
森永:ないです。ガリンさんも初めに映像を渡してきた時に、音楽を聞くなと言われました。消して見てくれと言われて、でも、そう言われたら、聞いてみたくなってしまう(笑)。
福島:(笑)。では、聞いたことは聞いた?
森永:聞いたことは聞きました。でも、演奏家は全員、オリジナルの音楽を知らないと思います。この前、日本側の演奏家達に、映像を見せて演奏してもらう時、間違えて音ありのやつを出してしまったのです。何これ?、今のと全然違う、と言っていました。
福島:ある特定の映像があって、そこに音楽をつけるというのは殆ど無限の可能性がありますよね。その時にどうやってそれを絞り込むのかなというか。ぱっと見て、インスピレーションが、音楽が湧いてくる感じなのでしょうか。
森永:例えばスティオがかんざしを取り出して、壊れた鏡で自分自身を見る、その次のシーンではスティオが恋する女性の股の間でお香を焚く。僕はあそこ、すごく魔術的だと思います。自分自身を見ずして己を見たりとか、煙を使って相手や自分の気持ちを表したりとか。そこに確か、ジャワのスリン(竹製の笛)も使っていますが、スリンってもともと魔法とかを使うときに奏でられる楽器だというのをどこかで読んで、あそこのシーンで使いたいと思いました。
福島:そうすると一種の概念上の連想みたいなものがあると。
森永:まずは映像にどういった音の歴史や文化が隠されているのかをシーンごとに全部考えて、合わない時は、合わない楽器に対してどういった楽器が合うだろうという事をなるべく考えて作っています。
福島:実際にそれではめてみると、あれ?というような事も。
森永:あれ?というのが逆に合っていたりもするわけですが、スティオが刺されたあとに稲を頭にかぶって動くシーン。あそこはお客さんからしたら一番悪魔的というか、怒りのような感情が出て来ている。本来、あそこだったら、稲に関する何かの音を僕は探してきて入れたいなと思っていましたが、あそこでバニュワンギの演奏家の人たちが、「ヤス、トライアングル使うのはどうだ?」と提案してきたので、あそこの部分にはキーンキーンという音が入ってます。それは映像には合っていないけど、木というか自然物を連想させるシーンに対して、鉄っぽい響きをつけるのはすごく新しかったです。全く違う楽器を使って、あえてお客さんと多少の距離感を作っていくというのは、映画の中の歴史だったら、エンニオ・モリコーネというイタリア映画を代表する作曲家とかが昔からやっていた事だったので、取り敢えず今の段階では、このトライアングルを使ってみようと。
福島:入れてみたと。入れたら、ばっちりみたいな。
森永:でも、合わないんですよ。合わないから、少し変だなって思います。でも、映像を見ていて、あそこでかんざしを刺されて、その後、稲を使ってもがくのも変じゃないですか(笑)。
福島:元が変(笑)。
森永:そう。だから、いいんじゃないかなとか思って(笑)。
福島:逆に、例えばその場合は、映像としての稲に着目してますが、例えばもう少し深読みして、一種の当事者の心理的混乱みたいなところに焦点を当てると、そういう音楽を入れる、それもあり得るじゃないですか。内面主義的に読み替えてみたいな。
森永:それもありますよね。モチーフとして、どのモチーフを使っていくかというのはすごく大事。映画の音楽で劇版といわれるものがあって、描写するための音楽(アンダースコア)というものがあったとしたら、映された人物の内面性を表す音楽もあるし、色々な音楽がちゃんとそこにはあるべきですが、僕達がいつもふれ合っているテレビとかの音というのは、ものすごく一辺倒です。
福島:すごく、ですよね。
森永:悲しいぐらいに(笑)。
福島:さあ泣くぞ、ここで泣くぞ~みたいな感じで。
森永:ああいうのをやられると結構悲しい。そういう音が必要な所にはそういう音を使いますが、あえて過剰に情報を音から与えすぎないようにしないといけないという事はずっと心がけています。
コラボレーションとコンフリクト
福島:ここでちょっと伺いたいのは、意見の差です。特にここはもめたとか、ここはだいぶ解釈が違うというのはどうですか。
森永:僕が準備してきたベースに、ガリンさんは、ここに音入れよう、あそこに入れようという感じで色々とアイデアが出てくるから、初めの2日間のリハのとき、大丈夫かなと思っていたけど、最終的に彼が日本に来るのが公演の1日前なので、もう全ての要素は入れたから、後は森永が決めてくれという感じで投げられたから、まあ、よかったと思っています。チェックをしていく段階で、話の中でガリンさんが一番気にしていたのはプロローグでした。僕はあそこに音を一切入れていませんでした。だけど、ガリンさんはそれを聞いた時に、この作品はライブミュージックでプロローグだから何か入れたいと言う。僕もそうなのかと。確かにプロローグって本編を凝縮したものと考えれば、音楽は入れるべきだなと思って、今のバージョンには音楽を入れています。
福島:最初に入れなかった理由は何ですか。
森永:僕は、あのプロローグこそ一番映画的だと思いました。チェーンの、チャラチャラいうかすかな音であったり、オランダ兵が果物を食べている音とか、割と細かく聞き取れるのではないかと思って。
福島:まさにそういう音だけを残して、音楽は入れない。
森永:そうです。タイトルに向かっていくにつれて、少しずつ現場で鳴っていない音情報を埋め込んで、タイトルが始まるような。
福島:その方がよさそうですよ(笑)。そのバージョンでいきませんか。
森永:(笑)
福島:もう少し一般的な話をすると、コラボレーションというと格好がいいですが、コンフリクトも多いだろうと。そのコンフリクトをいかに乗り越えるのかが、コラボの質を決めると思いますが、このガリンさんのケースも含めて、それは日常茶飯事?
森永:僕はめちゃめちゃ言います。自分の関わっている担当の所じゃなくても、これもう一回やったら?とか言います。特にガリンさんの娘さん(カミラ・アンディニ監督*7 )の作品の時はめちゃめちゃ言うし、娘さんも僕にめちゃめちゃ言います。
*7世界で高い評価を得ているインドネシア期待の若手映画監督。ガリン・ヌグロホ監督の長女。
福島:信頼関係で。
森永:そう。でも、それがあるから、逆に次につながっているのかなと思います。言われたことだけをやっているのは、僕の性格上あり得ないから。
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