「ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。
シンガポール映画をとりまく環境
滝口 健(以下、滝口):今年の東京国際映画祭「CROSSCUT ASIA」部門では、東南アジア映画における映画製作における「系譜」に注目しました。地域の巨匠たちに自国の若手監督の作品を推薦するよう依頼したのですが、それに真っ先に反応してタン監督の『ポップ・アイ』を推薦してくれたのがクー監督だったのです。同様の依頼をした他の監督たちよりもはるかに早くお返事をいただきました。
カーステン・タン(以下、タン):単に、エリックはメールの返事が早いということなんじゃないでしょうか。(笑)
滝口:まず、お二人の関係から聞かせてください。お二人はどのように知り合われたのでしょうか。
エリック・クー(以下、クー):数年前に、初めてカーステンの作品を見ました。彼女のプロデューサーが送ってくれたのです。すっかり心を奪われてしまいましたね。素晴らしい才能を感じたからです。それまでに私が見てきたこの国の他の映画監督とは違う何かを持つ、新しい才能でした。その後、カーステンと実際に会う機会がありました。
タン:私はこの9年ほどニューヨークを拠点にしてきましたが、もちろんエリック・クーの名前は知っていました。私と同世代のシンガポールの映画監督は、彼の映画を見て育ったと言っても過言ではありません。ある日、突然プロデューサーを通してエリックから「会いたい」と連絡をもらいました。もちろん「イエス」と答えました。
滝口:シンガポールの映画人の間には、ある種の近しさがあるのでしょうか。
クー:そうだと思います。シンガポールは非常に小さな国なので、映画作家はお互いに助け合うことが多いのではないかと思います。映画人同士のいざこざというのはあまり見たことがありません。カーステンと私の共通の友人も多いのです。映画界に属する人、ほとんど全員がそうだと言ってもいいでしょう。
滝口:タン監督は今ニューヨークを拠点としておられますが、それでもシンガポールの映画人とのつながりは強いのですね。
タン:ええ。私はシンガポールでキャリアをスタートさせましたし、ニーアン・ポリテクニック(Ngee Ann Polytechnic)という、シンガポールの映画学校に行きましたので。どういうわけか、私と同世代の映画作家の多くはこの学校を卒業しています。例えば、『イロイロ ぬくもりの記憶』で2013年のカンヌ国際映画祭のカメラドール(新人監督賞)を受賞したアンソニー・チェンや、『Sandcastle』(2010)や『見習い』(2016)が同じくカンヌで上映されたブー・ユンファン*1 などもニーアン・ポリテクニックの卒業生です。私たちはお互いを若いころから知っていますし、それぞれの作品が映画祭に出品された時にはお互いに状況を把握してきました。ですから、同世代の映画作家はとても親しくしていると言えます。また、エリックのような豊富な経験を持つ監督がいて、アドバイスをもらうことができるのも、本当に大きな助けになっています。シンガポール映画人のコミュニティはとても小さく、結び付きが強いと感じます。
*1 ブー・ジュンフェン監督と表記されることもあります。
滝口:シンガポールの若手監督育成の状況をどのように見ていらっしゃいますか。
クー:人口500万人、しかもシンガポール国籍を持つのはそのうちの300万人に過ぎない小さな国の割には、才能ある若手作家は豊富だと言えるのではないでしょうか。短編映画のコンペティションはできるだけ多く見るようにしてきましたが、才能のあるシンガポール人映画監督はたくさんいるのです。その意味で、前に進んでいることは確かです。シリアス、コメディー、ホラーといった、タイプの異なる映画の作り手が存在することも重要です。シンガポールの映画監督は多様であり、彼らの才能がまさに開花しつつあるのだと言ってもいいのではないでしょうか。
滝口:若手の映画作家育成の主な障害は何でしょうか。
クー:シンガポールの人口がもっと多ければいいのにと思いますね! 韓国ぐらいの規模があればよいのですが。そうですね、例えば5,000万の人口で、そのうちの1,000万人が自国の文化を扱う映画を観てくれる、というくらいの規模が。残念ながら、シンガポールは小さすぎるのです。シンガポール映画、特にカーステンの作品のようなアート映画は海外に活路を求めざるを得ません。国内には十分な市場がないからです。
滝口:タン監督は、ニーアン・ポリテクニックで映画の勉強をする前に、シンガポール国立大学で学位を取得しておられます。この国で最も名門とされる高等教育機関ですね。一般論として、大学で学位を取得した直後に、技術的な技能習得を目的としディプロマを取得するポリテクニックに進学するというのはあまり普通の進路とは言えないのではないでしょうか。
タン:そうですね、普通とは言えません。私はあまり芸術の価値を認めていない家族で生まれ育ったので、映画監督になるという夢をかなえるためには長い時間がかかりました。両親は私に大学の学位を取らせたいと思っていました。しかし、当時、映画を専攻できる大学がなかったので、まずシンガポール国立大学で学位を取得し、それから映画学校に行くことにしたのです。その後、これ以上ここでは成長できないと感じる段階に達したので、ニューヨークで勉強を続けることにしました。映画監督になる道を見つけるには、少し時間がかかりました。
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