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アピチャッポン・ウィーラセタクン――『フィーバー・ルーム』から

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

『フィーバー・ルーム』のショック

佐々木 敦(以下、佐々木):昨日『フィーバー・ルーム』(2015)の初日を拝見して、いろいろと噂は聞いていたものの、非常に驚愕してしまいました。今でもまだそのショックから冷めやらぬ感じです。『フィーバー・ルーム』には、あなたのこれまでの作品のあらゆる要素が入っているような印象を受けました。まずこの作品のことから伺っていこうと思います。『フィーバー・ルーム』という作品は、どういう経緯で制作されることになったんでしょうか。

アピチャッポン・ウィーラセタクン(以下、アピチャッポン):ちょうど、私の映画の最新作『光りの墓』(2015)※英語サイト の資金集めをしていたとき、韓国・光州のアジア芸術劇場(Asian Arts Theatre)のディレクター キム・ソンヒから資金提供の話がありました。パフォーミング・アーツの作品に挑戦することがその条件でした。自分ではそれほど好きなジャンルではなく、知識もありませんでしたが、ある意味アクシデントという形で、『フィーバー・ルーム』の制作に至りました。
演劇や舞台の上の世界には不慣れでしたが、韓国で実験的な舞台作品をいくつか観る機会がありました。自分も今回こういうことに携わり、舞台上でのエネルギーを実際に感じることができました。それは観ている方ではなく、実際に舞台の上にいる方のエネルギーのことです。観客の方は受け身のエネルギーですが、舞台の上は常に動きがあるので、不安定なエネルギーだと私は感じました。いずれにしても『フィーバー・ルーム』は私にとっては映画です。シアターではないと自分では認識しています。

佐々木:『フィーバー・ルーム』のおかげで『光りの墓』が作れたという今の話は、すごく興味深いですね。それでも『フィーバー・ルーム』はあなたにしか作れない、他の人では絶対にああはならないような作品に仕上がっていると思います。その出発点が、今言われた「映画である」ということだとしても、『フィーバー・ルーム』を体験した人はみな感じることだろうと思いますが、われわれが考えているいわゆる映画というものを、いろいろな意味で超えている作品だと思うんです。制作のきっかけがアクシデントだったとしてもです。あれだけのことを実現するには、並大抵以上の努力が必要だったでしょう。どのようにアイディアを紡いでいったのでしょうか。

アピチャッポン:私にとって今回の作品を作ることは、それほど難しくありませんでした。私には自分の世界があり、そして観客の気持ちを考えるというよりは、自分が観客になって、映像や音、そして光を、観る人の気持ちになって作り上げていきました。ただ技術面には苦労しました。ですので、映像、光、音、音楽については非常に能力が高く、実力のあるタイ国内の人を選んで協力してもらいました。この分野においての実力者は、タイではまだ若い世代の方が多かったので、私の挑戦的・実験的な試みをとても快く引き受けてくれました。作っている最中も、すごくいい雰囲気で仕事を進めていくことができました。エゴを持っていない世代です。彼らとうまく仕事をやってこられたことについては、非常に運が良かったと感じています。上演毎に練り直して、少しずつ調整をしました。日本での上演も、彼らと練り合わせた結果、少しずつ変化してきています。
今回大変だったのは、サウンドトラックに関してでした。これまでの私の全プロジェクトを手がけたサウンドデザイナーが今回も参加したのですが、今までとは異なり、ふたつのスペースを使って、しかも映画館ではない会場でどのように映画を上映するかという点について混乱することもありました。でもそれも、楽しみながらできました。

インタビューに答えるアピチャッポンさんの写真

映画を拡張すること―ライブシネマ

佐々木:今の話を伺うと、もともとは光州からシアターピースを依頼され、出来上がったのが『フィーバー・ルーム』だった。出来上がった作品は、アピチャッポンさんはやはり映画だと思っているとおっしゃった。そうするとやはり、あなたの思っている映画というのは、従来の映画の定義をすごく拡張したものですよね。今言われたように、実際のところ『フィーバー・ルーム』を普通の映画館で上映するのは不可能だと思うんです。特別な環境じゃないとできない。でも今回『フィーバー・ルーム』で示されたような方向性が、あなたが映画そのものにおいて追求していきたい可能性であるということでしょうか。

アピチャッポン:そうですね。私にとっては『フィーバー・ルーム』は映画です。とは言え、あまりはっきりとしたカテゴライズはしたくないし、できないとも思います。あえて言うなら、ライブシネマです。特別なスペースが必要とされるライブシネマです。ただ、なぜ映画かというと、『フィーバー・ルーム』には映画の哲学が全て盛り込まれているからです。私にとっての映画の哲学とは、光やスペース、スケールであり、映画のエボリューション、映画に対する尊敬なども含みます。例えば最初の洞窟の中のシーンは2Dですが、それが現代までくると4Dになっています。私の中で4Dというのは、3Dに時間を足して4Dとなる。それら全て、映画の哲学だと私はとらえています。それが全部、この『フィーバー・ルーム』に入っていますので、あえて言うならライブシネマと私は位置付けています。

佐々木:先ほど、まずきっかけはアクシデンタルなものだった、それから作ること自体、発想自体はそんなに難しいことではなかった、ただそれを技術的に達成するのにいろいろな苦労があったとおっしゃいました。この作品で観客であるわれわれが驚かされた瞬間が、具体的に少なくとも2度ありました。1度目は、2枚目のスクリーンが上から降りてくる瞬間です。もともとあったスクリーンと縦に並んで、マルチプロジェクションになるところでまず驚く。2度目はレーザーが出てきて驚く。それが今言われていた、ライブシネマのライブの部分ですね。そのアイディアは、『フィーバー・ルーム』を作ることになってからいろいろ考えた上で思い付かれたのか、それとも、もともとあのようなアイディアや方法を試したいという気持ちがあって、今回その機会が訪れたのか、そこはどうでしょう。

アピチャッポン:どちらでもないんです。実はずっとやりたかったことなんですが、はっきりとした自覚がなかった。やりたかったんですけど、それが何なのかよく分からなくて、やってみて初めてそうだったと気付いたという意味です。私は今まで、映画館の中にスクリーンがあることを観客に自覚してもらいたいと思って、映画を作ってきました。スクリーンというのは平べったいもので、2Dの世界ですけれども、今回『フィーバー・ルーム』で、これを拡張することができたと感じました。ただ平べったい今までのスクリーンに加え、目に見えない距離や膨らみをスクリーンの周りに作りだすことができたと感じました。だからこの作品は、映画館の中に今まであったスペースをアクティベートすることができ、観客に作用させて、何らかの刺激を与えることができた。見えなかったものを、見えるように作り出すことができた作品であると思いました。とても抽象的ですが、分かりますか。

佐々木:分かります。『フィーバー・ルーム』に限らずアピチャッポンさんの作品は、それがインスタレーションでも、普通に映画館で上映されている映画であっても、観客に対して作用してくるという要素と、観客がその空間の中で、スクリーンに向かい合っていることがすごく強く感じられる作品です。もともとそれがあなたの映画、映像世界の大きな特徴のひとつだと思います。

インタビュー中のアピチャッポンさんと聞き手、佐々木氏の写真

光というマテリアル

アピチャッポン:そうですね。もともと私の作品は、光などのマテリアルを試験的に作りだしていくような作品が基本になっています。その内容は、自分の個人的なことや、社会的な状況を反映したり、政治的な見解を入れたりといったように、多岐にわたります。その上で、試験的に作りだしたマテリアルをどんどん使って作品を作っていきたくて、模索しているところです。これからも試し続けたいと考えています。

佐々木:まさにその光のレーザーのところですが、僕の友人が何人か昨日観たところ、やはりみな、あのレーザーのシーンに驚愕するんです。強烈な体験です。今でも僕も映像としてすごく記憶に残っているくらいです。ああいうことを実現するには、かなりのリサーチや、試験もしくは実験のようなことが必要だったのでしょうか。

アピチャッポン:実はあれは、レーザーではなくて。

佐々木:そうなんですか。

アピチャッポン:ヴィデオ。すごく強力なヴィデオプロジェクターを使って光を出しているのです。

佐々木:映像なんですね?

アピチャッポン:そうです。レーザーのテクノロジーに、私がアクセスできるわけないですよ。だからシンプルなプロジェクターを試してみたのです。タイではしっかりとその効果を試すことのできるスペースがあまりなく、結局、大学の小劇場を使って実験をしました。

佐々木:シミュレーションをしたのですね。

アピチャッポン:はい。やりました。韓国の光州でもやりましたが、ほとんど本番で試みることが多く、映像の上にグラフィックを施すという新しい試みも行いました。ほとんどライブで試しながら仕上げていったということです。

佐々木:中盤のレーザーならぬ映像の部分が始まって、あまりにもすごいので、笑ってしまったんです。笑いが込み上げてくるようなところがありました。でも別の友人の女性が、Twitterに感想をあげていて、その同じシーンで涙が込み上げてきたと書いていました。つまり全く正反対の感情を観客に催すことが、あのシーンにはあったことをすごく興味深く思いました。

アピチャッポン:私も面白いと思いました。スタッフから『フィーバー・ルーム』を観た後に泣いている人がいると聞いて、私たち全員驚きました。もしかしたら煙を使ったので「スモークアレルギーなんじゃないか」と言っていたのですが、実はそうではなくて、作品を観て泣いていると。日本はこの作品を上演する6カ国目なんです。これまで他の国では、泣いた人は全く見られなかったんです。日本だけです。

インタビューに答えるアピチャッポンさんの写真

映画の進化

佐々木:『フィーバー・ルーム』は90分間の視聴覚体験として、すごく驚異的なものになっていると思うんです。ハリウッド映画のような映画の一番メジャーなところも、映画自体がだんだんスペクタクル化していっています。2Dが3D映画になったこともそうです。先ほど4Dは3Dプラス時間だとおっしゃいましたけど、ほかにたとえば4D映画では観客席の椅子が動くなどといわれることもあります。あるいはIMAXシアターもそうです。観客が体験できるものとして映画をもっとスペクタクルにしていく方向性が、ハリウッド映画では結構多くみられます。そのきっかけのひとつが3D映画でした。今回の『フィーバー・ルーム』もそうですが、あなたがされていることはそれと似ているようでいて、でもやはり決定的に違います。そこで伺いたいのですが、そういったハリウッド映画の、つまり3Dから体験型スペクタクルへ向かっていく映画の進化について、先ほど「進化」と言われましたが、アピチャッポンさんはどういう距離感を持っているのでしょうか。

アピチャッポン:とても難しい質問です。そういったハリウッド映画と私の作品を比較してみると、昨日も友人と話したんですが、例えば私の作品はセックスで得られるような快感で、ハリウッド映画はポルノであるというような違いだと思うんです。すごく説明が難しいんですけど。私の作品は、個人と個人のコミュニケーションによって作られていくもので、個人と観ている人の間のコミュニケーションによって、知識や知的なものへの欲求と、それから自分の感情や欲望、その両方を満たすことができる作品を目指しています。その作品を観ることによって、感情的にも身体的にも、期待していたよりもさらなる快感を得ることができる。ハリウッド映画の場合は、それはもう少しポルノっぽいというのが私の印象です。そこが違いです。

佐々木:そうですね。あなたの映画は長編映画であっても、基本的にすごくパーソナルな作品です。そこが根本的に、ハリウッドなどの最初からマスに開こうとしている映画とは、ある意味真逆といってもいいと思います。
話がそれるかもしれませんが、例えばジャン=リュック・ゴダールもヴィム・ヴェンダースも、3Dで映画を撮りましたが、あなたには3Dで映画を撮るお気持ちはありませんか。

インタビュー中の佐々木氏の写真

アピチャッポン:私は3Dよりも、バーチャルリアリティ、VRのほうに興味があります。ただVRは、そのテクノロジーが開発されたばかりです。将来的にVRで作品を作っていけたらいいと思っています。映画は他人の夢を模倣しているものだと私は考えています。その夢の模倣をうまく作品で表現するために、VRは不可欠な新しいステップだととらえています。特にVRサウンドは、技術としてとても刺激的です。私が生きている間にできるようになるか、うまく使えるようになるのか、それで作品を撮る時期がくるのかは分かりません。これからは脳科学などが発達して、そのような技術が次々に生まれる時代だと思います。それを考えると、『フィーバー・ルーム』は、まだプリミティブです。古いとも感じます。とてもロマンチックで、光について語っています。

佐々木:この先もっと展開があるということですね?

アピチャッポン:もちろんです。

広がるイメージ

佐々木:先ほどの話についてもう少し抽象的な聞き方をします。あれは映像であった、プロジェクターから映写されているというお話でしたが、あなたの作品はこれ以外に、例えば、『ナブアの亡霊』(2009)※英語サイト でも、途中から野外で映画が上映されていますね。そのスクリーンが燃え落ちて、スクリーンの向こう側にある映写機の光源がこちら側に、つまり観客のほうに向かってくる場面があります。今回『フィーバー・ルーム』でも、非常に強い光源が移動しながら、観客の視界に入ってくるシーンが幾つもあり、これはまさにアピチャッポンさんの映画の特徴だと思いました。映画はテクノロジーなので、どんどん進化して、先ほどおっしゃっていたVRまで行っているくらいです。でももう一方で、なにかそういう映画的な、もっとプリミティブなものに触れているところが、あなたの作品にはあります。映写機の光源と星とか太陽とかの光との区別があまりつかないというか、それが同じようなものとして、扱われているという印象を受けます。一方にはすごくハイテクなものがあり、もう一方には本当に原始的なものがある。そのふたつがひとつの作品の中で、両極として存在しているという印象を受けます。

アピチャッポン:そうですね。私は流動性というものに非常に興味があります。映画にはそもそもイメージから出てくるものが多いと思うんです。例えば、私の映画の中でスモークは煙であることもあるし、観客によっては雲にもなります。ライトも照明として使っているときもあれば、月の光になることもあり、観ている人が自由にイメージを広げることができます。

佐々木:それはつまり、最初からアピチャッポンさんの頭の中に、イメージの広がりやその可能性があって、それを実際の映像にしていくという作業をしているということなんですか。

アピチャッポン:イメージの広がりはありますが、その見え方を提示したり決めることはしたくないんです。ただその広がるイメージがあり、それを作品にとり入れることで、観る人によっていろいろな観方ができればいいんです。そういう形でイメージは持っています。

アピチャッポン・ウィーラセタクンと佐々木敦
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