LGBTの社会的位置
島田:同性愛は、イスラム教では明確に禁じられていますか?
パン:ええと、大多数のイスラム教徒は、同性愛がイスラム教に反するというより、イスラム教が同性愛に反する、と信じています。でも、私が非常に面白いと思うのは、当局や政治家が、同性愛を「間違い」とするためにどれだけいろんな話法や論理を駆使するか、という点です。たとえば、確か当時事実上の法務大臣だったナズリ・アブドゥル・アズィズは、憲法にはイスラム教がマレーシア連邦の「公式な」宗教であると規定した条項が含まれているので、同性愛は憲法違反であると主張したんです。
人々は、憲法の起草者はイスラム教を式典のための宗教、つまり「象徴的な」宗教と意図したのであって、正確な意味ではこの国はイスラム国家ではないと信じています。それは、マレーシアは政教分離国家であると憲法で述べているからです。ですが、憲法はイスラム教は連邦の宗教であるとも述べているため、イスラム教の位置づけが非常に曖昧になっており、私の考えでは、この非常に曖昧な点こそが、多くの人にマレーシアはイスラム国家であると「憲法が述べている」と理解(あるいは誤解)をさせてきたのです。
そのため、この大臣は、憲法がイスラム教は連邦の宗教であると述べており、またもしイスラム教が同性愛に反対の立場であれば、同性愛は憲法違反になるはずであると主張しました。しかしこの理屈は、特定の文章を非論理的に解釈したものです。その理屈が正しいなら、豚肉を食べること、アルコールを飲む事、そして婚前の性交渉もまた、憲法違反になるわけですから。しかしそれは事実に反します。マレーシアでは、イスラム教徒以外の人々は、自由に豚肉を食べられるし、アルコールを飲む事も、婚前の性交渉を持つことも出来るんです。ですから彼らの理屈は通りません。
島田:確かに。
パン:でしょう?でも、さらに面白いのは、多くのマレーシア人が自分の権利に気づき始めてきたため、いかに政治家が「憲法」だの「言論の自由」だのといった言葉の使用を余儀なくされているかという点です。これは、当局にとっても同じ事です。彼らは憲法の意味を理解しようと本当に悩んでいるわけではなく、単に彼ら自身が不道徳であると考えていることについて、関心があるだけなのです。
昨日、というかもう一昨日ですか、JAKIMという全国的な宗教的権威団体がビデオをリリースしました。私はまだ見ていないんですが、おそらくそのビデオは数週間前に彼らが出版した文書に基づいたものではないかと思います。この文書の中で彼らは異性愛を推奨しており、LGBTのイスラム教徒に対し、ストレート(=異性愛者)になるよう説いています。その文書全体を通して、人々を罰するべきではなく、納得させるべきだ、という議論が展開されていた点で、彼らの戦略は非常に興味深いものでした。いわく、私達は彼らを説得するべきである、もし彼らが道を「誤って」いるなら、私たちは彼らが「正しい」側にいる私たちに加わるチャンスを与えるべきである、と。
JAKIMが使う論法が、あと2つあります。これも非常に興味深い。1つは、もしそれが「ナチュラル」なものであるなら、つまり、もしあなたが「生まれつき」のゲイであるなら、あなたはアッラーの神に試されているのである、というものです。神はあなたにこの試練、重荷を克服するべく与えたのである。そしてもしあなたがこの試練を乗り越えるなら報われるであろう、と。もう1つは、彼らがLGBTの権利を捻じ曲げて用いるレトリックです。それは、ゲイであることを望まない人々は、「矯正」を追求する権利を有するべきであるというもの。つまり、彼らJAKIMが基本的に述べているのは、もしあなたが望むならあなたにはゲイでいる権利がある、ということです。もし、ゲイであることを望まない権利があると言うのなら、すなわちゲイである事を(本人が)受け入れる権利もあると言うべきです。この逆転の発想には、驚かされると思いませんか。私は、彼らに対して「みなさんは私たちにはゲイでいる権利があると言いましたね。だったら、私たちを逮捕するのをやめてくれませんか?」と言ってはどうだろうかと考えています。
島田:なるほど。
パン:彼らの議論がどんなに「理解に満ち」、あるいは「同情的」に見えたとしても、LGBTを逮捕することができる、と書かれた法律がいまだに存在する以上、彼らの議論は単に偽善的なものに過ぎません。彼らがLGBTに対して偏見を持っている限り、彼らは法律や「社会的通念」として受け入れられるものなら何でも利用して、彼らの議論を正当化する方法を見出すことでしょう。
国や文化に関する社会的通念は、非常にうまく構成されており、また多くの層をなしているため、その層の一枚を剥ぎ取ったとしても、他の層は残っており、剥ぎ取られた層を補填するんです。ナショナリズム、資本主義、家父長制、封建制など――これらのすべてが非常に巧みに相互補完的な構造を作っているため、もしその一つを取り除いたとしても、その他の要素が補完しあい、強度は増すばかり。この強力な相互補完構造に立ち向かうのは、とても困難なことです。
最近、私は「生まれつきのゲイである」という議論が気に入りません。自分に選択の余地が無いかのように聞こえますし、もしゲイであることが選択肢であったなら、私はそれを選択しなかっただろう、ゲイであることはマイナスの選択である、とも示唆しているからです。もしゲイであることが本当にマイナスの選択であるなら、じゃあ私は何のために戦っているのだろう?なぜ私はゲイの権利を守ろうとしているんだろう?と考えてしまいます。
重要な議論は、ゲイであることが選択の結果かどうかではなく、私がそれを選択したかどうかにかかわらず、ゲイであることは間違ったことではないという点です。誰も傷つけず、その関係が「同意した」二人の大人の間のことである限り、同性愛は悪いことではありません。
アート・フォー・グラブズについて
島田:アート・フォー・グラブズについて少し聞かせて下さい。
パン:アート・フォー・グラブズは、私がアネックス・ギャラリーで働いている間に始まりました。最初のうちは、単なるアート・バザールでした。ギャラリーにはたくさんのアーティストとお客さんが来ますが、殆どの作品は非常に高くて、裕福でなければ手が届かない……というのが着想点です。そのうち、創作意欲にあふれる多くの若いアーティストと、作品がほしいと思っているたくさんの人たちが居る事に気づきました。そこで私たちがやった事は、そのふたつの集団を集めて、アーティストやクラフト作家のためのバザールを作り出したんです。
パン:私にとって大事なのは、アート・フォー・グラブズは、アクティヴィズムの一つの形でもある、ということです。私たちは女性の権利、動物の保護など、テーマ別のブースをたくさん設けています。以前はベルセのブースさえあって、いつも協力し合っていました。現在模索しているのは、女性の権利や難民問題といった、特定の活動テーマを掲げる組織との協働体制です。これがうまくいけば、アートに関心を持つ層、人権に関心を持つ層、二つの層の来場者を獲得できて、それまで無かったような新しい交流が生まれます。
島田:アート・フォー・グラブズを運営していくうえでの課題は何ですか。
パン: お金です(笑)。資金調達は、常に課題です。
島田:NGOがブースを設置する際、ブース料を請求しますか?
パン:場合によります。経済的に余裕のあるNGOには請求しますが、そうでない場合は無料です。主催者が無償提供するブースは、常に用意していますよ。アート・フォー・グラブズで私が本当にわくわくするのは、ステージのプログラムです。このステージ・プログラムのラインナップを考えるのに一番時間を使っていますね。
島田:会場は?
パン:あちこち動き回ります。ジャヤ・ワン(セランゴール州ペタリン・ジャヤの小さなショッピング・モール)でもやりましたし、クアラルンプールのパブリカというショッピング・モールでも時々開催しています。基本的に、私達にやらせてくれるというなら、どこでも行きますよ。
島田:会場を変えるのは意図的ですか?それとも、たまたまそうなっているだけ?
パン:意図的です。動き回るのが好きなんです。
島田:どうしてですか?
パン:私たちの企画を様々な場所に持ち込んだり、資本主義的なスペースであるショッピング・モールを「占拠」したり、というアイディアが気に入っているんです。それは多分、私の社会主義者的側面でしょうね。でも一方で、競争の無いアート・バザールを広めたいという思いもあります。私達は多くの利益を得ようと競争する場がマーケットだと考えがちですが、私は、このバザールが協働のためのスペースになれば良いと考えています。さらに重要な事は、社会的政治的な問題について、賛成の立場であれ反対の立場であれ、自由に話し合えるプラットフォームを作ろうとしているんです。
島田:アート・フォー・グラブズを企画する頻度は?
パン:年4回、3ヶ月ごとです。
島田:ブースの数の平均は?
パン:立ち上げ当初は大体40から50だったと思います。それから60から70くらいに増え、最近では大体90くらいだと思います。
島田:立ち上げ当初の倍以上?
パン:ええ。大体80から90くらいです。最近は、いつも90以上ですね。100以上になったこともありました。
島田:これまでに何回アート・フォー・グラブズを開催しましたか?
パン:2、3回延期したことがありましたが、大体30回くらいは開催したと思います。実は今年(2017年)は、10周年記念の年なんです。最近では、大体6,000人から8,000人の来場者があります。一万人以上の来場者があった回もありました。それは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と協働した際、難民危機の問題を扱う事にしたんですが、イベント開催の1ヶ月前にマレーシア政府が、ランカウイ島に到着したミャンマー難民の受け入れを拒否した、という大ニュースが流れたためです。
島田:ミャンマー南西部の少数民族のことですね?
パン:はい、ロヒンギャ族の人々です。彼らは島の海岸に到達していましたが、マレーシア政府は最初、彼らの上陸を許可しなかったんです。これに対して、一般市民が激怒しました。難民たちは上陸を許可されず船にいて、飢え死に寸前だったからです。結局、政府は入国を許可し人々は救援に駆けつけました。私達は偶然にもマレーシアで難民問題が発生したその月に、難民をテーマとしたアート・フォー・グラブズを準備していたというわけです。実際に会場に多くの難民に来てもらったことで注目を集め、慈善活動としても成功したと思います。
島田:ミャンマー以外ではどこからの難民がマレーシアに入って来ますか?
パン:戦争のため、多数の難民がミャンマーやイラクからやって来ていると思います。アフガニスタンやソマリアからの難民もいます。
島田:彼らが目的地としてマレーシアを選ぶ理由は何だと思いますか?
パン:まったくわかりません。もしかしたら、”Malaysia truly Asia”*8 (マレーシアには真のアジアがある)キャンペーンを見たのかもしれません。観光キャンペーンというのは、戦争も、その他どんな問題もここにはないみたいに聞こえるでしょ? でも、もし私が尋ねられたら、マレーシアには来ない方がいいですよ、坂から転がり落ちている最中だから、と言うでしょうね。でも本当に絶望している人にとっては、国を離れる事さえ出来るなら、どこに向かうかはどうでもいいのかもしれません。マレーシアは人身売買の温床なので、その意味でも来る事は勧めませんけど。
*8 マレーシア政府観光局が広告キャンペーンに使ったキャッチコピー。
島田:なるほど。パンさんの主な活動がセクシュアリティ・ムルデカとアート・フォー・グラブズだとすると、どうやって生計を立てているんですか?
パン:生計は立ってないですよ。パトロンが現れるのを待ってるんです(笑)。残念ながら、セクシュアリティ・ムルデカでは、生活費は稼げていません。他の人のための資金調達なら得意なんですが、自分のための資金調達はあまり上手くないんです(笑)。それに、私がスポンサーシップに関する話題を持ち出そうとするたびに、相手は「資金に余裕がない」とか「マレーシアは被援助国ではない」といった言い訳を返してきます。
私達が国連のような国際的組織からの資金援助を受けたいと思っても、そうした組織は相手国政府と協働する必要があるので、私達の活動テーマは政府が公認しているテーマである必要があります。しかし私達が取り組むテーマは、政府によって「国家的な」課題としては認めてもらえません。だから、私達は国連のような機関から支援を得ることが困難なんです。そのため私たちの収入源は、アート・フォー・グラブズへの少々のスポンサーシップと、バザール開催の際に集めるブース用スペースの借料だけです。
島田:このウェブサイトの読者に、マレーシア・キニ(malaysiakini)に掲載されたあなたのインタビューを読むよう薦めたいと思います。あれは、とても良いインタビューでしたね。
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