坂口恭平さんとのプロジェクト
小倉:坂口恭平さんとは著作を翻訳されたり、プロジェクトを行ったりされていますね。韓国でのプロジェクトは、どのようなものでしたか。
コ:「モバイルハウス@ソウル」が初めて一緒にやった企画です。2011年のTPAMの中村茜さんのディレクションで坂口さんのことを知り、ヴィジティング・フェローで来たときに直接彼に会い、話を聞き、活動を見ました。これはぜひソウルでやりたいと当時のマージナル・シアター・フェスティバル*7 のディレクターだったイム・インザさんに提案し、行うことになりました。そのときは会社をそれほど早く辞めるとは思わず、休みを取りながら活動しようと思っていましたが、結局、これがインディペンデント・プロデューサーとしてのデビュー作になりました。坂口さんとソウルの人たちがワークショップを経て、一戸のモバイルハウスを創りました。そこに1週間ほど滞在し、期間中にフォーラムも行いました。この「モバイルハウス@ソウル」がとても評判が良く、別のフェスティバルから「今度はタウンを作ってください」とオファーがありました。計画を進めていたのですが、坂口さんが体調を崩し韓国に来ることができなくなりました。そこでやむを得ず私のプラン・企画でタウンを作りました。モバイルハウスの市民ワークショップに参加していた人を集めて、それぞれ自分の家を設計して作ることにしました。6つの家が作られ、そこに必要なシェア食卓、シェア工房なども作りました。次に依頼があった時には、さらに広げて、フェスティバルの期間中のみ存在する国、独立国家を作ろうとなりました。坂口さんの著作『独立国家のつくり方』からモチーフを得て、韓国のアーティストやオーガナイザーを集めて計画したのが2014年です。その直前にセウォル号の事件があり、プロジェクトは中止になりました。
*7 韓国ではソウル・ビョンバン演劇祭と呼ばれ、ビョンバンとはメインストリームから離れている周辺を意味する。演劇を中心として実験的な作品やアーティストの発掘に力を入れている。
小倉:光州のアジア芸術劇場のオープニングプログラムのひとつでも実施されていましたよね。
コ:はい。その後キム・ソンヒさんから坂口さんのプロジェクトの拡大版を光州で行わないかと聞かれて、実はこのようなプランを持っていたと話すと、それを行うことになりました。光州には坂口さんも来ることができ、形式や内容は変わりつつ、4つほどのプロジェクトが2012年から2015年まで続きました。
小倉:坂口さんの著作、『独立国家のつくりかた』も訳されていますね。
コ:「モバイルハウス」プロジェクトを行う際、意識的に演劇以外の協力団体と組んでいました。そのひとつがアートスペースを持っている出版社でした。そこの人たちが坂口さんのトークを聞いて面白がってくれ、彼の本を訳してくれないかと。そして、『独立国家のつくりかた』を訳し、出版されました。
小倉:ワークショップに参加した地域の人たち、シティーファームを行っている人、アートスペースや出版社など、コさんの企画が核になり、いろいろな人を結びつけていますね。
コ:それがいつも面白いなと思います。アートのフィールドでも違うジャンルの人と協力することができ、アートの枠の外の人たちと繋がるときが、一番この仕事にやりがいを感じます。
韓国のアーティストを日本に紹介、TPAMディレクション2016、2018
小倉:韓国のアーティストをTPAMディレクション、KYOTO EXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)、さいたまトリエンナーレなどで日本に紹介されています。それぞれのフェスティバルが持っている方向性もあると思いますが、コさん自身が何か考えていることはありますか。
コ:TPAMディレクションは、5年かけて3回のディレクションを行っています。2年に1回です。ほかの人は続けてやっていますが、私には落ち着いて考える時間が必要だったと思います。待ってくれたTPAMには本当に感謝しています。個人としても、プロデューサーとしても、TPAMディレクションは2年ごとに自身の活動や関心の方向性をまとめるチャンスだったと思います。プロデューサーの役割として何を行えばいいか、何ができるのかについて、限界も分かってきました。2016年の1回目はまず、自分が面白いと思っている韓国のアーティストを紹介しました。
小倉:次の2018年は、プロデューサーとしての存在や女性として生きることなど、いろいろと悩んでいることが滲み出ているディレクションだと思いました。ク・ジャヘ×シアター、ディフィニトリー『BankART Studio NYK kawamata Hall』はとても印象的でした。話題の映画『パラサイト 半地下の家族』は、半地下に住んでいる人たちのお話ですが、この作品の主人公の彼女は確か屋上の家(韓国で屋塔房(オッタッパン)と呼ばれる家)を借りていました。
コ:韓国の貧乏の象徴です。屋上に住むか、半地下に住むかです。
小倉:その屋上の家も追い出されて、ネコ好きの友達の家に転がり込む…どうして、そんな経済的・社会的状況、大変な思いをしても舞台を続けるのか。コさんの問題意識や考えていることが、この作品とサイレン・ウニョン・チョン『変則のファンタジー_日本版』の二作品のディレクションに出ていたと思いました。サイレンさんの作品は、TPAMでは日本のゲイコーラスの皆さんが出演し、その後、韓国の伝説的なゲイコーラスグループG-Voiceが出演した『変則のファンタジー_韓国版』が2019年のKYOTO EXPERIMENTで上演されました。サイレンさんとの仕事は、どのように始まったのですか。
コ:最初は、2014年のTPAMでの『(Off)Stage/Masterclass』のコーディネーターを依頼されて、初めて仕事をするようになりました。そのときにいろいろと話したのですが、サイレンさんと私は同じ大学で、ほぼ同じ時期に大学時代を送っていて、共通するところがあることがわかりました。のちに『変則のファンタジー』となる新作構想の段階では、彼女はもともと舞台芸術の人ではなかったこともあり、具体的には何を行いたいかはっきりしませんでしたが、サイレンさんがずっと追ってきた女性国劇と、G-Voiceを一緒にひとつの舞台にしたい、それを通じて既存のジェンダー規範に問いを投げる作品にしたいという気持ちはありました。そこからスタートした感じです。
小倉:サイレンさんやG-Voiceとの出会いから、フェミニズムやLGBTQなどの問題に関心が生まれたのですか。
コ:もともとです。大学生のときにそのような思想に触れ活動も行っていました。演劇サークルで、LGBTQを扱った作品を自分で書いて上演したこともありました。ですので、自分の興味の土台、考えの中心にありました。しかし長く公の組織の仕事に就いており、自分の考えを出す機会や必要がありませんでした。ク・ジャヘ×シアター、ディフィニトリーの作品とサイレンさんに出会ってから、やっとそれらの問題意識を自分のディレクション、プロデュース作品の中で表現できるようになったという感じです。
小倉:近い方向性、興味を持っているアーティストにいいタイミングで出会ったんですね。TPAMディレクションの今年のプロジェクトについては後ほど聞きますね。