音について
何日か前、急に病気になったぼくには、新しくふたつの習慣ができた。ひとつ目は死の音を数えることで、ふたつ目は眠ること、正確には、見たいように夢を見ながら眠ることだ。ともかく、夢を見るときにぼくの目は見えて、望むことはなんでもできる。そんな能力がどこからきたのかは知らない。でも、なんだっていい。束の間の幸せにひたることができるのだから。
死というのがどういうものなのか、ぼくは見たことがない——でも、聴いたことがある。
急に目が見えなくなり、何週間かして父さんが亡くなったとき、ぼくは6歳だった。初めて、ぼくは死というものを聴いた。聞こえてきたのはただただ、すすり泣く声の音だった。今、毎日聞こえてくる死の音、それは泣き声とはちがっている——モスクを世話している人びとの声、遺体を乗せて墓地に向かうワゴン車のサイレン、そういう音だ。
今日は17の死の音を聴いた。4つはモスクからで、あとは大通りから。それは、何か月か前に役場が造って今はもう一杯らしい墓地に続く一本道だった。モスクや大通りはぼくたちの家からとても近いと、母さんは言っていた。
「それはね、父さんはもう、神様のところにいるということ。お呼びがあったから行ったということよ」と聞かされて、ぼくもそう信じていた。何があったの、どうして父さんは死んでしまったの、と訊くたびに母さんはそう答えていたからだ。はじめはまわりの友だちに、父さんが死んだのは目の見えない子どもが恥ずかしかったせいだと囃し立てられて、胸やらまぶたやらが熱くなっていた。でも、そんなことは信じなくなった。
「父さんはね、神様の言いつけを守ったの。神さまに呼びだされたから行ったのよ」
うん、うん、とぼくはうなずいた。神さまと会うために父さんは人びとに送り出されたばかりで、あとになってぼくはそれが埋葬というもので、土の中に埋めることなのを知った。いつかの休日、ぼくたちの家からそう遠くない浜辺の砂の中に、父さんのビーチサンダルを埋めて隠したときのようなことなのだ、と。ぼくの人生に何度でも戻ってきてほしい、あの一日。
「だからこれからは、あなたも母さんの言いつけをちゃんと守るの。父さんがそうしたみたいに」ぼくはまた、うん、うんとうなずいた。それから不意に訊ねた——もし会いたくなったら、父さんのところに行っていいの、神さまもいるのかな。「お呼びだしがなければ、行くことはできないのよ」ぼくはまたうなずいた。その日から、ぼくは待っていた。でも、まだ一度もお呼びだしはない。
「わたしが、見えるのか」
「だって、夢の中だもの」と、ぼくは父さんに言った。
「本当に、久しぶりだ。お前たち、どうしていたかい」
「なんとかやっているよ、健康で丈夫な体でやっているかということなら。お金のことなら、そうじゃないけど」
「坊や、父さんを許しておくれ」
ぼくは父さんに謝ってほしくなかった。神さまに従った父さんにはなんの落ち度もないのだ。だからぼくは口を閉じ、ぐっと目をつぶって夢の中のその部分を訂正し、父さんの言葉を変えた。もう謝ったりしないかわりに父さんは言った——すべて過ぎてゆくよ、だから、お前たちは大丈夫だ。家計のことを話すときの母さんの口からは聞きたくても聞くことなどできない言葉を、ぼくは父さんに言わせた。あとで目が覚めて、何ひとつ大丈夫じゃないことに気がつくのだけれど。
父さんが逝ってすべてが変わった。ぼくたちは家を売ってそれまでより小さな家を買い、残ったお金で暮らしをつないだ。それで、今の家に越してきたのだ。モスクから声が聞こえると落ち着くからと、ここを選んだのは母さんだった。それに、通りからも外れていない。母さんは菓子か揚げたスナックを売るつもりでいた。「あとは資金。わざわざ道路端まで屋台を引いていかなくてもいい場所だもの」と、母さんは言った。もちろんぼくには本当の理由が、乗り合いタクシーを待つ道路端までぼくがそれほど歩かずに済むからなのがわかっていた。
ところが、父さんの死がそうだったように、突然多くのことが起こりはじめた。母さんの部屋のテレビが死者の数を報じる声が日に日に増えた。同じようにモスクからも、近所の人びとの訃報が毎日のように聞こえてきて、母さんはぼくが出かけていくことをそれまで以上に禁じるようになった。
「どこもかしこもウイルスだらけなのよ。あなたがマスクをしていても、まわりの人はどうだか。その人たちがマスクをしているかどうか、あなたにはわからないわ」
それが主な理由だった。
「パンデミックが起きてからは、道路を渡るのを助けてくれたり、話しかけてくれたり、進むのに方角を教えてくれたりする人たちが少なくなったのは、ぼくも感じているよ」と、母さんの言い分をなぞりながらも、ぼくは言い返した。「だけど、ぼくは何十年もこのまんまだ。もう慣れているし、ひとりでなんとかするよ」
それを聞いて、母さんがどんな顔になったか、ぼくにはわからない。きっと悲しい思いだったろう、でも、ぼくには母さんの悲しんでいる顔の記憶がなかった。父さんが亡くなったときにぼくの目が見えていたら、悲しいときの母さんの表情を知っていたのかもしれない。でもいいさ、もしそうだったら、母さんのことを考えるたびに悲しげな顔ばかり思い浮べていたはずだ。
その空間にいるのは、すべてぼく。たくさんのぼくがいる——浜辺の砂で遊んでいるぼく、杖を持たず、母さんの補助もなしで道路を渡っているぼく、そして、いろんな状況の中にいる、そのほか大勢のぼく。それぞれ年齢も着ているものも同じではなかったけど、彼らはみんな、ぼくだった。
「いままでで、いちばんたのしいおやすみだよ」子どものぼくが、砂を掘って作った穴に、ビーチサンダルをうずめながら言った。5歳くらい年上の別のぼくが、今しがた聞いたことをあざけるように「お前には、どうせ最初で最後のおやすみだろうから」と言った。
夢の外の遠いところから見ていたぼくは、その言いぐさが気に入らなかった。ぐっと目をつぶると、場面は砂遊びする子どものところに戻り、5歳上のぼくは夢から消えた。それはどうやら、学校で卒業前のお別れ遠足に参加するのを先生に許してもらえなかったぼくのようだった。危ないし、きっと厄介なことになるだろうと、そのとき先生は言ったのだ。
ぼくのひとりが消えると、もうひとりのぼくが、埋めたビーチサンダルの上に夢中で砂山を作っているぼくに近づいてきた。今度のぼくはもっと大きくて背が高く、白と灰色の制服姿だった。腰をかがめると、両手で砂を掬うしぐさをした、でも次の動きの前に、遠くのぼくは慌ててぎゅっと目をつぶってその場面を消し、彼がやってきたところに戻した。彼はしゃがんで、目の前の子に向かって言った。
「大きくなったら高校に入学するだろう、たくさんの友だちができるよ。最初の日に、お前が学校から帰って話したことを聞いて母さんが泣いたって、気にしないことだ。上級生にからかわれて、掬った砂で顔を洗うはめになったことさ、乾いた猫の糞が混ざっていたのだって、お前には見えなかった」
「そんなことがあったら、とうさんはおこるかな」
子どものぼくが訊ねた。高校生のぼくが答える前にぼくは自分が聞きたい言葉を準備した、こんな風に——父さんは怒ったりしないよ、心が広いからね。それに、そんなことははじめからなかっただろう?
「なかっただろう?」遠くにいるほかのぼくが叫んだ。
さらにほかのぼくがそれに返した「なかっただろう?」
「なかっただろう?」「なかっただろう?」
その問いかけはこだまのように響いて、何百というぼくがその空間にいた。
こだまは次第に激しさを増して、遠くで見ていたぼくはますます苦しくなって、ついにぼくはその夢を中断しなくてはならなかった。無理もない、目が覚めたとき携帯電話の音声は6時を18分過ぎているのを告げた。
数か月前に仕事をクビになってから、ぼくは自分の体調がいつもどおりではないのを感じていた。母さんのことばかりが頭に浮かび、前触れもなく悲しいという気持ちが起きた。
あらゆることが、ひどいほうに向かっている。これまでぼくらは父さんの年金に、ぼくがコンテンツライターとして仕事をして得た収入を足すことで暮らしていた。その扉はもう閉ざされてしまった。最後3か月分の給料も未払いのままだった。
このあいだ、母さんには内緒で、辞めた職場に乗り合いタクシーで残りの給料を取りに行った。だが突き付けられたのはぼくを打ちのめす現実だった——建物の賃料が支払えず、オフィスは閉鎖していたのだ。「かれこれ2週間になるかねえ」と、道路を渡り、家に帰る乗り合いタクシーを拾うのを助けてくれた駐車場の警備係は言った。
「考えすぎてはだめよ」と母さんは言った。「考えすぎは病気をもたらすの」
それは、そのとおりだろう。でも、何か月かはしのげると思っていた望みがビタ一文支払われないまま消え失せてしまったことを、どうすれば考えずにいられるのだろう。
「大丈夫だよ、母さん。ちゃんと払ってくれるそうだから」と、ぼくはうそをついた。
「父さんの年金だってあるわ」
それが十分でないのはわかっていた。月々の飲料水と電気代を払ったら、ほとんど何も残らない。
「なんとかやっていけるわよ、元気だったら、それで十分」
眠れないほど考え込んでいたせいで病気になったのは、それから何日かあとだ。床に伏して、眠っている間にぼくは、どんな夢を見たいか、どんな場面が好きか、夢を終わらせたいときはどこで目を覚ますか、コントロールできるようになっていた。
心の奥底で、ぼくは小さな勝利を喜んでいる、唇が笑いでほころびそうなのを、ぼくはじっと我慢している。
もし笑ってしまったら、ぼくのいたずらに父さんが気づいてしまう、父さんのビーチサンダルを砂に埋めて隠したぼくの仕業が水の泡だ。
彼ら、つまり父さんと母さん、正確に言うとぼくたち3人は、ずっと前からこの日のことを計画していた。お前が学校に入る前にどこかに行こう、どこだっていいぞ、お前の好きなところへ連れて行ってやろう、あのとき父さんはそう言って、ぼくは浜辺を選んだ。
「海に入って遊ぼうか」
父さんが、ぼくに向かって叫んでいた。
「それとも、飲み物かおやつにしようか」
たしかに砂浜には、食べ物や飲み物を売るスタンドがたくさん並んでいた。
あのとき、両方とも拒んだことがぼくは心残りだったので、この夢の中で、ぼくはぎゅっと目をつぶって、父さんがぼくに向かって叫んでいるところに場面を戻した。
「あそびたい、あそびたい」ぼくは浮き輪を持っている父さんのところに駆け寄る。
「ぼく、おやつやのみものもほしい」走りながらぼくは言う。
「あとでね。さきに父さんと遊んでいらっしゃい」と母さんが言う。
父さんはぼくを捕まえるとそのまま抱きかかえて沖のほうにずんずん行く。それからぼくを浮き輪に乗せて、みぎ、ひだり、と水の上をゆすって動かす。もちろん、父さんの腰ほどの深さしかない水際だ。何分過ぎただろう、そんな風にしてぼくたちが笑っているうちに大きな波がやってきて、浮き輪がひっくり返った。ぼくは水中に落ちて水を飲み、父さんはぼくを引っ張り上げて砂浜に座らせる。ぼくは楽しくてけらけらと笑う、父さんと母さんも。
もう一回、もう一回、とぼくはねだる。ところが、何か耳におかしな感覚があった。
ひどく耳鳴りがする、水でも入ったのか。
ぼくは、秒刻みに大きくなるワゴン車のサイレンを聞いている、モスクから響いているお知らせの声と。そんな音がぼくの夢の中にあるのなんて、もちろんごめんだ。ぼくは死者の数を告げるモスクの声や墓地に向かうワゴン車の数なんか数えちゃいない、ともかく、ぼくは耳鳴りの場面なんてまっぴらだ。
まっぴらだから、ぼくはそれを消去しようとしてぐっと目をつぶり、みぎ、ひだりと、父さんに浮き輪ごとゆすってもらっている場面に戻そうとする、だがおかしなことに、夢の場面が今度は変わらない。変わらないまま、サイレンとモスクからの音が、一段と大きく聞こえてくる。
ゴワにて、2021年