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東南アジア文学のこれから―書き手と読み手をつなぐ(前編)

Roundtable talk / アジア文芸プロジェクト“YOMU”

東南アジア文学はどう紹介されてきたか

福冨渉(以下、福冨):本日モデレーターを務めます福冨です。まずは僕から、日本における東南アジア文学の出版事情やその歴史的な背景を、簡単にお話ししたいと思います。

僕は、東南アジアの文学を日本語で紹介する『東南アジア文学』という雑誌の編集委員でもあります。さまざまな方に東南アジアの作家の作品を翻訳していただき、ウェブサイトで無料公開しています。

そもそも、東南アジア文学という枠組みは非常に政治的なものです。冷戦期のアメリカが東南アジアを研究対象としたことに始まり、それに呼応するかたちで日本でも東南アジア研究が進んでいきました。そこから文学、文芸に興味関心が向くのが、1970年代、主にベトナム戦争以後になります。黎明期のものとして代表的なのが、朝日新聞社の『朝日アジアレビュー』という雑誌です。これは文芸雑誌ではなく、当時の東南アジア事情について専門家がさまざまな側面から解説していました。同誌は1970年から78年までに36冊発刊されましたが、何度か東南アジア各国の文芸特集が組まれ、地域の作家たちが紹介されています。ただ、文芸の専門家というよりも、東南アジアに関する研究に携わり、現地の言語がわかる方が文芸の翻訳も担当していたというのが実情です。

東南アジア文学の表紙の写真
『東南アジア文学』

その規模が拡がるきっかけとなったのが、トヨタ財団による「隣人をよく知ろう」というプログラムです。端的に言うと、東南アジアの言語で書かれた文学作品や人文・社会科学書を日本語に翻訳するための助成を行う事業ですね。当時アジアの文学を刊行していた勁草書房段々社などいくつかの出版社が助成を受け、東南アジアの文学作品が翻訳出版されました。これは70年代後半から80年代にかけての動きです。

この「隣人をよく知ろう」はもちろん画期的なプログラムなのですが、その後の東南アジア文芸翻訳の流れを作ってしまったともいえます。つまり、助成金ありきで出版計画が組まれるようになってしまったわけですね。助成金を得て一応かたちの上では商業出版されるけれども、大きな拡がりになることもなく、多くの本が初版だけで終わってしまいます。

その後も、助成金を受けた出版は続きます。80年代になると、大同生命国際文化基金が「アジアの現代文芸」シリーズを開始します。このプロジェクトで翻訳出版された書籍は、一般の書店で販売されるのではなく、図書館や学校に寄贈されました。最近は過去の翻訳作品の電子化も進めていますので、多くの作品を無料で、電子書籍で読むことができるようになっています。

ただこの間、翻訳者の数にあまり変化はありませんでした。日本で地域研究が始まった時代に育った東南アジア地域の専門家のみなさんが文芸も手掛けていたけれど、それに続く人たちはあまり出てこなかった。

90年代になると今度は国際交流基金が登場し、1990年から「開高健アジア作家講演会シリーズ」が始まります。90年代半ばからはアジアの社会や文化を多面的に紹介する「アジア理解講座」でもアジアの文学を取り上げ、2000年代初頭には日本とインドの作家や研究者が交流を行う「日印作家キャラバン」なども実施されました。ただ、2000年代中盤以降のアジア文学関連事業は、総じて小規模に、断続的になったかと思います。

翻訳者の少なさが意味すること

福冨:身も蓋もない言い方になりますが、予算がなくなればアジア文学は日本で紹介されなくなるというサイクルが続いているように思います。文学が紹介されなければ、若い世代が東南アジアの文学に触れるチャンスも減り、翻訳する人材が育たなくなる。大学で東南アジアの言語を専攻する学生は毎年一定数いますが、当然全員が文芸に興味を持つわけではないし、翻訳ができるくらいまで言語の運用能力を高めるにはそれなりの時間もコストもかかります。食い扶持が得られるかもわからないのに、そんなリスクをあえて選択する人もなかなかいないでしょう。

紹介者や翻訳者が少ないということは、日本に入ってくるアジアの作品を選ぶ視点も少ないということです。トヨタ財団の事業が独特だったのは、現地の作家たちに翻訳する作品を選んでもらっていた点ですが、これは特殊なパターンでしょう。それ以外のものは、おそらく日本側で組織する専門家の委員会で決定されたものとか、数少ない翻訳者が「今はこれが良いらしい」と選ぶケースがほとんどのはずです。それでよい作品が紹介される場合ももちろんありますが、バリエーションとしてはどうしても限られますよね。

90年代以降からは、5大文芸誌と言われるような『新潮』や『すばる』でも散発的に東南アジアの文学が紹介され始めます。ただこれも、継続的な流れにはつながらなかったように思います。2000年代になると、いわゆる世界文学と呼ばれるようなムーブメントが、アカデミックの世界で、また出版業界でも起きてくる。海外文学をもう一度ちゃんと楽しむべきなのでは、そして英語圏以外の世界からの翻訳作品をもっと受容するべきなのではないかという議論が、日本でも起こったわけです。このような流れのなかで、少しずついろいろな国の作品が翻訳されるようになってきているのが現在の状況だと認識しています。

例えば金さんの経営するCUON(クオン)が手がける韓国文学は今大ヒットして、非常に多くの読者を獲得していますよね。でもそうやって韓国の文学を継続的に紹介していくためには、さまざまなリソースが必要です。翻訳者も、作品を選ぶ人々も必要だし、そもそも韓国語で作品を書く人々がたくさんいて、それがきちんと評価されているという現地の状況も必要です。そういったものがどう絡み合って、日本での韓国文学の紹介につながったのかについては、ぜひ後ほどお聞きしたいと思います。翻って、東南アジア文学は全くそういう状況にはなっていませんからね。僕自身、そして及川さんも作家の単行本の翻訳をしたりはしていますが、後に何かが続いたとか、なにがしかのムーブメントになっているかというと、残念ながら怪しい。何が原因でこうなっているのか、これからなにができるのか。まずは、及川さん、東南アジア地域の華語文学が日本でどう受容されてきたかということを簡単にお話しいただけますか。

マレーシアの華語文学

及川茜(以下、及川):中国語圏の文学の日本における受容には、恐らく2つのハードルがあると思います。まず1つは中国語圏文学―華語文学と言ってもいいですが―における東南アジア文学の位置ということ。そしてマレーシア文学の中での中国語の文学ということ。この2つの観点から考えると、マレーシアにおける中国語文学というのは、日本ではそもそもその存在すらよく知られていないという状況だと思います。中国語で書かれた文学というと、やはり中国や台湾、香港で生まれているというイメージで、逆にマレーシアの文学といえばマレー語による作品がイメージされるでしょうから。

この状況のなかでマレーシアの中国語文学はどのように翻訳されているのか。文学研究として私が初めて関わったのは、人文書院から出ている『台湾熱帯文学シリーズ』(2010、2011年)です。タイトルに台湾とありますが、実はマレーシアの作家のアンソロジーです。台湾の文化建設委員会(現在の文化部の前身、日本の文化庁にあたる組織)から助成を受けた書籍なので、台湾とかぶせてあります。翻訳に当たっているのはマレーシア研究者ではなく、中国語文学の専門家です。収録されている作家はマレーシア出身で主に台湾で執筆活動をした人が多いですが、台湾とは関係のないマレーシア在住の作家も含まれています。私は作品の選定には関わっていませんのではっきりは申し上げられませんが、おそらく台湾で活動しているマレーシア出身の作家や研究者が選んできた作品がベースになっていると想像します。他方、それ以前にトヨタ財団の助成で原不二夫先生が勁草書房の東南アジアブックスから出された『マレーシア抗日文学選』(1994年)、これは中国語作品だけでなくマレー語作品も含まれていますが、原先生ご自身が選ばれたのだろうと思います。

つまり、マレーシアの中国語文学を日本で紹介する場合、台湾の助成を受けることがあるのですが、そうすると作品の選定の段階で台湾在住の研究者が関わることになります。マレーシアの作家のなかには中国で本を出している方もいるので、そういったものが中国でヒットすると、今度は中国の出版社から版権を日本に売り込みにくるということもあるかと思います。

福冨:中国語を勉強していて中国語の文学に興味をもつ人というのは、いわゆる東南アジア言語の文学のそれよりは数としては多いはずですし、研究者も翻訳者も多いですよね。そういった中で、及川さんのように、大陸部や台湾ですらなく、わざわざ東南アジア圏の華語文学に目配りされる方はどれぐらいいらっしゃるのでしょうか。及川さんご自身が東南アジアの作家に興味を持たれるようになった理由もお聞きしたいです。

及川:翻訳者は中国語文学を専門としている方が多く、マレーシアに特化されているのは舛谷鋭さんお一人ではないかと思います。あとの方は基本的に大陸や台湾の文学を手掛け、その傍ら機会があれば、マレーシアの華語文学も翻訳するということかと思います。

私はもともと広東語を学習していまして、音声教材として広東語のラジオ局を探してネットで聞いていました。その中にマレーシアの放送局があって、マレーシアの観光案内や今日の渋滞状況などを聞いているとやはり親近感が湧いてきます。マレーシアでも広東語を話している人はこんなにいるんだと思っていたときに、亡くなったヤスミン・アフマドという映画監督の特集上映が行われて、実際にマレーシアを観光で訪れました。映画の世界ではマレーシアのカルチャーが取り上げられるようになってきたけれど、文学はどうなのか。こんなに中国語を話している人がいるのだから、ヤスミン・アフマドが映画で描いていたようなことを中国語で書いている作家もいるのではと思い、マレーシアの華語の文学作品を読み始めたというのが最初です。その後在外研究で台湾に滞在中、台湾在住のマレーシア人研究者や作家と話す機会を持ち、翻訳や作家との直接の交流を通じて、少しずつ東南アジアの華語文学にウエイトを移してきました。

福冨:マレーシアにせよシンガポールにせよ、国内ではなく台湾や中国本土の版元からわざわざ出版するというのは、珍しいことではないのでしょうか。

及川:非常によくあると思います。特に台湾の既存の出版社から単行本を出している作家が目立ちます。また一方で、マレーシアやシンガポールと台湾を結ぶ出版活動も見られます。台湾の季風帯(モンスーン)という出版社は、2018年に台北に書店を構え、最近クアラルンプールにも店舗を出しました。マレーシア出身で、現在シンガポール在住の医師兼作家である林韋地さんという方が経営をしており、マレーシアやシンガポールの書籍の輸入販売から、同地域をテーマにした書籍の出版までを手がけています。企画から印刷、販売まですべてを行うことで、東南アジアの作品を台湾に紹介しようとしています。台湾で印刷して台湾で出版することで、販売の地域的な制約というものをクリアしているようです。

現在台湾では蔡英文総統が「新南向政策」という政策を進めており、東南アジアへのリソースの投入がかなり進んでいると思います。一方、中国本土でも、一帯一路の関係で東南アジア文学の翻訳はかなり進められていると見ています。このような事情もあり、中国本土や台湾では作品を出版しやすく、その機会もある状況と認識しています。

福冨:台湾では、義務教育の段階で東南アジア言語が選択必修になっていたりして、学習リソースも豊富だと聞きますし、マレーシアやシンガポールの作家の場合は、単純に表現の自由の問題もあるはずですよね。母国ではなかなか表現しにくい中身の作品も台湾では出版することができる、ということもあるでしょうし。

華語文学の次は韓国文学のお話をうかがいたいと思います。大雑把な質問で申し訳ないのですが、金さん、日本で韓国文学がどのように受容されてきたか、簡単にお話しいただけますか。

韓国文学は、なぜ「読まれる文学」になったのか

金承福(以下、金):私たちは2011年から日本で韓国の書籍を出版し始めましたが、もちろんそれ以前から韓国文学は日本で紹介されてきました。1980年代には、作家の中上健次さんが韓国に長期滞在したおり交流した韓国の作家の作品を日本に紹介したり、独学で韓国語を勉強した詩人の茨木のり子さんが韓国の詩を翻訳して紹介したりと、そういった流れはずっとありました。日本には在日の人たちもいますが、そうして紹介されてきたものの多くは、民族主義的なものや、イデオロギーの問題をテーマとして扱った作品でした。

2000年以降になると、韓国の若い作家や読者が、個人的なテーマに基づいて書いた小説により注目し始めます。それまで紹介されてこなかった分野だったので、私たちが新しく出版社を立ち上げて紹介していこうということになりました。現在、日本では韓国文学ブームが起きています。「新しい韓国の文学シリーズ」を立ち上げた2010年代初めは、日本で翻訳される韓国の作品は年間20タイトル程度でしたが、2020年には100タイトルまでになりました。要因はいろいろあると思いますが、そのひとつとして韓流ブームを挙げたいと思います。韓国映画やドラマ、K-POPがはやり、それらをただ消費するだけではなく、韓国語を学び、韓国語を学んだ人たちが、韓国の人々の言葉を翻訳してみたいということになり、積極的に本を買って読む。こうして本が売れるしくみができるわけです。供給と需要の関係で、売れるから次が出せる。

もうひとつは、翻訳者ですね。他の言語の場合、大学の先生たちが研究のかたわら翻訳をなさっていることが多いですが、韓国文学の場合、好きで韓国語を学んだ人たちが翻訳に関わり始めている。同世代の作家の作品を同世代の人が訳す、そういう環境ができているので、読みやすい文章、分かりやすい文章になっているという話をよく聞きます。そういう点も、韓国文学が読まれている理由である気がします。

福冨:例えば『菜食主義者』(CUON、2011年)でブッカー賞を受賞したハン・ガンさんのように、英語圏での評価が日本での評価につながったものもあれば、かたや『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房、2018年)のように、韓国での大ヒット作が日本でもヒットした例もあります。日本における韓国文学ブームというのは、韓国国内での評価がそのまま持ち込まれたのか、問題のある言い方かもしれませんが韓国文学を「発見」した誰かがそれを英語に訳したことで国際的な舞台で評価されて、それから輸入されたのか、あるいは他の動きがあったのか。一体どんな流れで起こったのでしょう。

:大切な質問です。韓国は映画やK-POPを含め、文化面で自分たちのカルチャーを世界に紹介するためにものすごく支援をする。文学もそうです。韓国文学翻訳院という国の機関をつくり、さまざまな言語圏で出版社と翻訳者を支援しています。助成金があるので、いろいろな言語圏の出版社も翻訳書を出しやすくなる。そういうシステムが作られてきた。日本に東南アジア文学の翻訳のための助成金があったと話されていましたが、韓国も純文学はそういう状況です。助成金があるから申請して、翻訳出版する仕組みは、翻訳出版へのハードルを下げるのに役立っているのです。

作品が韓国国内でブームになって海外で出版されるというのは、『82年生まれ、キム・ジヨン』は確かにそうです。韓国で社会現象になり、日本でも20万部以上売れた。実はこういう文学やエッセイが売れる裏側には、K-POPのアイドルがその本を読んだ、ということもあるんです。彼らが読んだ、ただそれだけの理由で、ファンがその本を買うという面白い現象が今起きています。

私は、出版社のCUONCHEKCCORI(チェッコリ)という韓国書籍専門の書店を経営していますが、そのほかに韓国の作品を日本の出版社に紹介をするエージェントも行っています。10年以上この仕事をしていますが、この1年で問い合わせの件数はものすごく増えて、今まで取引がない出版社からも問い合わせがあります。面白いのは、みなさん「BTSが読んだ本を紹介してください」という。条件がそれです(笑)。そういう本はみんな狙っていて、その意味でも競争の時代になってきました。

チェッコリ店内の写真
チェッコリ(東京・神保町)

福冨:2000年代以降の国を挙げてのソフトパワー戦略のなかでちゃんと文芸も考慮されていて、それが複合的に効果を上げているということですよね。BTSだってもともとはソフトパワー戦略の一環として国際市場に出ていった。でもその人たちのパワーは国内でももちろん高まっていて、彼らが本を紹介すると国内外でその本が売れるという。日本ではなかなか実現が難しそうな話ではありますが、なるほどと思います。

今、日本で翻訳されて発売されている韓国文学には、フェミニズムやジェンダーの問題をはじめ、社会的主題を扱ったものが少なくないです。それが、日本のSNSを中心とした女性の権利向上の動きと呼応して広く受け入れられた部分もあるし、かたやアイドルなどのポップカルチャーを通じて韓国に興味を持ち、本も読んでみたくなるという人も増えているのでしょうね。

近谷さんは、Read Asiaアジア文芸シリーズのプロジェクトなどで各国のブックフェアにいらっしゃる際、東南アジア出身、あるいはアジアにルーツを持つ作家たちの作品と出会うことも多いのではないでしょうか。翻訳出版の現状はどうなっているのでしょうか。

世界の市場からみる東南アジア文学

近谷浩二(以下、近谷):私は2002年ごろから各国の国際ブックフェアに参加しています。一番規模が大きいのが毎年秋に開催されるフランクフルト・ブックフェア、そして3月か4月に開催されるロンドン・ブックフェアですね。もともと私の所属するトランネットでは、英語圏の出版物を日本に引っ張ってきて、それを日本の出版社に紹介して翻訳してきました。その中で日本の作品を海外に売り出していくエージェントも始めたのですが、ここ10年で、アメリカ、北米やヨーロッパ圏での出版の状況はかなり変わってきている印象を受けます。

現在出版市場が世界で一番大きいのはアメリカで、次いで中国、そしてドイツ、日本と続きます。アメリカはもともと翻訳を全くしない国として有名で、翻訳書がないのはアメリカと北朝鮮だけだ、というジョークもあったりします。アメリカでは「3パーセント・プロブレム」と昔から言われています。全ての出版物における翻訳書の割合が3%に満たないよ、という自虐的な意味です。映画もそうですね。昔は字幕で映画を見るのが嫌だというアメリカ人が多かったけれども、最近変わってきています。翻訳作品を取り扱うことがチャンスだと思う出版社が出てきました。

そのひとつがAmazonです。Amazonは2009年に自社で出版社を立ち上げましたが、その中にAmazon Crossingという翻訳出版を専門にするレーベルがあるんですよ。初期の頃、日本の作品に関するアドバイスがほしいと頼まれ何度か話をしましたが、そのAmazon Crossingが、どんどん世界各国の作品を英語に翻訳している。そのなかには、東南アジアの作品も結構含まれています。Amazonの影響を受けたのかは分からないですけれど、メインストリームと言われるニューヨークやロンドンの出版社、大手出版社もインディーズ系の出版社も、この10年で翻訳出版を手掛けるようになってきた。そのひとつ、Soho Crimeというミステリーやクライムフィクションを得意とするニューヨークの出版社が出している出版物で面白いなと思ったのが、フィリピンのノワール小説でした。

作家の中村文則さんとシンガポール作家祭に行ったときに、中村さんの本を英訳しているSoho Crimeの編集者から、今フィリピンのF.H.バタカン(F.H.Batacan)という作家のノワール小説が面白いと紹介されて、日本の出版社にぜひ出してほしいと思って動いたことがあるんです。しかし、これがなかなか決まらなくて。最後にクラウドファンディングもやったのですが、これも失敗してしまった。がっかりして、日本には東南アジアの作品を扱ってくれる出版社はまだないのかなと諦めかけて、メールマガジンで恨み節をつらつらと書いていたところ、ある出版社が、じゃあうちがやろうと声をかけてくれたんです。よかったと思っていたら、その出版社の経営状態が悪くなってしまって実現できていません。完全な翻訳原稿があるので、どこか出してくれないかなあと思っています。

このように、アメリカやイギリス、あるいはヨーロッパ圏で評価された東南アジアの作品が、世界では知られているのに、その情報がまだ日本に入ってきていないということもある。イギリス、ドイツ、アメリカなどでは助成金を出すさまざまな団体があり、助成対象となった作品のリストはインターネットでも見られるので、参考になると思います。

英語圏で、東南アジアにフォーカスした新しい文芸誌も出ています。そのひとつがMekong Reviewというプリントとウェブの文芸誌です。1978年にベトナムからボート・ピープルとしてオーストラリアに渡ったミン・ブイ・ジョーンズ(Minh Bui Jones)さんという方が立ち上げたのですが、カンボジア、ベトナム、フィリピン、マレーシアなどアジアの最新の小説、詩、エッセイ、批評などを英語で紹介する試みで、非常にオーセンティックで革新的だと思います。

福冨:フィリピンのノワール小説のクラウドファンディングは、僕も支援しましたね。今、お話を聞いて思い出しました。

近谷:ええ、そうでしたか!その節はありがとうございました(笑)。

福冨:海外のブックフェアや欧米圏で東南アジア文学、アジア文学が紹介され始めているというのは、タイの作家や編集者たちと話していても感じます。英語ないしその他の言語で自国の作品を海外に紹介するエージェンシーもでき始めています。例えば僕が翻訳しているプラープダー・ユンという作家の本は、イギリスのTilted Axis Pressから続けて出版されていますし、ウティット・ヘーマムーンという作家の長編は、Penguin Random House SEAからの出版が決まっているそうです。今の2例はアジア圏の作品を中心的に扱う版元ではありますが、需要と供給がうまく噛み合い始めているのでしょう。Mekong Reviewも、ミャンマーのクーデター後に現地からの論考や詩を継続的に紹介していて、でもスピード感もあり、面白いなと思っています。ウェブ上の文芸サイトとしては、Words Without Bordersなども、アジアに限らず、100を超える国々からの作品をどんどん英語に翻訳しています。

世界に共通するテーマの傾向

福冨:及川さん、マレーシアの華語作家たちは、最近どういったテーマを扱うことが多くなっているのでしょうか。

及川:何人かの作家は、マレーシアのこれまで語られてこなかった歴史にどう光を当てるかということを試みているように思います。マレーシアは民族構成の上ではマレー人がマジョリティなので、国家の語る歴史には華人の側から見た歴史観は排除されている側面があるわけです。歴史的な出来事の捉え方もそれぞれの民族によって、またそのときどこにいたかによって、違ってくると思うんですね。今まで空白だった華人の歴史をどのように提示するかということを試みている作家はいると思います。

あと、中国語圏で「同志文学」という言い方をするんですが、クィア文学、LGBT文学と言われるアンソロジーが相次いで出版されています。男性の書き手が多いですね。これは中国語圏全体の潮流がマレーシアにも及んでいるという見方もできると思いまし、台湾とも直接つながっているところがあるので、互いに影響し合っているとは思います。先ほど検閲の話がありましたが、マレーシアで書いてインターネットで連載していた作家が、ゲイに関する書籍に特化した台湾の出版社から作品を出しているというケースもあります。

福冨:大きな歴史に対して小さな歴史を語るというのは、シンガポールやマレーシア圏のパフォーミングアーツなどの主題などでも登場している気がしますね。及川さんが『東南アジア文学』で翻訳してくださった、韓国のお寺に行くお話がありましたよね。

及川:陳志鴻の「仏は深山に求む」(『東南アジア文学』18号)ですね。

福冨:そうそう、あれは同志文学の中に入るかと思います。すごく面白いんですよ。(※以下ネタバレです)明示はされませんが、自身のセクシュアリティに疑問を抱えているらしき男性が、母親と一緒に韓国の寺院に旅行に行く。そこで、ややもするとこの人も自分と同じセクシュアリティの葛藤を抱えているのでは、という男性と出会います。美しい女性と並んで歩いているその男性と目が合って、自分たちの「罪」をともに認識する、という話です。

マレーシアの作家が華語で書いていて、しかし舞台は韓国という、一見ちょっと混乱するような作品ですが、テーマは非常に普遍的です。マレーシアで同性愛をカミングアウトするのは非常に困難だという個別の文脈とは別のところで広く読まれる作品だと思いました。

歴史を問う物語であろうとクィア文学であろうと、マレーシアに限定的な潮流ではないと思いますが、韓国ではどうでしょうか。

LGBTQ文学がはやっているというのは、まさに韓国も一緒です。韓国でゲイであることをカミングアウトして小説を書いている、パク・サンヨンとキム・ボンゴンという2人の男性作家がいます。2人とも30代で、作品はすべてゲイが主人公です。文学賞をとるなど評価も高く、パク・サンヨンさんの本は、一冊日本語にもなっていますね。亜紀書房からでている『大都会の愛し方』(2020年)という本です。そして、SF作品。すでに翻訳も何作か出ていますが、日本でますます盛んになるだろうなと思っています。

また、韓国では今ウェブ小説がものすごく人気です。一般の小説家よりウェブ小説家のほうがずっと売れていて、純文学の小説も書くけれども、ウェブ小説を書いて売れっ子の作家になっている人たちも増えているという話です。韓国ではこのように文芸のマーケットがどんどん広がっています。日本でも、スマートデバイス向けのアプリ「ピッコマ」で、韓国のウェブ小説が翻訳されていますね。

福冨:やはりどこの国でも、大きな傾向はある程度共通しているのかもしれませんね。最近のタイは軍事政権が続いていることもあって、政治的主題をもった作品が増えています。タイの体制側がつくってきた大文字の歴史をどう覆すかというような、複雑で難解な作品群です。でもすこし違う流れもあって、たとえば、P.S. Publishingという、若い女性作家の作品を継続的に出している出版社が人気を集めていたりもします。

ここが出す作品は、例えば、豊胸して、化粧品レビューのブロガーとしてギリギリの生活をしている中華系の30代の女性が、清明節の集まりで親戚の女性たちから結婚を急かされ続けて絶望的な気持ちになる作品とか、軍事クーデターの夜に初めて身体を重ねた男女の別れを描く作品とか、絶妙なバランス感覚でできているものが多い。大きな政治に正面から向き合って書くような流れもあるけれども、個人的な物語をうまく社会と結びつけて書くという流れもあるんだと思います。

後編に続く:東南アジア文学のこれから―書き手と読み手をつなぐ(後編)