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東南アジア文学のこれから―書き手と読み手をつなぐ(後編)

Roundtable talk / アジア文芸プロジェクト“YOMU”

作家と編集者をつなぐ―翻訳者の新しい役割

福冨渉(以下、福冨):近谷さん、アジアの文学に限った話ではないのですが、国際的な文芸市場で、わざわざ海外から版権を買いたいと思われる作品の傾向というのはあるんですか。このジャンルだと確実にいける、あるいはこのジャンルはやめておけというものが存在するとか。

近谷浩二(以下、近谷):以前は明確にあったような気がします。SF、スリラーなどはジャンルフィクション(大衆文学)と言われていたんですが、最近は純文学とジャンルフィクションとの明確な区分けがなくなってきているような感じがします。面白いのは、例えば芥川賞をとり、日本では純文学作家として通っているのに、海外に行くとジャンルフィクションに分類されるということがよくあるんですね。先ほどもお話しした中村文則さんの本も、本人は純文学として書いていらっしゃるのに、アメリカでは完全にクライムノベルとして売り出されていて。でも、国によって出版マーケットの事情はそれぞれ違うものだから、それはひとつの戦略でもあるんです。商業主義で、回収できないと成り立たないというシビアな面があるので、作家もこれは仕方がない、と。中村さんも、最初はジャンルフィクションとして紹介されたとしても、どこかのタイミングで純文学の作家だということが知られるといいな、とおっしゃっている。

これはなかなか難しい問題ですね。海外のエージェントは大量のタイトル数を扱うので、これはSFだよ、これはクライムフィクションだよ、これはスリラーだよと端的に説明できないと俎上にも乗らないという事情があります。ただ、最近はやり方が少し変わってきていて、それぞれの国の事情を勉強している気がします。海外のエージェントや編集者が日本の文学シーンのことをよく知っているし、日本の文学に興味を持っている海外の読者や翻訳者も増えていて、かなりの情報をネットで得ているようです。英語圏の翻訳者が日本の作家のTwitterをフォローして、直接コンタクトをとって作品について話し合う。そして翻訳者がサンプルを作って、現地の出版社に売り込む。例えば、ロンドンの出版社だったらこういうふうに売り出されるかもしれないけど、でもこの作品の魅力はこういうところにあるから、と翻訳者が間に入って、その作品の魅力のポイントというのを編集者に伝える。そういうことが結構あると聞いています。

つまり、こういうジャンルがいいよ、というところから、翻訳者が媒介となって日本の作家や作品をうまくプレゼンしていく、そういう時代になってきていると感じます。海外の編集者も翻訳者の情報に頼るという状況が少しずつ増えて、それが大きな文学賞につながったケースもあります。モーガン・ジャイルズさんが翻訳した柳美里さんの『JR上野駅公園口』(河出書房新社、2014年)もそのひとつですね。こういう傾向はますます強くなっていくのかなと思います。

先ほど福冨さんのお話にもでてきたTilted Axis Pressという非営利の出版社を立ち上げ、ハン・ガンさんの『菜食主義者』を英訳したイギリス人のデボラ・スミスさんに聞いた話ですが、例えばベトナム語を翻訳する際は、ベトナム語を学んだイギリス人がターゲット言語である英語に翻訳をするのがこれまでの流れなんですが、最近はどちらかというとベトナム出身で英語ができる人に翻訳をしてもらいたいと思っているそうです。イギリス側から見たバイアスがどうしてもかかるので、現地の出身で英語が使える人による翻訳にチャレンジしてみたいと。

福冨:欧米の出版社も、自分たちがアジアに対して持ってしまうかもしれない視線に自覚的だということですね。現代の世界の流れにかなり呼応した傾向になっているのでしょう。近谷さんがエージェントとして日本の作家を海外に紹介されるときは、やはりある程度しっかりとジャンルの設定をして、プレゼンテーションをされるのでしょうか。

近谷:10年ぐらい前まではそうだったんですが、最近は全く気にしなくなりました。どこの編集者、エージェントも気にするのは、この作家のボイスはどんなものなのか、特定のジャンルに入らなくても、どういう力があって、どういうところが魅力なのかというのを3分ぐらいで教えてほしいと。そこまでジャンルにこだわらず、ユニークでオリジナリティーのある作品を求めています。

福冨:3分で教えて、はかなり嫌ですね。ぞっとした(笑)。CUON(クオン)さんでは、翻訳作品や翻訳者を決めるプロセスはどうなっているのでしょうか。

出会いの場をつくり、ビジネスにつなげる

金承福(以下、金):出したい、売りたいと思う本は、原作を読んでほぼ自分たちで決めます。版権を仲介するエージェントでもあるので、これはいいなと思ったら自分でレジュメを作って、特定の出版社の特定の編集者に直接送ったりもしています。

例えば、今日本で一番売れているエッセイ『私は私のままで生きることにした』(ワニブックス、2019年)は韓国でその当時70万部売れていて、その出版社の人から、これ、日本でいけるんじゃないかと言われて。取り寄せて読んだところワニブックスで出したらいいなと直感的に思ったので、レジュメを簡単に作って、ワニブックスの編集者に「これ出したらいけると思う」とプレゼンしました。3分ではなく、10分ぐらいは話しましたけど(笑)。そして1週間後に「出したい」と返事があったんです。それが今、50万部です。

私は韓国語が読めて、日本の編集者との付き合いもあるので、こういう営業ができるのだと思います。でも、私がすべてできるわけではないので、K-BOOK振興会という団体をつくり、翻訳者仲間が日本の出版社に向けて、自分がいいと思った作品のレジュメを作ってプレゼンができるような仕組みを作りました。以前は『日本語で読みたい韓国の本』というガイドブックを作って出版関係者に説明していたのですが、翻訳出版の動きが活発で、今はウェブに掲載しています。近谷さんがおっしゃったように、翻訳者や翻訳をしたい人がレジュメを作って編集者と直接やりとりするという仕組み、これは翻訳につながる確率がすごく高い。

もうひとつCUONがやっているのは、日本の編集者で韓国の作品に興味を持っている人たち、売れるから出すというのではなく、自分が出したい本のリストを持っているような人たちを、10人~15人連れて韓国に行くことですね。ソウル国際ブックフェアで、現地の出版社や編集者と交流してもらい、そこで韓国の出版社が日本の編集者に対して直接プレゼンをします。そのとき、翻訳者も2、3人一緒に行くんです。編集者と翻訳者の交流もできるので、そこで仕事が成立したりする。そういうことをやっています。

CHEKCCORI(チェッコリ)ではイベントをよく開くんですけれども、翻訳者によるイベントはものすごく人が集まります。翻訳者になりたい人や出版社の編集者が話を聞きにくる。来年春から、ベテランの編集者による効果的なレジュメの書き方のイベントを実施したいと思っています。こういうふうに書けばもっと編集者が関心を持つよ、と。実は以前に『日本語で読みたい韓国の本』でレジュメを執筆しているメンバー向けに開いたことはあるのですが、3回ぐらいのシリーズでより充実させて。レジュメを読む編集者を翻訳して出そうという気持ちにさせないとレジュメの意味がないし、ウェブにしても紙にしても、翻訳したものが刊行されないと意味がないと思っているので、なるべく刊行されるような仕掛けを作っています。お互いにハッピーな縁になりますよね。翻訳者は翻訳ができる、出版社はいい翻訳者と出会うことができる、そういう仕組みを作るのは面白いです。

座談会の様子の写真

翻訳者を育てるということ

近谷:金さん、例えば10年ぐらい前までは、まだ韓国文学はそれほど日本で翻訳出版されていなかったと思います。翻訳者は、この5、6年で急に育ってきているのでしょうか。現在どれぐらいの翻訳者の方がいて、皆さん、この短期間でどのように翻訳のスキルを身につけられたのでしょうか。

:翻訳者は、今ものすごく増えています。東京外国語大学、大阪大学、神田外語大学にも韓国語/朝鮮語が学べる学科がありますし、もともと編集者で韓国に留学した人たちもいます。日本で勉強した人と韓国に留学して韓国語を学んだ人、そういう人たちが翻訳者になる。韓国語ネイティブで翻訳をやっている人もいます。韓流ブームから15年、20年になるわけですから、その頃韓国に留学した人たちも戻ってきて日本で就職していて、その人たちは私より韓国語が上手いくらいです。

CUONは翻訳スクールもやっていますが、受講者は20代から60代までの女性が多いですね。また毎年翻訳コンクールを開いていて、優勝した作品は必ず本にします。CUONが出版社なのでできることかと思います。翻訳コンクールは、短編2つを翻訳して応募してもらうのですが、第1回は212人、その後も平均して120名ほどの応募がありました。短編2つを約6か月で翻訳するのは本当にハードルが高いのですが、皆さん熱心に応募してくださる。こうして翻訳者を発掘して養成するのはとても大事な仕事です。自分たちはそれをビジネスとしてやっているので続けられる。助成金は関係なく本を出して、マーケットで売って、そのお金でまた次の本が出せる、韓国語文学はそういうフェーズになってきている気がしますし、それを目指しています。

福冨:金さんがされていることは、実は全て基本的なことなのですよね。でもその基本がきちんと継続されることで人材が増え、ネットワークも拡がっていく。その成果がこの10年ぐらいの韓国文学の状況なのかもしれません。僕もCHEKCCORIで一度イベントに出演させていただきました。タイ文学のイベントなのにお客さんが多いのにもびっくりしたんですが、神保町のあの立地と広さで、韓国語の本しか置いていない本屋さんが東京にあるという事実が衝撃的でした。すごい空間だなと思います。つまり、韓国語の本を読みたい、読もうと思う人がそれだけいるという事実が、CHEKCCORIという書店そのものを表している。みなさんが翻訳者や韓国語学習者を増やそうとされてきた努力の結果なのだろうと思います。トランネットさんでも翻訳のコンテストをなさっていますよね。

近谷:はい、オーディションを何百回もやっていて、その中から育って独立した方も結構多くいます。個人の翻訳者が出版社、編集者とつながりを持つことはなかなか難しいし、海外在住の方も多いので、出会う機会自体があまりありません。そこのマッチングをすることで、出版業界のシステムに風穴を開けて、徒弟制度だったような翻訳の世界を変えていこうと、2000年にベンチャーとして始めました。

オーディションごとに合格者の訳やサンプル訳を提供し、自分が今どういう位置にいるのかを知ってもらうことができるようにしています。一旦会員になったら、自分の成長の度合いを可視化しながら、何度でもオーディションを受けることができる、そういうシステムを取り入れています。金さんがおっしゃるように女性が圧倒的に多いですね。すごく勉強熱心でまじめな方が多いです。

福冨:金さんや近谷さんの話をお聞きしていると、大学などから若い人が育ってくるのを待つんじゃなくて、私塾をつくれ!みたいな勢いを感じます(笑)。翻訳者が出版社に持ち込みをするとかレジュメを作るというのは当然必要なことで、僕もやっています。金さんがおっしゃったレジュメ講座はぜひ受けたいなと思いました(笑)。

大学で翻訳者は育っているのか

福冨:僕は今大学には所属しておらず、以前教えていたところも外国語系ではなかったのでタイ語の授業は持っていませんでした。そもそもタイ文学に興味をもつ学生を育てるような機会がなかったのですが、及川さんはいかがですか。中国語学科で教えていらっしゃって、文芸翻訳をしたいと思う学生に出会われましたか。

及川茜(以下、及川):今までに翻訳に関する関心を私に対して示してくれた学生は、たしか2人だけだったと思います。卒業後どうなったかは分からないですが、趣味的な形で翻訳に関わっているのではないかなと思います。中国語の場合、選択の大きな動機のひとつはやはり就職です。対中ビジネスを考えると、できて損はないだろうということで、いくつかある言語の中から選ぶのであれば中国語というケースが多いと思います。中国の小説、文芸作品、またはドラマや映画に関心を持って中国語をやりたいという動機は、おそらく少ないのではないかなと。また、これは私の問題かもしれませんが、やはり自分の好みで作品を選ぶので、授業で読む作品が学生にとって面白いかどうか、その面白さが分かるところまで説明できてないのかもしれません。文法的に意味を取るのが精一杯で、何だか難しくてよく分からなかったという感じで終わってしまって、文学の授業を担当していて、他の作品も読んでみようというところまで結びつけにくいなという気はしています。

少し明るい話をすると、中国にルーツのある学生や中国語のバックグラウンドを持った学生が中国語を専攻するケースが最近とても多く、なかには日本語と中国語の運用能力がかなり拮抗している、ほぼ同じように操れる学生もいます。こういう人が本気で翻訳をやろうと思えば、日本側からのバイアスといった問題もある程度解決できるのかなと思います。ただ、翻訳に必要な言語運用能力を身につけるために大学院まで行く学生、つまり中国語文学を専門として進学する学生のなかで日本語が第一言語である学生は、かなり少ないのです。留学生がメインになるので、そういう学生はターゲット言語が第一言語ではないということになります。この状況を考えると、今後は中国語と日本語のそれぞれを第一言語とする翻訳者が、共同で翻訳を行うようなことが可能性としてはあるのかなと考えています。

福冨:僕は東京外国語大学のタイ語専攻出身です。時代によっても違うと思いますが、僕が大学に入った2005年頃の学生の、タイ語専攻への志望動機は就職を意識したものが多かったように記憶しています。あとは、本当は英語などの「メジャー言語」を専攻したかったけれど、センター試験の点数が足りなかった、でもタイ語専攻の入試は倍率が比較的低いので受けましたというところでしょうか。昔タイに住んでいたというような学生もいるにはいましたが、総じてそこまでポジティブな動機の人は少なかったような気がします。タイ語に限らず、東南アジア・南アジア言語の専攻は大体同じような状況だったと思います。

金さんの翻訳講座を受講される方というのは、韓国語でコミュニケーションをとりたいというところも飛び越えて、韓国語の翻訳がしたいがために受講されているのですよね。受講生のみなさんがそこに至った動機や、年齢層、ジェンダーの比率などを教えていただけますか。

:受講者は90%が女性で、20代も最近増えていますが、50代、60代が多いです。会社勤めをしていて、おそらく定年後に翻訳の仕事をしたいという動機があるのだろうと思います。受講の動機や、韓国語の翻訳をしたいと思ったきっかけを聞くと、やはり韓国ドラマにはまって韓国に興味を持ち韓国語を学んだ、そして、せっかく学んだものを活用したいという、そういう方が多いです。だから、文学だけで成り立たっているわけではない気がしますね。いろいろなサブカルチャーがあって、文学までたどり着く。

福冨:僕自身、「将来はタイ文学の翻訳で食っていこう」と思って今の姿がある、というわけではないですね。大学生だったころはたまたま日本でいろいろなタイの映画やアートが紹介されていた時期だったので、タイ語をやって、そういう文化を紹介したいと思ったんです。そのなかで、文学を特に真剣にやるようになりました。

重訳はあり?なし?

近谷:東南アジアの言語の翻訳者はまだそれほど多くないし、なかなか情報も入ってこない。何十年か前に日本の作品がヨーロッパやアメリカに紹介されたときも同じ状況で、当時は翻訳者が少なかったので、例えば三島や川端、谷崎の英語版からイタリア語、フランス語、スペイン語への重訳が結構なされていたと思います。

村上春樹さんは、『翻訳夜話』(文芸春秋、2020)という本のなかで、昔は自分の作品の重訳を認めていたと書かれています。マーケットの力学でそれは仕方がない、まずは作品が出ないと始まらないよと。一方で翻訳家の柴田元幸さんは、でも精度は落ちるよねと。オリジナルのコピーを取って、さらに孫コピーを取っていくうちに、だんだん正確性は欠けていく。これは仕方ないのですが、おそらく賛否両論あると思います。ただ、重訳の存在は知ってもらわないといけない。

私たちが展開しているRead Asiaアジア文芸シリーズにも実は重訳がひとつあります。インドネシアのプラムディヤ・アナンタ・トゥールの『独立記念日』という作品です。インドネシアの国民的作家ですよね。ロンドンのブックフェアで、インドネシアの出版社がプロモーションで持ってきた英語の短編集を読んだところすばらしかったので、翻訳させてほしいとオファーしました。権利者と話をしたうえで重訳を認めてもらったんです。ただ、やはりどうしても原典にあたらないと分かりづらい場合があるので、インドネシア語が分かる方についていただき並行して作業を進めました。東南アジアのコンテンツがまだあまり入ってきていない現在、重訳を認めてもいいのか、いや、それは違うなど、皆さんの意見がお聞きできればと思います。

Read Asiaアジア文芸シリーズの表紙の写真
《Read Asia アジア文芸シリーズ》

福冨:これはそれぞれ意見がありそうですね。

:今は韓国語の翻訳者も多いので、重訳はしないと思います。でも、言語圏によってはありだと私は思います。韓国は1960~70年代より前は、欧米系の文学作品を日本語の翻訳から訳していたので、重訳がすごく多かった。今はオリジナルから翻訳し直した改訂版がたくさん出ていますけれど。

福冨:ビジネスの側面から見れば、そうですね。必要悪というのは言い過ぎかもしれませんが。及川さんはいかがですか。

及川:読者の側としては、訳されたものを通じて原文を想像しながら読んでいるのか、それとも訳されたものをそのまま受け取っているのかによっても異なるかなと思います。東南アジア文学の話からは少し離れますが、中国語圏の文学の場合、最近SFは英語から重訳されている日本語訳が多いと思います。中国系アメリカ人作家のケン・リュウ(劉宇昆)さんは中国SFの英訳を多く手がけており、彼の英訳を底本として邦訳紹介されている作品も少なくありません。中国出身なので、中国語も恐らく第一言語にかなり近いと思いますが、どうやら彼の手がけた翻訳のようなケースだと、中国語の原本と英語に訳されたバージョンが違うということがあるんですね。章の順番が入れ替わっているとか、あとは対照してみるとこの場面が一段落ないとか。中国では公にすることを控えていた箇所を、英訳に際して復元したということもあるのかもしれませんが、恐らく翻訳の段階で翻訳者と原著者が相談をして、英語圏で受け入れられやすいように、ポリティカルコレクトネスなども考えて調整するのだろうと想像しているのですが。または書いてから英訳までの間に何年か時間がたっているので、ちょっと考え方が変わって、少し直したくなったというケースもあると思います。おそらくそういった一種の共同作業があって、それが反映されたかたちでの日本語訳というのは非常に面白いなと個人的には思っています。ただ、どうしても物の名前とか、文化的なローカルナレッジが必要な部分は、これは英語から訳したなと感じるところがあるのは事実ですね。私はそういう点も面白く感じています。

福冨:タイ文学の場合は、日本では重訳はほとんど存在していません。おそらく世界で一番多くタイ文学が翻訳されているのは日本でして、英語よりも日本語に訳されている数のほうが今は多いからですね。近谷さんのおっしゃったプラムディヤについては、かつて出版社のめこんから7巻にわたる長大な選集が出版され、インドネシア文学の押川典昭先生が翻訳されています。監修が入らない重訳というのは、特にああいったローカルで政治的な作品に関してはなかなか難しいのではとも思います。一読者としてはもちろん、重訳でも「あれば読む」のですが。

タイの日本文学受容の話をすると、村上春樹の作品が2000年代前半まで重訳ばかりでした。1人の翻訳者がほとんどすべてを英語から翻訳していたのですが、日本文学を原文で読むことのできる若い世代が増えてきたことで、どうもタイ語への重訳版はずいぶんちがうらしい、翻訳者の癖がかなり出ているらしい、という声があがってきたみたいです。その後は日本語から翻訳して、監修者もつけるという流れが一般的になっています。僕も『アンダーグラウンド』タイ語版の翻訳監修などをしました。こういう問題は常に発生し得ますよね。

近谷:フェーズの問題なんですよね。翻訳者の絶対数が足りないときは重訳に頼らざるを得ないという事情がある。出版マーケットに定着していく間に、翻訳者も育っていくという流れなのかなと思います。もちろん、オリジナル言語からターゲット言語へとダイレクトに翻訳できれば一番いいと思います。ただ、やはり文学のひとつの流れをつくる、マーケットをつくっていくという意味では、通らざるを得ないフェーズもあるのかなと思います。

タイのBLブームから翻訳者が生まれる?

福冨:去年から日本ではタイBLの大ブームが続いています。きっかけとなったのが『2gether』というタイの男子大学生2人のBLドラマで、原作小説の日本語版『2gether』(2020年)が先ほどのワニブックスさんから出ています。ただ、これは英語からの重訳なんですね。大人気ドラマの原作が出版されて歓迎されるかと思いきや、ドラマを見ながらタイ語学習をしていたファンが大勢いて、重訳の問題を指摘し始めたんです。

BL作品はタイ語自体がそれほど難しくないことも多いです。一文は短くて改行が多い。まだそこまで高い語学能力が身についていなくても、結構すらすらと読めます。『2gether』のタイ語原作を読んで日本語版を読み、これはおかしいと思う人たちが出てくる。あるいはドラマを見ながらタイ語を勉強して、ドラマのセリフのニュアンスとこの小説でのニュアンス、全然違うじゃん、と感じる人たちが増えている。そのこと自体が希望だ、と言うと大げさかもしれませんが、ちょっと状況が変わってきているなと感じています。

KADOKAWA(角川出版)がタイのBLシリーズの翻訳出版を始めたという状況もあります。出版されている作品の翻訳は、あまり洗練されていないものも多いように感じますが、こういうところからタイ語の翻訳者や学習者が育っていくとよいですね。

タイのソフトパワー的なものが、現代アートや現代映画とは別のかたちでようやく広がってきたので、その裾野をどう捉えるかということを翻訳者としても考えざるを得ません。金さんがやってらっしゃるような取り組みが実現できたらいいなとは常々思っています。つまり「仲間をつくる」というプロセスが、どこかで絶対必要になるはずなので。

:今周りには、韓国ドラマ以上にタイのドラマが面白いという人たちが多いですよ。そのうち、タイドラマからタイ文学までいくんじゃないですか。

サブカルチャーと文学

近谷:ドラマと言えば、Netflixでタイのサスペンス・シリーズが世界に配信されていますよね。『Girl from Nowhere』とか。

福冨:『転校生ナノ』ですね。

近谷:あとマレーシアのホラー映画の「Roh」とか。現地で制作されたオーセンティックな映像を世界中に届けるって、これ、すごいパワーだと思う。文学や翻訳とはまた別のところで、どんどんそういった映像コンテンツが世界中に配信されて、その国や文化に興味を持つ人が出てくると、ひとつずつ垣根が取り払われていくのではないでしょうか。先ほどのAmazon Crossingもそうですが、テクノロジーカンパニーによる大きな動きがアジアに目をつけていています。例えば最近できたPenguin Random House SEAも、6億5000万人の東南アジアのマーケットは大きな宝だと考えている。だから文学だけじゃなく、映像コンテンツも含めて東南アジアに興味を持つ若い層が、これからはもっと出てくるんじゃないかな。その中から翻訳をやってみようかなという人が出てきたらいいなと思っています。

福冨:そうですね。サブカルチャーが先に国際的な市場に乗り出し、それが流通して日本にも入ってくるという状況は今後も加速していくでしょう。だからこそその時にどう備えるかということを、翻訳者や教育する立場の人間は考えておくほうがいいと思うんですよね。及川さん、いかがでしょう。どういう人たちを今のうちに拾い上げていくべきなのか、どういう人たちとネットワークをつくっていくべきなのか、あるいは大学の研究者だけでやっていけるのか、どうお考えでしょうか。

及川:大学研究者だけでは、もう難しいのではないかと思っています。文学というものの地位というか、イメージ自体がもう昔とは違いますよね。中国語圏の文学で言うと、最近はやはりジャンル小説が強いですから、SFにしてもミステリーにしても、アカデミズムとはおそらく関係のないところで翻訳の訓練をされて手掛けていらっしゃる方々、そういう方との連携も可能性としてあると思います。

しかしその一方で、学術界を基盤にした翻訳というのも必要だとは思っています。地域研究と不可分な翻訳が基盤になっている部分はあると思いますので、それはしっかり存在した上で、よりソフトなかたち、受け入れられやすいものを考えていく必要があるだろうと思います。よく学者の訳は堅いということを言われますので、いかにも原文のこれを正確に訳しましたというのではなくて、文学の楽しみが分かるような訳文をつくるということ、そういった自分の足元のことからやっていくということかと思います。

東南アジア域内の文学事情

近谷ASEANや東南アジアは経済的につながっているからかもしれませんが、出版や文学に関しても域内でぐるぐるやっていると感じるんですね。さっきお話ししましたようにアメリカでも東南アジアの作品が翻訳され始めているので、多分東南アジアの中でも、だんだん世界に目を向けようという機運が生まれてきているタイミングでもあるように思います。

福冨:「域内でぐるぐる」どころではないかもしれません。実は東南アジアにも「東南アジア文学賞」と呼ばれる文学賞が存在しています。1976年にタイ発で始まった文学賞で、今では一応、ASEAN10か国が毎年各国で賞を選ぶことになっていますが、受賞作品が各国語に翻訳されることはほとんどありません。ほとんどタイの文芸関係者が自国で盛り上がるための文学賞になっています。タイは周辺諸国より面積も大きいし、経済的にも発展しているせいでプライドが高いところもあり、十分に交流が行われているとは言えない状況です。

むしろ、英語圏に出ていったり海外のブックフェアに参加するようなタイの作家が、そこで東南アジアの作家に出会うといったことが起きているみたいですね。あとはタイ国内でも、東北タイの作家がラオス語に近い方言を標準タイ語に混ぜて書いたり、マレー語圏の南部の作家がマレー語の言葉をタイ文字にして書いたりなどということがあります。そういう国内の多言語文学状況が、標準タイ語一辺倒の規範を揺るがしている、というのはありますね。

及川:それぞれの民族の言葉で書かれたマレーシア文学を、他の母語の人がどれぐらい読んでいるのかというと、マレー語は全員国語として習っているはずなので、学校教育でマレー語の文学にアクセスする機会はある程度あると思います。ただそこから先、学校教育の外でも読むかと言うと、やはり自分たちにとってアクセスしやすい言語で読むのがほとんどでしょう。華人だったら中国語、または英語ですね。華人の研究者の中でも、中国語とマレー語両方で執筆していて、自分の文学的啓蒙はマレー語の国民的作家であるウスマン・アワン(Usman Awang)だとおっしゃっている方もいたりするので、このレベルの人は何でも読むと思いますが、一般の読者はある程度言語別に分かれています。ただこの状況を良しとせず、共通のものが欲しいと思う人たちももちろんいます。数年前に、中国系マレーシア人作家の書いた英語、マレー語、中国語の作品をアンソロジーとしてまとめるために、全てを中国語に訳して1冊に収録するということがありました。

では東南アジアの他の国の作品をどれくらい読んでいるかというと、やはり翻訳の問題があるので、文学好きの人が英語に訳されているものを読むことはあると思いますが、マレーシアでタイの作品がベストセラーになったとか、フィリピンのスリラーがヒットしたという話を聞いたことはありませんね。

近谷:マレーシアで華人はマイノリティであるがゆえに、マレーシアの華語の作家たちが、中国語が公用語のひとつであるシンガポールに表現の場を求める、そういった越境はあるんですか。

及川:マレーシア出身でシンガポールで執筆をしている作家はいますが、シンガポールの中国語文学の市場がマレーシアより大きいかというと、やはり人口が少ないので限られます。そしてシンガポールでは、出版物は圧倒的に英語が強い。中国語の書店や出版社も、えっ、あのお店もうなくなっちゃったの、ということもしばしばありますので、そういう意味では厳しい状況だと思います。英語にしても、出版にせよ販売にせよ、シンガポールは負荷の大きい環境のようです。

言語的には英語が強いですが、人口の比率でいうとシンガポールは華人が圧倒的に多く、マレー系の住民がマイノリティです。最近翻訳が出たアルフィアン・サアットの『マレー素描集』(書肆侃侃房、2021)という作品は、そういったマレー系シンガポリアンの目から描かれたシンガポールというのが映し出されていて、マレーシア華人文学と併せて読むと、なかなか対照的な側面もあったりして面白いです。ちなみに台湾でも中国語訳が2020年に刊行されていますが、シンガポールで学位を取ったマレーシア出身の研究者が翻訳を手がけています。

福冨:なるほど。マレーシアでは、言語別に線引きがされた多言語社会のなかで、なんとかつながろうとする試みがある一方で、国民国家という枠組みから飛び出したところでも別にネットワークが作られているということですね。国内では標準タイ語が圧倒的に多く、国外でタイ語を話す人の数は少ないタイの場合とは違いますね。「東南アジア」とひとくくりにすることの難しさや傲慢さを、あらためて突きつけられたような気持ちです。

皆さん、本日はどうもありがとうございました。