「観る」と「読む」が促す文化受容―ファン・トゥー・ヴァン

Report / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(ベトナム)

ホーチミン市師範大学では、文学・言語学部に所属する学生・大学院生(1991年から2001年生まれ。内訳は女性67%、男性31%、2%は未回答)を対象とする小規模な調査を行った。回答者は全員これまでに日本文学に関するさまざまな科目を受講し、日本文学についてある程度の知識を有する。今回の調査で挙げられた、最も愛されている日本文学作品は以下の通りである。

  1. 『ノルウェイの森』(村上春樹)
  2. 『源氏物語』(紫式部)
  3. 『藪の中』(および芥川龍之介の一般的な短編)
  4. 『雪国』、『眠れる美女』(川端康成)(同数票)
  5. 『海辺のカフカ』(村上春樹)
  6. 『キッチン』(吉本ばなな)
  7. 『スプートニクの恋人』(村上春樹)
  8. 『美しさと哀しみと』(川端康成)
  9. 『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹)、『人間失格』(太宰治)、『容疑者Xの献身』(東野圭吾)(同数票)
  10. 俳句(作者多数)

対象とした学生の読書量はかなり多かったものの、邦画を観るかという問いに対し、「邦画をよく観る」と答えたのは21%で、70%が「あまり観ない」と答え、残りは「まったく観ない」あるいは「面白くなかったので、もう観ない」であった。

文学を映画化した作品を観るか、そして、映画を観て原作を読みたくなった作品はあるかとの問いに対しては、学生の回答にばらつきが見られた。『羅生門』(黒澤明監督)、『雪国』(豊田四郎監督)、『こころ』(市川崑監督)等のような金字塔的作品から実写化された映画に対し関心を示す者は少数いたものの、「テンポが遅すぎる」、「俳優の感情表現が淡白」、あるいは「白黒映画は魅力的ではない」との回答があった。また、『Love Letter』(岩井俊二監督)、『秘密』(滝田洋二郎監督)、『おくりびと』(滝田洋二郎監督)、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(廣木隆一監督)などの最近の作品を好む者もいた。

日本のアニメーション映画を非常に好むとの回答はさらに多かった。例えば『火垂るの墓』、『秒速5センチメートル』、『君の名は。』、『名探偵コナン』、『ドラえもん』などである。ベトナムの若者に最もよく知られている日本文学の実写化作品は村上春樹の同名の小説を映画化したトラン・アン・ユン監督の『ノルウェイの森』である。

調査結果によると、映画化された文学作品の原作と映画の鑑賞の順序としては、調査対象の65%が先に原作を読みたいと答え、12%が先に映画を観る、残りが「その時の状況・条件・目的に合わせてどちらを先にするかを検討する」との回答であった。そのうち、目的が娯楽の場合はどちらが先でもいいが、研究目的の場合は自分がより精通し、より多く鑑賞した経験のある領域から着手するという意見があった。

ホーチミン市師範大学調査会の画像

我々が調べたところでは、若者が「映画を観たあとに原作を読みたい」という理由には以下のものがあった。

  1. 映画鑑賞後、疑問点が残った(エピソードが複雑、あるいは字幕翻訳が誤っていたなどの)ため、原作を読んでストーリーをより完全に理解したい。たいてい映画よりも小説の方が登場人物の考えや状況がはっきりと説明されているので、読んだ方がわかりやすい。
  2. 小説を読む方が好きだから。映画のテンポに縛られることなく、考えたくなったらいつでも本を閉じ、目をつぶり、自分の想像力と感情を喚起して自分だけの映画を作ることができる。映画は限られた上映時間とテンポの範囲内でしか楽しむことができない。一方で長編小説、短編小説を楽しむのに時間の制限はなく、読み手次第である。
  3. 読書は、より個人的な感動や体験をもたらす。登場人物・ストーリー・舞台について読者は常に独自のイメージを持てるのであって、映画はこの点においていつでも満足できるというわけではない。
  4. 映画のストーリーが文学で表現されるとどうなるのか興味がある。
  5. 自分が気に入ったストーリーを別の方法でも楽しみたい。

もちろん、全ての映画が「観る」行為から「読む」行為への移行を促すというわけではない。調査対象となった学生からは、邦画が日本文学へ誘う要素として以下のような回答があった:

  • 心情のひだを深く表現している(全回答の36.5%)
  • 繊細な感情を表現している(全回答の21%)
  • 豊かな想像力と全く新しい世界を創造する可能性を表現している(17%)
  • 日本文化への興味を喚起する(10%)
  • これまで目にしたのとは異なる奇抜な登場人物(8%)
  • 美に対する独特な感じ方(3%)
  • 面白く、引き込まれるストーリーテリング(3%)
  • 本を読みたくさせる(1.5%)

つまり、観る者に内面の深みや繊細な感情を感じさせ、豊かな想像力をかき立て、新しい世界を築くことができる作品ならば、より関心を引くということだろう。例えばアニメーション映画『かぐや姫の物語』を鑑賞後に日本の古典が読みたくなり、日本文化について理解を深めたくなったという意見があったし、『君の名は。』の独創的な構想と繊細な感情表現が気に入ったという意見も多かった。特に『君の名は。』は、2016年にアニメーション映画が公開され人気を博し、その映画をもとに新海誠監督自らがライトノベルを執筆したため、これ自体「観る」から「読む」への移行プロセスを体現している作品でもある。

一方、「観る」から「読む」、そして「読む」から「観る」への移行は常に結びついている。なぜなら、読んで個人的な感想をもったのちに映像化作品を観ると、読んでいたときに見落としていた要素に気づいたり、他人(脚本家や監督)の視点からストーリーを捉えることによって理解が深まったりする場合が少なくないからだ。

調査ではまた、学生が日本文学や邦画を鑑賞する際の課題についても知ることができた。

  • 日本語がわからない(28%)
  • 難解に感じる(28%)
  • 紹介してくれる人があまりいない(15%)
  • 表現方法が普通と違う/異常(9.5%)
  • 映像にアクセスできない(8%)
  • 書籍・資料が少なすぎる(7%)
  • つまらなく、退屈に感じる(1.5%)
  • 日本文化に対して偏見があった(1.5%)
  • 日本文学が好きではない(1.5%)

これまで教えてきた経験に今回の調査結果を加味して次のようなことが言える。

第1に、現時点において日本文学は邦画よりも普及し、関心を寄せられている。したがって調査に参加した学生は文学作品を読んでから関連の映画を探すという傾向がある。とは言え今のオーディオ・ビジュアルとデジタル・テクノロジーの時代においては「観る」から「読む」への方向性もポテンシャルが高い。この問題についてはさまざまな見解があるものの、総じて文学の利点は読む者のために想像空間を創り出し、映画の長所は、観る者の目前に想像空間を提示すると言えるだろう。この2つのプロセスはお互いに補完し合い、鑑賞者に最高の審美効果をもたらすことが可能だ。

第2に、観る行為と読む行為は、直接的にも間接的にも互いに影響を及ぼす。直接的な影響とは、作品を観た者が原作を読みたくなること、またその逆である。間接的な影響とは、観る行為と読む行為による相互作用が、必ずしも同じ作品上で起こらないことだ。映画は、その視覚効果という利点によって作品の文化的価値の理解をより迅速かつ容易に促すことができ、小説では行間に隠れているような微妙なメッセージを把握する助けともなる。例えば『となりのトトロ』を観た学生は、日本人と森との緊密な関係をより理解でき、そこから『ノルウェイの森』の中で主人公のトオルが療養所「阿美寮」にいる直子に会うために森を抜けていくときの心情を感じ取れる。同じように、小津安二郎や成瀬巳喜男の映画作品を観ることは日本人の生き方や性格の特徴を感じ取る一助となり、そのことから日本文学に対する「難解だ」という心理的な垣根が取り払われるだろう。

第3に、「観る」から「読む」へスムーズに移行するためには、映画や文学に関する紹介やガイド情報が不可欠である。例えば信頼できるソースが発信する紹介記事や短い動画、あるいは専門書ならなお良いだろう。このような資料はベトナムにもあるものの、一貫性がなく断続的で、組織的・体系的に紹介されておらず、社会全体には広まっていない。多くの人がアクセスできるよう、日本文化一般から邦画・日本文学作品までを紹介する専門のサイトを作る必要がある。

第4に、日本文学と邦画の受容はどちらも文化受容の範疇であるが、日本文学について教えてきた経験から、学生に伝えるのが難しく、そして学生もわかりにくさを感じる3つの点に私は気づいた。その3点とは、源氏物語に代表される中世の貴族世界の精神構造やふるまい、時代ごとの日本人の心情、そして日本文化における美に対する独特の感性である。このような文化の違いは、次の2つの基本的な条件——ベトナム経済と文化の発展、日本文化や日本についての研究がベトナムにおいて広がること——によって乗り越えられるだろう。この2つの条件が満たされたとき、ベトナムと日本との文化交流はよりスムーズで親密となるだろうと考える。

ベトナム語からの翻訳:秋葉亜子


ファン・トゥー・ヴァン
2010年に復旦大学(中国・上海)を卒業、博士号取得。現在ホーチミン市師範大学にて、東アジア文学研究者・講師、外国文学プログラム修士課程指導教官、外国文学科長、文学・言語学部副学部長を務める。「源氏物語における中国文化の要素とその文学的意義」(2012年)、「村上と『グレート・ギャツビー』」(2015年)など、複数の学術誌に論文を発表している。