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壊滅したカンボジア映画に歩み寄る、日本ポップカルチャーの一歩

Report / カンボジア日本映画祭

独裁政権によって破壊された「カンボジア映画」の黄金期

面白いことに、このような文化芸術省大臣・プーンの考えは、主催者である国際交流基金アジアセンターの目標とも重なる。

作田:われわれの目的は、日本の製品や作品の輸出を推し進めることではありません。むしろ、文化的な側面から日本のイメージを一新する試みをしたいのです。たとえば国際交流基金では、19年前の1997年から、毎年オーストラリアのシドニーでも日本映画祭を開催しているのですが、いまでは日本に関心がない人でも、同映画祭の存在は知っている。このように、2つの国につながりがあるという事実を生活のどこかで意識する状況を生み出すことが、重要だと考えています。

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カンボジア日本映画祭の会場となった国立チャトモック劇場

 製品や日本食、伝統文化は知られていても、ポップカルチャーはほとんど知られていない。そんなカンボジアにおける日本の立ち位置が見えてきたが、その認識の薄さは逆に、日本から同国へのまなざしにおいても同様だ。カンボジアで韓国や中国の映像コンテンツが人気を得る一方、それが自国の映画ではないのはなぜなのか。つまり、カンボジアにおける映画産業はどのような歴史と状況を持つのか、私たちはほとんど知らないだろう。

同国の歴史的映像資料の収集保存および映像制作者の養成活動を行う「ボパナ視聴覚リソースセンター」の荒井和美によれば、カンボジアでは1960年から1975年にかけて、映画産業の黄金期があった。自身も映画制作に関わっていた当時のノロドム・シアヌーク国王の庇護のもと、この時期のカンボジアでは15年間で約400本の映画が制作され、プノンペン市内には30館ほどの映画館が存在したという。ジャンルではファンタジーが人気で、映画は市民の唯一の娯楽だったが、1975年のクメール・ルージュ政権の誕生によって、この状況は一変する。

荒井:クメール・ルージュ政権がプノンペンを掌握して以後、文化芸術としての映画は禁止され、黄金期の映画のほとんどが失われました。映画制作者や俳優は虐殺の対象となり、生き残った映画人は国外への逃亡を余儀なくされたんです。唯一、プロパガンダ映画の制作は推奨されましたが、政権幹部内には技術がなかったため、撮影はその種の映画制作に長ける同盟国・中国の主導で行われました。内容は革命の正統性を喧伝するもので、上映された際、鑑賞者には拍手や笑顔が強要されました。

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カンボジア プノンペン市内

 こうした状況はその後の内戦による混乱の時期を経て、和平協定が調停された1990年代初頭まで続いた。それから約4半世紀、映画産業は徐々に復興の兆しを見せつつあるものの、「制作予算や機材だけでなく、教育機関や人材の圧倒的な不足のため、良質な国産映画を安定的に制作する状況にはいまだない」と荒井は言う。このようなカンボジアにおける文化的継承の欠如、映像関係者の経験値の低さを眺めれば、同国で日本映画の存在感が薄いことは、単に日本のコンテンツ輸出者の努力不足とは言い切れない。カンボジア日本映画祭の出品作『千年の一滴 だし しょうゆ』の監督であり、若手カンボジア映画制作者や学生の人材育成のため、今回現地で講演およびワークショップを行った柴田昌平に聞いた。

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柴田監督と映画祭ボランティアスタッフの学生たち※

  柴田:日本の映画制作が、アジア諸国の観客も視野に入れるようになれば、脚本やキャスティング、撮影や編集の方法も変わるでしょう。それは魅力的な作業ではありますが、あらゆる面で負担の大きな作業でもあります。その手間の煩雑さや予算の問題が、日本の映画プロデューサーをアジア各国への輸出から遠ざけてきた一因ではないでしょうか。一方、韓国の映画・テレビドラマの場合、政府が国家戦略として映像輸出を後押しし、制作者側への資金的なリターンを補っています。このようなスキームの変化か、あるいは現地の変化がなければ、状況は変わらないと思います。

爆発的な経済成長を見せるカンボジアで、日本のポップカルチャーが踏み出した「新たな一歩」

海外の作り手との共同制作の経験も豊富な柴田が指摘するのは、輸出先の国が輸出元にとって「発信してもリターン(収益)が小さい場所」、つまり輸出先として魅力的でない場所であった場合、民間のビジネスの力だけでは限界があるという側面だ。この指摘は、カンボジアで活動するクリエイターグループ「Social Compass」代表、中村英誉の以下の発言とも響き合う。

中村:日本のコンテンツが海外に伝わりづらい理由の1つは、現地メディアへの投資を長期的な視野で行ってこなかったことにもあります。カンボジアの人気テレビチャンネル「My TV」のコンテンツの多くは韓国のものですが、韓国の場合、安い放送料で莫大な量のコンテンツをアジア諸国に大量投下してきた国策の成果が大きいですね。投資的にメディアを押さえなければ、日本の印象は薄いままでしょう。

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カンボジア プノンペン市内

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カンボジア プノンペン市内

 今回の取材中、プノンペン市内を回っていて、その活況ぶりに驚かされた。商品や食べ物が雑然と並ぶ昔ながらのマーケットがある一方、そこから車で数分も行かない場所では、湖を埋め立てた更地にタワークレーンがそびえ、現地の富裕層や外国人向けのラグジュアリーホテルや高級マンション、ショッピングモールが林立する。そんな光景を目の当たりにした。つまり、グローバル資本が流入している現状に見た経済成長の可能性から言えば、カンボジアには十分、輸出先としての魅力がある。ただ、そこにより強い確証がなければ、日本の輸出関係者が動きにくいことも事実だろう。

韓国や中国では、その「一歩」を国が支えることで、市場をある意味「力技」で開拓してきた側面があるわけだが、良くも悪くも国と民間が切り離された日本では、そうした試みが行われにくかった。だからこそ、必ずしも営利的なリターンを必要としない国際交流基金のような機関による、地道な「一歩」が持つ意味は大きいだろう。そうしてはじまるカンボジア日本映画祭。当日、その会場にはどんな風景が広がるのだろうか。