実は民俗芸能も変わっている 武藤大祐×小岩秀太郎対談

Interview / 三陸国際芸術祭

いろんなアーティストが口々に「民俗芸能」と言いはじめているのが興味深かった。(武藤)

―三陸国際芸術祭は、「民俗芸能」をテーマにした一風変わった芸術祭ですが、なかでも「習いに行くぜ!」は、より深く民俗芸能やその土地を理解することができるプログラムとして注目を集めていますね。

武藤:「民俗芸能をリサーチしたい」という声が、特にコンテンポラリーダンサーのほうから聞こえてきて、流行っているのを何年も前から感じていたのですが、震災後さらにその流れが強くなり、三陸国際芸術祭によって目に見えるかたちになった気がします。いろんなアーティストが口々に「民俗芸能」と言いはじめ、「なにが起きているんだろう?」というのが興味深く、背後にもっと大きなモチベーションがあるのではと考えていました。

―「大きなモチベーション」とは?

武藤:「型にはまりたい」ということを話すダンサーが多いんですよね。コンテンポラリーダンスは、公演を行う際にゼロから新しい作品を生み出し、よりよく伝わるように仕上げていく。その作業は自由に見えて、とても孤独で辛いものです。そういった孤独な作業だけでなく、地域住民と濃密なコミュニケーションを取りながら、はっきりとした「型」を身につけ、他者と関わりを持てるダンサーになりたいという欲求があるのかもしれない。

―つまり、いまのダンサーたちは寂しがっている?

武藤:短くまとめるとそういうことでしょうか(笑)。振り返ってみると、かつてないほど「踊り」を個人レベルで考えるようになったのが、日本のコンテンポラリーダンスの特徴だったと思うんです。たとえば、1960年代の暗黒舞踏は、いかに「国」や「伝統」から切断するか、共同体と距離を置くかが大きなテーマでしたが、否定的にとはいえ、共同体を意識していたんですね。しかし1980年代以降、ダンスは「個」の表現となり、「伝統」「共同体」に対して否定すらもしなくなっていく。そして、そのようなコンテンポラリーダンスが、2000年代後半に失速してしまったんです。そこで、あらためて「誰と関わりを持つのか」というテーマ、「伝統」や「共同体」との関係を探るという動きが出てきたんじゃないかと思っています。

インタビュー中の写真1

武藤大祐

 ―ダンサーたちが、ある種のコミュニティーを求めていて、その1つとして「民俗芸能」があったということですね。一方、全日本郷土芸能協会(以下、全郷芸)で活動する小岩さんは、コーディネーターというかたちで三陸国際芸術祭に参加されていますね。

小岩:三陸国際芸術祭プロデューサーの佐東範一さんと、以前から「習いに行くぜ!」の構想を話していたんです。コンテンポラリーダンサーが民俗芸能に関心を示しているのに、その入り口がない。民俗芸能という「踊り」とダンサーをつなげられないかというお話でした。

―小岩さんはそのような要望を聞いて、どう感じたのでしょうか?

小岩:民俗芸能側にも、自分たちのことを伝えたいという想いはずっとあったんですが、伝える方法が古くなっていたんです。ぼくらは文化芸術やコンテンポラリーダンスの世界とは無縁でしたが、自分たちのやっていることは、ある意味ダンスと捉えられなくもない。だから、じつはぼくらも以前から、ダンサーの人たちと関わりたいと考えていたんです。「なにもないところから生み出して発信していく」という姿勢を学びたいと思っていた。けれども、関わり方がわからなかったので、ラッキーだったと思います。