実は民俗芸能も変わっている 武藤大祐×小岩秀太郎対談

Interview / 三陸国際芸術祭

「ぼくらは、文化財だからすごいんだ」とか、変な知識や誇りを持ってしまったんですよ。(小岩)

―ただ、コンテンポラリーダンスという異物が入ってくることで、民俗芸能に何らかの変化がもたらされる可能性があります。長年受け継がれてきた芸能にとって、そんな影響は受け入れられるものなのでしょうか?

小岩:以前は違いましたが、ぼくは受け入れられると思うようになってきました。というのは、1950年に文化財保護法が成立し、1975年の法改正で、人々が日常生活の中から生み出し継承してきた民俗芸能が「重要無形民俗文化財」として指定され、民俗芸能はある意味「変えちゃいけないもの」となってしまったんです。でも、自分たちの生活の一部として民俗芸能をやってきた人たちにとって、国が決めた「無形民俗文化財」なんて関係ないはず。それなのに「このままだとなくなってしまうから」ということで、教育委員会や国が補助金を出し、その補助金を獲得するために「保存会」を作るという流れになる。「文化財」としてこれまで数百年続いてきたんだから、その宝物を変えちゃいけないでしょうと。ぼくもその言葉にどこか絡め取られてしまっていたんですね。

インタビュー中の写真2

小岩秀太郎

 ―民俗芸能を「保存」する動きは、戦後に生まれたものだったんですね。

小岩:そんな時流によって、どんどんと凝り固まった時代がこの数十年だったのではないかと思います。言い方は良くないですけど、生活のなかでやっていればよかったのに、「文化財」や「保存会」という名前がついたことで、逆に自分たちも変な誇りを持ってしまった。「ぼくらは文化財だから他のところよりもすごいんだ」とか「千年も前からやってるんだ」とか、変な知識を入れちゃったんですよ。ぼく自身、そのような価値観で育てられて「鹿踊(ししおどり)」をやってきました。でも、全郷芸の仕事で日本全国の民俗芸能に触れるうちに、芸能は地域住民みんなで作り上げてきたものであり、いまも生きているものである、と考えるようになったんです。

―民俗芸能が「いまも生きている」というのは新鮮な言葉ですね。

小岩:たとえば、三陸沿岸部で踊られている「虎舞」は、いわゆる民俗芸能と呼ばれているものですが、カッコいいから、地域のみんなが結束するためのツールになるという理由で10年前からはじめた集落もあるんです。彼らは初代なので、自由に虎を工夫し、現代風の眼玉をつけたり、黄色ではなく白い虎にアレンジすることもできる。そうやって、自分たちがやってみたいという欲求から芸能を生み出していくのもアリなんですよ。守るだけじゃ意味がない。そういうのを見ているうちに、芸能や祭りは、いま生きている人たちにとって必要なものなんだと感じたんです。

向川原虎舞の写真

向川原虎舞(岩手県大槌町)の様子 撮影:公益社団法人 全日本郷土芸能協会

―芸能も人々も、「生きている」から、変質することも受け入れられる、と。

小岩:とはいえ「虎舞」の命は大漁祈願であり、お祭りに出ることは「こんなに元気なんだ」という姿を見せる場だということも彼らはわかっています。村の外で暮らしていても、祭りの日に虎舞を踊れば「元気で帰ってきた」という話ができるという役割も理解しているんです。

―本質を理解しつつ、変化させているわけですね。ところで、地元の人々は幼いころから祭りのたびに芸能を訓練していますが、「習いに行くぜ!」は、限られた時間内で、それを習いに行きます。長い時間をかけてようやく習得する民俗芸能をよそ者が踊るなんて……という批判も出てきたりしませんか?

三陸国際芸術祭の写真1

三陸国際芸術祭

小岩:伝承しているぼくらだって、もう現代人の身体になっています。集落でも、みんなが田んぼや狩人をやっているわけじゃないし、よそ者だから絶対にできないとは言い切れませんよね。ぼくらが昔からの身体ではないということに気づいている以上、そこにこだわりすぎてはいけないんです。逆に、ダンサーさんたちの身体の動きや、教え方、習い方のノウハウを民俗芸能の人たちが学べる機会にもなっているんじゃないかと思います。

―習いに来てもらっているけれど、逆にダンサーたちが持っているノウハウを教えてもらえる双方向な場にもなっているんですね。

小岩:小さい子どもたちも、ダンサーの動きを見て「すごい! あんな動きは絶対できない」って目を輝かせています。特に子どもは、身体のリズムやバランス、沈み方など、身体の使い方の「引き出し」をもらえるんですね。

武藤:「三陸国際芸術祭2015」のメインプログラムで、「習いに行くぜ!」の参加者と岩手県大槌町の人による臼澤鹿子踊を見たのですが、素人目には誰がダンサーなのか、地元の人なのかわからなかった。完全に同化していたんです(笑)。「習いに行くぜ!」がおもしろいのは、ダンサーが身体をまるごと貸しちゃうこと。一方的に教える、教わるという関係ではなく、身体ごと巻き込まれてしまうことで、関係がどう展開していくのか予見できない可能性を秘めていると思います。