スクリーンに広がる多様なアジアの地域性
――今回TIFFで上映された皆さんの作品では共通して、都市部から少し離れた郊外の地を舞台にしています。中でもイスマイルさんの作品はロードムービーということで、インドネシアの地方性をよく描いていました。自身の作品の中で描く地域性について、意識的に取り入れているのかなど、こだわりがあれば教えてください。
バスベス:私は映画で出来る限り現実の世界を見せたいと思っています。自分が住むジョグジャカルタもとても大きな町で、30分から1時間ほど車を運転すれば海にも行けるし、農園もあり、モダンな一面もあれば伝統文化も共存していて、境界線がはっきりとあるわけではありません。その現実を皆さんに観ていただきたいと思いました。本作では、主人公の父子の世界というのが始めは非常に狭い世界、お互いを理解し合えないという狭い世界なので、カメラもこの二人の世界に絞り込みました。それが、だんだん理解し合えてくるとお互いの視野が広がるように、カメラの目線ももっと周りの環境をとらえて、二人の関係が変化していく様子を描くことを意識しました。また、彼らが目指すヒラル(ラマダン明けの新月)も、残念ながら高いビルが多い都会では見られませんが、田舎のほうに行けば見ることができる。広い視野で見ることができるということを表現しました。映画の中では、2つの文化が存在する現実の中でのイスラム教というのを描きたかったので、このような手法をとりました。
ジャトゥランラッサミー:私が地方都市をロケーションに選んでいるのは、決してその美しさを売りにしているからではありません。『スナップ』では、同級生の結婚式のために主人公たちが学生時代を過ごした地方都市にたまたま戻ってくるわけですが、これは若者がバンコクから逃げてくるという意味も含んでいます。つまり、彼らにとってバンコクが現実であり、かつて地方で起きたロマンスもいま頭の中ではファンタジーになっているということを描きたいと思い、地方都市をロケーションに選びました。
サンタ・アナ:この映画の舞台となっているのは、マニラから2、3時間離れたパンパンガ州のカンダバという町です。この町には山や沼地、田んぼ、農園もあるし、アヒル農場が産業として残っている。かつてはマニラにもアヒル農場がたくさんあり、バイロスというメトロ・マニラの区画を中心に栄えていたのですが、都会化による汚染が原因でアヒルが住めなくなり、農場が地方に追いやられてしまったという経緯があります。主人公のジュンも、パンパンガ州で生まれ育ったものの、両親の離婚のせいでマニラに追いやられ、自分のルーツから離れた場所に生活を置いてきたという背景がある。パンパンガ州ではパンパンガ語という、マニラとは全く違う言語を使いますが、生まれ故郷に戻ってきたジュンは子どもの頃に話せていたその言葉も忘れてしまっているし、自分のルーツとの接点やアイデンティティをなくし、コミュニケーションをうまく図ることができない。その中で、父が遺したアヒル農場を生活の糧とする家族の生活を見ながら、ジュンはこの農場を売ってしまったら彼らの暮らしはどうなるのか、責任というものについて向きあわなくてはならなくなる。そして、自分のルーツや伝統のあるべき姿について考えるようになるのです。
この地方には11月から2月にかけて渡り鳥が集まってきて飛び立っていくのですが、これも一つのメタファーとなっています。つまり、アヒル農場が売られたら農場主のダボが自分の家族のために新しい場所を渡り歩かなければならない、またジュンもマニラからここに戻り自身のルーツに気づくという意味で、渡り鳥がそれを象徴しています。
――いま、自身や伝統のルーツへの回帰について話が出ましたが、コンデートさんも前作『タン・ウォン~願掛けのダンス』では、タイの若者の伝統離れについて触れていましたね。自身の作品を通して、自国の伝統文化やルーツについて意識することはありますか?
ジャトゥランラッサミー:タイにおいて、タイ文化のルーツに返るという活動は文化省が常に行っています。けれど私が思うに、文化というのはいつまでも同じであるはずがなく、常にアップデートされるもの。『タン・ウォン』は、そもそも何がタイ文化なのか? という疑問から始まりました。例えば、タイの若者がウィークエンドマーケットで買ったタイパンツを履いてK-POPを踊るという状況もあれば、コーンという伝統的な仮面劇やタイ音楽も残っているけど、それを昔のものとして見るだけでなく、世界の影響を受けて変化していることは認めざるを得ません。『スナップ』では、そういう意味で、現代のタイ人らしいライフスタイルを映し出しています。タイ語に “サバイ”という言葉があるように、タイの人々は楽な生活が好きです。最近よく見られる現象としては、SNSに自分の意見を投稿する人が増えており、彼らの人生に大きい影響力を与えているのですが、かと言って立ち上がって何か行動するわけではない。だから自分で勝手に考えてロマンチストになったり、人生から逃亡したり、思い出を自分で作り上げて満足しているというのが、タイ人の現状だと思います。少し前の世代であれば、大学を卒業してから仕事を通して自分を表現していましたが、現代の人たちはSNSで自分を表現することをとても大事にしています。でも、これは万国共通で一般的な現代人のライフスタイルも反映していますよね。
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- 3人が映画監督への道を切り開いたきっかけ