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人とつながりながら、ジャワから世界を踊る――エコ・スプリヤントインタビュー

Interview / Asia Hundreds

エンタテインメントは利用するもの

――米国帰国後の仕事は、テレビのショー番組、映画、エンタテインメント・イベントなど広範囲にまたがっていますが、こうしたもろもろは、あなたの中でどうつながっているのでしょうか。

エコ:こちらの方は、早く言えば「利用する」ということです。米国ではマドンナのショーにダンサーとして参加したわけですが、あるライターがワシントンの主要紙に私についての長い記事を書いてくれ、おかげで、帰国したらジャカルタの空港にテレビがおしかけていて、私はまるでセレブ扱いでした。その後もインタビューの機会がたくさんあり、そのたび、「私は伝統舞踊家で、ソロのISI出身で、UCLAでも学びました。だからこそ、マドンナのダンサーになれたんです。もし私のようになりたければ、ポップ・スターとの仕事は難しいことではありません。でも、そのためには、まず自分が何者であるかを知ることです。」と言いまくりました。テレビの仕事も増えましたが、いつも「私の振付でやりたいなら、私は自分のダンサーをポップ・シンガーのバックで踊らせることはしません。そちらのダンサーをソロに寄こして、3カ月間集中的に練習させなさい」と言っています。そして、「私自身に踊れと言うなら、ギャラはいくらです」と宣言します―結構な額です。そうやってテレビのダンサーを教えることで、私のグループのメンバーは家も車も持てるようになりました(笑)。映画でも同様です。最近、インドネシアでも「アメリカン・ダンス・アイドル」(米国の全米規模のオーディション番組)のような番組があります。国営テレビからこの番組のアドバイザーになってくれと頼まれた時、米国のコピーでなく、インドネシア的なアプローチをすべきだと提案しました。それで、全国から伝統舞踊のダンサーを募ることになりました。賞金も良いですよ。こんなことができるのも、マドンナや『ライオン・キング』にかかわって知名度を上げたおかげです。私が教えているソロのISIにも、学生が全国から来るようになりました。私が米国から帰国した頃はクラスは1つしかなかったのが、今は3つになっています。私はこの番組に出るたびに、出場者にこう言うんです。「ダンスのプロであるということは、修業がどうとか契約がどうとかの問題じゃない。生きていくために、あなたの家族を養うために、自分の才能を使えるかどうかなんです。」

コンテンポラリー・ダンスのいま

――さて、インドネシアのダンスの最大の特徴のひとつは、すぐれたコンテンポラリー・ダンサーの大半が伝統舞踊のバックグラウンドを持っていることだと思いますが、どうでしょう。

エコ:確かに多くのダンサーが伝統舞踊のバックグラウンドを持っています。エリ・メフリはパダン(スマトラ島)、マルチナス・ミロトやムギヨノ・カシドはジャワ、ジェコ・シオンポはパプアの出身ですが、みな、自分たちの伝統を問い直したり、再解釈したりしています。私たちの後の世代はまた少し違うアプローチをしていますが、やはり伝統から発していることは確かです。ハビトゥス(社会的に獲得された慣習的な行為)というものが自分の生まれた土壌からきていて、それが常に伝統的な文化であるからには、当然でしょう。ただ、重要なのは様式や見た目の問題ではなく、創造的なステートメントがあるかどうかです。伝統的なバックグラウンドがあろうがなかろうが、文化的アイデンティティがどうであろうが、自分自身の強固で創造的なステートメントを持っていなければならない。いま挙げたダンサーたちは、伝統的バックグラウンドという点では共通していても、独自の強いステートメントを持っている、それゆえにみんな違うのです。

アジアハンドレッズのインタビュー中のエコ氏と畠氏の写真2
写真:山本尚明

――いま何人かの代表的な名前が挙がりましたが、もう少し若い世代も含め、インドネシアの現在のコンテンポラリー・ダンスの状況をどう見ますか? また、教育についてはいかがですか?

エコ:サルドノと私はISI各校の大学院課程を受け持っているので、全国のISIを回りますが、コンテンポラリー・ダンスについては、私はいまは良い状況だと思っています。たとえば、ソロは才能ある若い世代に恵まれていますし、ジャカルタもそうです。最近西スマトラのパダンパンジャンに行きましたが、そこでも活発ないくつかのグループに会い、スラウェシでも何人かのダンサーに会いました。バリは伝統的な土地柄でコンテンポラリー・ダンスが盛んとは言えない中でニョマン・スラに期待がかかっていましたが、残念なことに先週、癌で亡くなってしまいました。ソロのISIにバリからきている学生がひとりいて、なにかしたいというちょっとクレイジーなところがあっておもしろいので、サルドノと、これから可能性を見ていくつもりです。サルドノとは『Cry Jailolo』の後、ISIの各校の配置は農耕文化的視点からのものだ、インドネシアは国土の80%が水に覆われているのだから、海洋文化の観点から、ジャイロロやパプアにもISIをつくるべきじゃないかと話し合っているところです。

――コンテンポラリー・ダンサーやコレオグラファーのネットワークはあるのですか?

エコ:それもいま考えているところで、自分の持っているリンクをサル・ムルギヤントに渡したところです。彼は何かスタートさせてくれるでしょう。

――サル・ムルギヤントはインドネシアの草分け的ダンサー・ダンス批評家で、かつて、ダンスの発展のためには、アーティスト、批評家、観客、制作者という4つの柱を持つ「ダンス共和国(Republic of Dance)」を構築しなければいけないと提唱しましたね。批評と観客は、東南アジア が抱える大きな問題のひとつです。

エコ:観客はできるだけ多くの作品と出会うことが必要で、インドネシアでは、フェスティバルなど発表の場は増えてきていると言えます。しかし、問題は批評家やライターの欠如です。サルは、ライターのグループをつくり、いろいろな公演やフェスティバルに派遣し、批評記事を書いてもらうという取り組みを始めようとしています。

――コンテンポラリー・ダンスと社会についてはどう考えますか?

エコ:コンテンポラリー・ダンスは、ヒューマニティ、つまり人間性に関するメッセージを持つべきだと信じています。ただ単に変わった作品をつくることは、私にとっては意味がありません。人間と結びついていて、何らかのメッセージを持っていて、その解釈が開かれたものでなければならない。そうでなければ、ダンスではなく、単なるムーブメントです。ピナ・バウシュは常々、「私は、人がどう動くかに興味があるのではなく、何が人を動かすかに興味があるのだ」と語っていましたが、これはまさに私がやりたいことです。優れたダンサーならば動くことはできる、でも、問題はその動きがどう人の心を動かすかです。

――最後に、次のプロジェクト、次の作品について教えてください。

エコ:ダイビングをいろいろなダンサーに体験してもらって、この不思議ゾーンをもっと開拓していきたいと思っています。重たいタンクをつけて水深30メートルに潜るとロボットになったようなもので、長く潜っているためにはなるべく体を動かさないのがダイビ ングの鉄則です。でも、自分で体験してみると、無重力の中では、それまで体験したことのない、思いがけないいろいろな動きができます。たぶん、ダンスの未来は水中にありますよ(笑)。作品としては、先に話したジャイロロのチャカレレという戦いの踊りを素材に、ジャイロロの年配の女性と作業したいと考えています。チャカレレは、昔は女性が踊っていたものなんです。もうリサーチはしてありますから、3月にまたジャイロロに滞在して、コレオグラフィーを始めます。2016年6月、ジャカルタでの初演をめざしています。

エコ氏と畠氏の写真

――今後の展開を楽しみにしています。長時間にわたってお話しいただき、ありがとうございました。

【2015年2月10日、ヨコハマ創造都市センターにて】


聞き手:畠 由紀(はた・ゆき)

お茶の水女子大学大学院博士課程(音楽学専攻)修了。同大学院修士課程在学中から国際交流基金のアジア舞台芸術交流事業にかかわり、1989年より国際交流基金のアセアン文化センター(後にアジアセンターに改組)、2004年より舞台芸術課の舞台芸術専門員として、アジアの現代舞台芸術の招へいと共同制作に携わる。2011年に退社し、現在Kiki Arts Project主宰。