タイのアートシーン20年の変遷とBACCの挑戦 ――ラッカナー・クナーウィッチャヤーノン インタビュー

Interview / Asia Hundreds

次の飛翔に向けて

吉岡:館長としての1期4年、事業面はどう振り返りますか?

ラッカナー:2011年から15年の第1期は、混乱している状況を整理していくことに努めました。皆が良い状態でスタートラインに立てるように、基礎的なところを整備する作業です。当初9名だったスタッフも、今では40名以上になりました。

吉岡:分野ごとの部署がありますか?

ラッカナー:はい。それぞれ特定分野を担当する部署を明確に分けました。今では良い体制が作れていると思います。2期目、5年目には、スタートラインから離陸し、飛び立てるようにしたいと思っています。
有能なスタッフとおもしろいアーティストとともに、自国文化芸術の振興と発展を確固たるものとし、彼らの作品を紹介する機会を作っていくことも重要だと考えています。今は、自国の文化を振興するプラットフォームを、国際的な文脈につなげていくべき時期にさしかかっています。地元のアーティストに新たなインスピレーションを与えたり、地元のアーティストを海外に派遣し、海外の文化・芸術を学ぶ機会を提供したりといった多様な文化交流事業を仕掛けていく努力をしています。

吉岡:タイのアーティストを海外派遣するプログラムもあるのですか?

ラッカナー:はい、少しずつ始めています。例えば、「ハン・ネフケン基金/BACC現代アジアアート賞」という国際プログラムがあります。タイ人アーティストに限らず、すべてのアジア人を対象としています。2年に1度、アジアのアーティストを1名選定し、プログラムに参加してもらいます。既に4年行っています。

吉岡:タイ人に限らないのですね?

ラッカナー:はい。アジアにはとても多様な文化の動きがあることを知ってもらうための国際協働プログラムです。タイだけでなくアジアのアーティストの胎動を感知してもらうために、2年に1度選考を行っています。賞の選考過程で多様な人々と協働することになるので、さまざまなネットワークが構築され、それらがまた、アジアのアーティストの国際的な認知度向上につながります。ベトナム、インド、韓国、日本、英国など域内を中心に、10名の方に賞への推薦者/選考委員を依頼しています。

インタビュー中のラッカナーさんの写真
写真:山本尚明

吉岡:日本からの推薦者もいるのですね?

ラッカナー:はい。何人かは欧州からもです。第1回「ハン・ネフケン基金/BACC現代アジアアート賞」では、長谷川祐子氏に選考委員をお願いしました。

吉岡:東京都現代美術館の長谷川祐子氏ですね。

ラッカナー:はい。第1回の受賞者は中国人アーティストでした。

吉岡:第1回はいつ開催されたのですか?

ラッカナー:2013年です。受賞特典のひとつは助成金の交付ですが、BACCでの2カ月のアーティスト・イン・レジデンスの提供もありました。BACCにはレジデンス用のスタジオがありませんが、近所のスペースを手配しました。

吉岡:受賞アーティストは、レジデンスの成果を発表することが期待されているでしょうか?

ラッカナー:はい。受賞アーティストは、レジデンスの後、本人が希望すれば、BACCで1カ月間の展覧会を開催することができます。 第1回の受賞アーティスト、周滔(Zhou Tao)氏のバンコク滞在時は、ちょうどタイの政治的な対立が激しくなっていたときで、デモ活動のピークでした。彼のために、BACCはスクンビット地域のアパートを手配したのですが、彼はそのアパートを全然使わず、デモ隊が寝泊まりしている路上で寝ていました。

吉岡:本当に? どのあたりですか?

ラッカナー:デモ隊は、民主記念塔近くのラーチャダムヌン通りを2カ月ほど占拠していました。周滔氏は、あきらかにその状況を楽しんでいました。彼は中国か香港にいたはずですが、東南アジアには来た経験がほとんどなかったため、私たちは彼のことをとても心配していました。しかし、彼は中国語を話せないタイ人と仲良くなり、そこで寝泊まりをすることにしたんです。とてもよく面倒を見てもらっていたようでした。デモの最前線というよりも、お寺のお祭りのような感じでしたからね。
彼は、とてもすばらしい経験だったと言っています。中国では絶対に経験できないことだから、と。中国で路上にいたら強制撤去されますからね。2カ月も滞留するなんて、あり得ません。タイは熱帯気候ですし、路上で寝泊まりしても問題ありませんが、中国では無理、寒すぎます。なので、彼にとっては本当に新鮮な経験だったようです。デモ隊占拠地ではコンサートもあったし、無料の美味しい食事もあった。気楽に暮らせたのです。彼は最終的に、そこでデモ隊の光を記録した映像作品を制作しました。「新しい太陽」であるかのように、彼はその作品を『Green Sun』と名付けています。とても成功した作品で、世界中のビエンナーレやアート・フェスティバルで展示されました。

インタビューに答えるラッカナーさんの写真
写真:山本尚明

吉岡:レジデンス・プログラムは、ビジュアル・アーティストのみが対象なのでしょうか?

ラッカナー:基本的には、ビジュアル・アーティスト向けです。第2回は南インドのアヌプ・マシュー・トーマスが受賞しました。2016年2月には、BACCで彼の滞在成果展を開催しました。

吉岡:舞台芸術の分野では、どんな事業があるでしょうか?

ラッカナー:最も規模の大きな事業は、年に1回開催し、2015年で4回目を迎えた「パフォーマティブ・アーツ・フェスティバル」です。このフェスティバルの傘のもとに、バンコク・シアター・フェスティバル(BTF)、国際舞踊祭、アジアトピア・国際パフォーマンス・アート祭があります。BACCは、スペースの確保に苦労している既存の各フェスティバルの主催者のために「場」を提供し、各フェスティバルを調整するファシリテーターの役割を担っています。すべてをひとつの大きなフェスティバルのなかに位置づけ、連絡調整や広報、観客動員等の業務をまとめて引き受けています。時には制作経費の一部を支援することもあります。

吉岡:つまり、これまでバラバラだったフェスティバルが「パフォーマティブ・アーツ・フェスティバル」というひとつの大きなフェスティバルに統合されたということでしょうか?

ラッカナー:その通りです。そのため、8月から12月というとても会期の長いフェスティバルとなっています。

吉岡:それは確かに長いですね。

ラッカナー:アジアトピアで2週間、国際舞踊祭で3週間、バンコク・シアター・フェスティバルで3週間。フェスティバルとフェスティバルの間の空いている期間に、個別のタイ国内外の舞台作品を入れて上演しています。

インタビューに答えるラッカナーさんの写真
写真:山本尚明

吉岡:ひとつのフェスティバルに統合する際、各フェスティバルとの、また、フェスティバル同士の衝突はなかったのでしょうか?

ラッカナー:ありませんでした。必要性から始めたものでしたからね。自分たちだけでは進められないので、パートナーシップを組んでいくことが重要だとの認識がありました。BACCでは、それぞれのフェスティバルが満足する形で日程調整ができるように腐心しました。借料等は徴収していません。完全に無料です。会場提供を通じた助成みたいなものですね。稽古のためにスペースが必要になった場合も、借料は徴収していません。普段よりも長い時間空調等を使うので、このフェスティバル期間中の電気代はばかにならないのですが、それもBACCが払っています。このような支援は必要であり重要だと考えるからです。

吉岡:それは本当にすばらしいことだと思います。積極的に前向きに助け合うという意味では、東京よりも進んでいる面があるかもしれません。
個別のフェスティバルは、それぞれ、バンコクで長い歴史があるものでしょうか? アジアトピアとバンコク・シアター・フェスティバルは聞いたことがありますが、国際舞踊祭については、恥ずかしながら聞いたことがありませんでした。

ラッカナー:はい。最初に、ワラーロム・パッチムサワット氏が立ち上げ、今も継続されているフェスです。彼女は元ダンサーで、10年以上国際舞踊祭を主催し続けていました。ただ、常設スペースがなく、バンコク都庁が支援すれば公園で、会場提供の支援が得られれば小劇場でという形で、年ごとに会場を変えなければならないなかでの継続でした。2012年にパフォーマティブ・アーツ・フェスティバルに統合されました。

吉岡:フェスティバルを構成できるほどのダンス・カンパニーがタイに存在しているのでしょうか?

ラッカナー:国際的なフェスなので、各国の大使館や文化機関からの支援や協力を得て、海外のダンス・カンパニーの招へい公演を中心にしています。

吉岡:なるほど、そうでしたか。バンコク・シアター・フェスティバル(BTF)は、どのようなものでしょうか?

ラッカナー:BTFも10年以上続いているフェスティバルです。キーパーソンは、プラディット・プラサートーン(トゥア)氏です。私は、彼が初めてBTFを開催したときからよく知っています。ここ2年ほどは、BACCのスペースと、プラ・アーティット通り近辺のスペースと、バンコク都内2カ所のスペースを拠点としていましたが、政治的な動乱時に、プラ・アーティット通り界隈にあるバーン・ランプー地域がデモ隊に占拠されてしまったことから、BACCのスペースを拠点としつつ、街中の小さいスペースと連携して開催するという今の方針に変わりました。
BTFの期間中は、プロの劇団、大学の演劇グループから新たな劇団まで、約30ほどの劇団やグループが集まって、BACCのあらゆるスペースで作品を上演します。オーディトリアム、多目的ルーム、スタジオ4(ブラックボックス)のほか、もっと実験的な方法で、BACCの建物内にあるレストランなどで上演することもあります。ですので、建物全体がとても活気づいた感じとなり、たくさんのお客さんが見に来るため、建物内のスペースを借りている各ショップもBTFをとても歓迎し愛してくれています。レストランなどはよく満席になります。とてもよいフェスティバルだと思っています。

吉岡:そして、アジアトピアですね。

ラッカナー:はい、タイのパフォーマンス・アートの第一人者であるチュンポン・アピスック氏が主宰するパフォーマンス・アート・フェスティバルです。彼はBACCの役員会メンバーでもあります。

インタビューの様子の写真
写真:山本尚明

吉岡:再びお伺いしますが、ピチェ・クランチェン氏は、BACCのプロジェクトに何か関わっていますか?

ラッカナー:2年前に、BACCで彼のパフォーマンスを上演しています。2015年には、タマサート大学のパーリチャート・ジュンウィワッタナーポーン先生の主導で「国際シンポジウム:ASEANにおける現代演劇とパフォーマンス」(共催:国際交流基金バンコク日本文化センター)をBACCで開催しましたが、そこでは、インドネシアのエコ・スプリヤント氏によるパフォーマンスのほか、ピチェ・クランチェン・ダンスカンパニーによる作品も上演されました。

吉岡:各事業の開催時期やスペースは、どのように配分しているのでしょうか?

ラッカナー:展覧会用に、1,500平方メートルのギャラリースペースが3つあります。これらのスペースは、展示部門キュレーターのピチャヤ・スパワーニット(エイム)氏のもと運営されています。3年ごとの方向性をアドバイスする展示委員会があり、どういう方向性で、何を展示したいか議論し、同委員会とともにすべてのプログラムを決めています。
舞台芸術については、前述したパフォーマティブ・アーツ・フェスティバルを開催していて、各フェスの開催時期の調整を行いながら、多様な人々と仕事をしています。同フェス以外の時期については、他団体のプロポーザルも考慮しながら計画を決めています。

吉岡:そうなのですね。では最後の質問ですが、BACC館長として2期目は特に何に力を入れたいと考えていますか?

ラッカナー:質の高い作品を提供できるようにしていきたいです。美術、映画、舞台芸術、どの分野であれ、スタッフのプロフェッショナリズムの追求と、深く掘り下げた研究調査の実践という意味合いにおいてです。
BACCの立ち上げ期は、建築面での工事・改装や、人員体制の整備、財政基盤の確立など、日々さまざまな緊急課題に直面していました。当時は、BACCのミッションに基づいて長期的な計画を考える時間とリソースを、あまり多く持つことができませんでした。今でもさまざまな課題がありますが、以前よりも環境が整ってきたこともあり、これまでに私たちが実践してきたことについての成功例、失敗例を総括し、何がこれからの挑戦であるかを考えます。文化・芸術分野のネットワーク拡大と様々なジャンルへの支援など、これまでに積み重ねてきた経験を活かし、タイ社会に生きる人々の、より充実した生活のために、BACCとして、どのようにどんな貢献ができるか考えていきたいです。
一方で、タイにおける先導的な文化・芸術施設として、バンコク都民が誇りを持てるよう、国際社会に向けてもアピールしていきたいと思っています。全体的な質の向上が鍵となってきています。

インタビューに答えるラッカナーさんの写真
写真:山本尚明

もうひとつは、都民の学びの場となることです。それが施設の目的のひとつとなっているため、タイ国内外の文化・芸術やその歴史に関心のあるすべての人の学びの場となる必要があります。また、人々が集まる場、多様な文化に触れられる場である必要があります。これが、私たちが力を入れたいと思っていることです。私たちの文化的な生活を向上させ、海外や他県からの訪問者とバンコク都民の文化的生活を豊かにします。
私たちは、事業を実施するときにはいつも、ちゃんと方針に沿っているか、横道にそれていないかを振り返らないとなりません。公的機関で働く場合にはとても重要なポイントです。事業実施後には事業を振り返り、目標達成に貢献したかどうかを評価する必要があります。
これまでのところ、BACCは一般の関心と支援を得ることにかなり成功していると思います。来館者数は右肩上がりです。でも、次なる課題は、「来館者のアートへの理解をどう深めていくか。セルフィーを撮ってInstagramにアップするだけの通行人としてではなく、鑑賞者として知識を広げ、理解を深めてもらうために何をすべきか」ということです。
BACCは、国ではなく都の施設として運営されています。正直なところ、私たちにできることはとても限られています。タイの文化省は、昨年か一昨年に、新たな法律のもと新しい助成プログラムを始めました。国際的に活躍し、よく知られたタイ人アーティストはたくさんいますが、タイ政府からの支援はとても限られています。国レベルの新たな助成プログラムが、タイ人アーティストのさらなる実践の機会を提供し、タイの人々が同じタイ社会から生み出された芸術作品をタイ国内で直接鑑賞できる機会が増えることを願っています。BACCとしても、そのような発展に貢献できるようベストを尽くす所存です。

吉岡:国際交流基金としても、文化交流事業を通じて貢献できたらと願っています。本日はどうもありがとうございました。

ラッカナー:ありがとうございました。

ラッカナーさんとと吉岡氏の写真
写真:山本尚明

【2016年2月9日、横浜創造都市センターにて】


聞き手・文:吉岡憲彦(よしおか・のりひこ)
国際交流基金バンコク日本文化センター所長。1999年~2004年、同センター所長補佐として、日本映画祭、展覧会、舞台公演等の事業を担当。2003年には、ダムタイプ『memorandum』をバンコクに招へいし上演。ベトナム日本文化交流センター副所長、アジアセンター文化事業第1チーム長代理を経て、現職。近年の主な担当事業に、草間彌生『Yayoi Kusama: Obsessions』展(ベトナム/2013年)、『Go! Go! Japan! Rock Festival』(ベトナム/2013年)、DANCE DANCE ASIA(日本・ASEAN各国/2014年~)、Ensembles Asia(日本・ASEAN各国/2014年~)など。翻訳に、プラープダー・ユン『座右の日本』(タイフーンブックス・ジャパン/2008年)、プラープダー・ユン『地球で最後のふたり』(ソニーマガジンズ/2004年)。