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タナポン・ウィルンハグン――デモクレイジーの挑戦:国際共同制作、そして「ゲーム」という戦略

Interview / Asia Hundreds

対話を重ねた国際共同制作

藤原:今の「振付」というお話を引き継ぐような形で、範宙遊泳とコラボレーション(国際共同制作)した『幼女X』について伺いたいと思います。あの作品のどこまでが範宙遊泳=山本卓卓さんの目論見であり、どこからがデモクレイジー・シアター=タナポンさんのアイデアなのか、観ている側にはもちろん完全には分からなかったのですが、役割分担のようなことは為されていたのでしょうか。

というのは、私はオリジナル版の『幼女X』も観ているのですが、デモクレイジー・シアターと一緒にコラボレーションしたバージョンは、そこから大きく異なる作品になっていて驚いたわけです。先ほど、ゲームのようなやり方で、とのお話がありましたが、まさにゲーム的な要素がコラボレーション版の『幼女X』には出ていましたね。字幕として壁に投射される文字が、俳優たちに司令を出している。彼らはその司令に従って、踊らされる。そこはやはりタナポンさんのアイデアが機能した部分なのかなと思ったんです。

インタビューの様子の写真

タナポン:そうですね。『幼女X』に関しては、卓卓さんとかなり長い時間をかけて多くの話し合いを重ねました。最初に卓卓さんがタイに来て1カ月間一緒につくり、その後、日本に渡って2週間ほど滞在して本番に臨んだと記憶しています。ハッキリした役割分担というのは実はないんですけれども、アイデアをシェアしながら、話し合いを重ねてつくっていきましたね。ただ、俳優の身体的な表現や動きについては私が主に担いましたけれども。

藤原:範宙遊泳が得意とする、プロジェクターを使って言葉を文字としてスクリーンに映す手法に対しては、どう感じましたか。

タナポン:特に違和感は感じませんでした。なぜなら、私は自分の作品でもプロジェクターを使ってテクストや言葉を表現してきましたから。ただ少し方法が違うのは、私の場合、投射するテクストは会話形式が多いのですが、卓卓さんの場合、会話というよりストーリーそのものを文字として投射するような使い方もしていますよね。

藤原:その、文字のプロジェクションという範宙遊泳の特徴、また登場人物であるハンマーを持った男の怒りや正義感……。そういったオリジナル版の要素が、あのコラボレーション版ではまた別の形へと再構成されていたように感じました。そしてそこに、タイに特有の文脈も流れ込んでいましたよね。例えばあそこで表現されていた怒りが、タイの社会の現状に向けられた怒りであるようにも見えたんです。それは当然、原作にはない要素ですが、やはり、タナポンさん自身が感じている怒りが込められていたと考えてよいのでしょうか。

タナポン:そうです。そしてあのハンマーはとても大切なポイントでした。卓卓さんに「どうしてハンマーにしたのか?」と訊いたら、彼は「オリジナル版ではこれは武器なんだ」と答えました。しかし私が疑問に思ったのは、タイでは危険な武器というともっといろいろな選択肢があって、例えば人が銃を所持するのも日本ほど難しくありません。ですから、どうしてハンマーなのだろうかと。そのことについてもかなりの話し合いを重ねましたね。

藤原:それは例えば、ハンマーの代わりに銃を持たせる可能性とかについて?

タナポン:ええ、他の武器にするのはどうか、とか。でも最終的にはオリジナル版の要素のひとつとして、やはりハンマーを武器として残そうということになりました。ただし、コラボレーション版では少し違う意味でも使われていますけれども、私にとってそれが力の象徴であることに変わりはありません。ポジティブな創造のためのツールとしても、破壊のツールとしても使えるのです。

インタビューの様子の写真

「ゲーム」という戦略

タナポン:他にも、オリジナル版と同じく、キャラクターの異なるふたりの俳優がいるという設定は残しましたが、その環境を全く変えて彼らをゲームのようなシステムの下に置いた、という点は大きく異なっています。

元の『幼女X』では、日本の社会やシステムに対する問いかけを表したかったと卓卓さんから聞きました。特に、東日本大震災の後の日本の社会に焦点を当てたと。コラボレーション版でも、社会、それから権力への問いかけというテーマは同じです。しかしこちらはオリジナル版にあったようなストーリーは特にありません。社会やシステムをゲームとして可視化することによって、権力への問いかけを試みたのです。私たちは様々な権力の下に生きていますが、一体それが何の権力なのかということは、実は分かっていませんからね。

藤原:字幕によって時には理不尽な命令が下されるというあのゲームは、確かに得体の知れない権力の象徴のように思えました。ただタイの場合、検閲が公然とありますよね。その事実はやはり、『幼女X』にかぎらず、タナポンさんの表現の仕方に何かしらの影響を及ぼしているのでしょうか。

タナポン:検閲は、私の作品にとても大きな影響を与えています。タイの社会においてアーティストが作品をつくる場合、直接的な表現やコミュニケーションを用いることがなかなか難しいんですね。タイの国内では、少し遠回りをしたり離れたりといった表現をしながら、どうすれば検閲に引っ掛からないで伝えられるかという方法を考えないと、作品をつくっていけないのです。

藤原:そうなると、タナポンさんがゲームというスタイルを採用するのは、一種の抜け道であり、技術であり、戦略なのでしょうか。

タナポン:そうであるとも言えます。私たち人間はみんな、何かしらのシステムの下に生きているわけです。私にとってゲームというのは、従わなければならないとされる社会の規律やルールそのものだと考えています。例えば子どもがゲームをする時も、ルールに従ってやるわけですよね。社会も同じ仕組みだと思うのです。

インタビューに答えるタナポンさんの写真

藤原:範宙遊泳とのコラボレーションにおいて、苦労されたこととか、あるいは何かご自身の活動に影響を与えた部分はありましたか。

タナポン:苦労したことはたくさんあります(笑)。なんといっても、卓卓さんと私の演出の方法やスタイルは全く違いますからね。身体的表現に関しての信念も。やはりお互いに育った国や社会が全く違いますから、価値観や芸術鑑賞の体験も異なりますし、仕方のないことだと思います。

ただ、とても興味深いこと、そこから得たことも多かったのです。最初はお互いに全く理解し合えていなかったのですが、問題が起こるたびに対話を重ねたことで、最終的には、相手が少し動いただけでも何を考えているのか分かるようにまでなった。私が思うに、コラボレーションというのは、完成した作品というよりも、その制作過程こそが重要なのではないでしょうか。ふたりのアーティストがお互いから学び合いながら、理解を深めることができたというのは、素晴らしい過程だったと感じています。

海外での仕事で見えてきたこと

藤原:近年はドイツでもお仕事をされていますよね。

タナポン:ドイツでの活動はふたつあります。まず2016年6月、私の作品『Hipster the King』をテアターフォルメン ※英語サイトというフェスティバルで上演しました。それから、演出家としてカールスルーエ市立劇場 ※英語サイトに行ってコラボレーションをした『HAPPY HUNTING GROUND』という作品もあります。

テアターフォルメンには、カンパニーメンバーとして4名がドイツに行きました。デモクレイジー・シアターは作品によって関わる人が異なるのですが、『Hipster the King』に関してはその4名だったので。招へいされた最初のきっかけはTPAM2015で、テアターフォルメン芸術監督のマーティン・デネワルが『幼女X』を観てくれていたんです。その後、ドイツでの別のフェスティバルで彼女と再会して、その時にお誘いを受けました。

藤原:ということは、TPAMがそもそものきっかけになったということですね。

タナポン:そうです。それが始まりですね。

藤原:ドイツでの反応や手応えはいかがでした? タイとも日本ともまたかなり環境が異なりますが。

タナポン:反応は大変良かったです。ドイツの観客は批評的に考えるところがあって、私のコンセプトとは非常に合っているんですね。政治や社会に対する考え方にしても。これは恐らく、彼らが批評的思考の社会にいるからでしょう。能動的な観客を求める私の作品に対して、彼らは考えたり、彼らなりの解釈をもつことを恐れません。

藤原:それからもうひとつ、ドイツでコラボレーションをされた『HAPPY HUNTING GROUND』は、テアターフォルメンの後の話ですか?

タナポン:実際に上演したのはその後(2016年9月)だったのですが、そのための話し合いが始まったのはテアターフォルメンの上演よりも前でした。カールスルーエ市立劇場とのコラボレーションです。私は演出家として招かれました。出演者は、ダンサー兼パフォーマーのタイ人女性4名と、劇場付きの俳優のドイツ人男性2名でした。タイの俳優をドイツに連れていくのと、ドイツの俳優がタイの私たちの劇場に来るのと、ふたつのパターンを経て創作し、両方の劇場で上演しました。また、ドイツのドラマトゥルクとも一緒に仕事しました。

経緯はというと、最初はドイツ人のジャーナリストで批評家のユルゲン・ベルガー氏から、私の作品をドイツで上演したいというお話がありました。その後に国際共同制作にしようという話になったんです。最終的にはインタビュー形式のドキュメンタリー演劇になったのですが、そのテクストを書いたのはドイツ人です。

藤原:ドイツでは、ドラマトゥルクや俳優は、劇場のしっかりとしたシステムに組み込まれた存在ですよね。さらにテクストもドイツ人が書いたとなると、タナポンさんにとってもまた新たなチャレンジだったかと思いますが……。

インタビュー中の聞き手、藤原氏の写真

タナポン:様々な問題はありましたが、とにかく話し合いを重ねて、私のやり方を伝えて理解してもらうように努めましたね。同じ方向へとみんなが一緒に歩いていかなければならなかったので……。ただ、とても幸運だったのは、一緒にリサーチや選択をする役割であるドラマトゥルクのサラ・イスラエルがしっかりしていたので、彼女が私を支えるパートナーとなってくれました。彼女は、プロジェクトに関わる全員にとって友達のような感じで、オープンに話せる存在でした。俳優と軽くおしゃべりをしたり、私の考えを俳優たちに明確に伝える手助けをしてくれたりしました。

藤原:演出において身体にこだわりのあるタナポンさんには、ドイツの俳優の身体の在り方はどのように映りましたか。

タナポン:タイ人とは体格からして全然違いますからね。タイ人のほうがデリケートで脆い感じはあります。ただ、見た目は華奢ですが、タイの俳優のほうが忍耐強いとも思いました。

藤原:おお、むしろドイツの俳優はプロフェッショナルな意識が強いようなイメージがあるのですが、ドイツの俳優は忍耐強くなかったんですか(笑)?

タナポン:身体的な忍耐力という意味ですね。ドイツの俳優は何か身体を動かしてもらう前に、まずこちらから意味を説明して、それで理解しないと動かないんです。しかしタイの俳優の場合、理解しているかどうかよりも、まずはやってみる、という精神がありますから。私の創作のプロセスでは、いつもたくさんのマテリアルをつくっては捨て、いま実践しているコンセプトとは一見関わりの無さそうな異なるアイデアを試します。そして、なぜこんなナンセンスなことをやってもらいたいのかということを、パフォーマーたちに強く説明します。以前一緒に仕事をしたことのあるタイのパフォーマーたちは、私の頭や内臓のなかにあるものを可視化するためには助けが必要で、それによって私が私の見ているものから先へ進める、と知っているのです。

藤原:なるほど、先ほどの範宙遊泳とのコラボレーションも含め、そうやって様々な文化や価値観に触れることは、タナポンさんにとってきっと大きな経験になったのだろうと想像します。ドイツでのふたつの経験を経て、タイに戻られた時に、何か認識の変化はありましたか?

タナポン:ものすごく大きな変化があったということではないんですけれども、そうやって他の方々と仕事をすることによって、自分がそれまで怖いと思っていた領域にまで足を踏み入れるような勇気が出てきたと思います。

インタビューに答えるタナポンさんの写真

今後のビジョン

藤原:これまで様々な活動を各地でされてきて、今回もこうしてTPAMにまたいらっしゃっていますね。今後もタイの国内にかぎらず国際的にも活動されていくと思うのですが、何か現時点でのビジョンがありましたら、最後にぜひお聞きしたいのですが。

タナポン:今、2018年に上演する予定の新しい作品をつくっている最中です。私が今、興味を持っているのは「右翼」ですね。地球は様々な変化の中にいて、いろいろな国において社会的な問題が起こり、転機が訪れています。例えばイギリスがEUから脱退したり、アメリカではトランプ大統領が就任したり、日本も自衛隊の問題がありますし、タイも軍事政権の問題、あとは各地で難民の問題などが起きています。私は、世界は中世の時代にまた戻ろうとしているのではないかと感じているのです。

そこでこのまま本当に将来、中世に戻るような時代が来てしまったら……例えば40年先のコンテンポラリーダンスはどんな形になっているのだろう、と想像しました。そして40年後のコンテンポラリーダンスを今の社会で上演したら、観る人はどう思うだろうと考えたのです。ダンスというのは、その時代や社会と共に変化を遂げていくものです。それでは未来のダンスを今上演するとなると、現代の観客は何を感じたり何に共感したりするのだろうか、ということに興味があります。

1年かけて作品をつくり、まず最初にタイで上演しようと考えています。その後に、他の上演できる場所を模索していますね。

藤原:ということは、もしかしたら日本でも観られるかもしれませんね?

タナポン:その可能性はあります。

藤原:そうなるように願っています。おそらくその作品のテーマは、日本の観客にとっても無縁ではない、切実な問いかけであるはずですから。今日はありがとうございました。

タナポンさんと藤原氏の写真

【2017年2月15日、アンクロート・スペース-ヨコハマにて】


インタビュアー:藤原 ちから(ふじわら ちから)
1977年高知市生まれ、横浜在住。批評家、BricolaQ主宰。徳永京子と共著『演劇最強論』(飛鳥新社)のほかウェブサイト「演劇最強論-ing」を共同運営。NHK横浜「横浜サウンド☆クルーズ」では現代演劇コーナーを担当。そのほか、本牧アートプロジェクト2015プログラムディレクター、APAFアートキャンプ2015キャプテンなど、しばしばキュレーター、メンター、ドラマトゥルクとしても活動する。また遊歩型ツアープロジェクト『演劇クエスト』を、横浜、城崎、マニラ、デュッセルドルフ、安山など各地で創作している。また新プロジェクト『港の女』を立ち上げ、マニラのKARNABALフェスティバル2017で上演。2017年度よりセゾン文化財団シニア・フェロー。

通訳:高橋 マリア 美弥子
写真:山本 尚明