メイスク・タウリシア&高崎 郁子――日本とインドネシアの映画交流[上映篇]

Interview / 第29回東京国際映画祭

日本とのコラボレーションのきっかけ

村田 裕子(以下、村田):メイスクさんと本日の通訳の藤岡朝子さん*1 は、2014年に「映画上映者の国際交流!日本・インドネシア編」*2 というイベントを行っていますよね。まずは、藤岡さんとの出逢いからお話を伺えますか。

*1 山形国際ドキュメンタリー映画祭のスタッフ(1993〜2008年)、東京事務局ディレクター(2009〜2014年)を経て2015年より理事。ドキュメンタリー・ドリームセンター代表、独立映画鍋理事なども務める。

*2 ドキュメンタリー・ドリームセンター、NPO法人独立映画鍋、Kolektif[コレクティフ]主催。日本とインドネシアの映画を軸に、2014年11月19日から24日まで神戸や東京で実施した上映プログラム。ワークショップやシンポジウムも実施した。

メイスク・タウリシア(以下、メイスク):2013年に半年間、日本財団アジア・フェローシップで日本に滞在したときに、藤岡さんと出会い、映画の話も含めて非常にウマが合いました。そこで、何かコラボレーションできるといいね、日本とインドネシアの交流事業をやろうじゃないかというおしゃべりからスタートしたのが発端です。滞在中、独立映画鍋のイベント「世界の独立映画事情インドネシア編」*3 に招かれて喋る機会があり、独立映画鍋のメンバーや参加者と知己を深めることができました。そのときも、何か一緒にできないかという話は上がっていました。
2014年の「映画上映者の国際交流!日本・インドネシア編」が動き出したときは、藤岡さんが主に資金の工面をし、国際交流基金アジアセンターとアーツカウンシル東京の助成金を得て実現することができました。日本では、アテネ・フランセ文化センター、神戸映画資料館などを会場にイベントを行いました。インドネシアでは、こういうタイプの交流事業を主催する資金も会場も候補があまりなかったので、既存の事業や機関、例えば映画祭や学校とコラボレーションできるようなネットワークから、「映画上映者の国際交流!日本・インドネシア編」に続くインドネシア編(ジョグジャカルタとジャカルタで開催)を進めていったんです。

*3 NPO法人独立映画鍋主催の講座では、毎回様々なテーマでゲストを招き、インディペンデント映画を捉え直している。「世界の独立映画事情インドネシア編」は2014年1月30日に実施された。

映画鍋 映画上映者の国際交流!日本・インドネシア編 での集合写真
1列目右から、藤岡朝子、酒井健宏(名古屋シネマテーク)、メイスク・タウリシア、プリマ・ルスディ(脚本家)、チャリダー・ウアバムルンジット(タイ・フィルムアーカイブ)、アドリアン・ジョナサン(映画批評家)
2列目右から、深田晃司(映画監督)、石原香絵(映画保存協会)※敬称略

メイスク:独立映画鍋のメンバーをインドネシアに何名か招き、ジョグジャカルタでは、ジョグジャ・ネットパック・アジア映画祭(Jogja-NETPAC Asian Film Festival[JAFF])と、イファ・イスファンシャー監督が主宰している映画学校、ジョグジャ・フィルム・アカデミー(Jogja Film Academy)で観客や学生と交流するプロジェクトを実施したり、ドキュメンタリー映画祭のコミュニティにも協力してもらい、上映会と交流事業を行ったりしました。日本からは、土屋豊監督の『タリウム少女の毒殺日記』(2013)、深田晃司監督の『歓待』(2011)、松林要樹監督のドキュメンタリー『祭の馬』(2013)の3本をジョグジャとジャカルタで上映しました。さらにジャカルタでは、国際交流基金のジャカルタ日本文化センターと共に、小津安二郎監督の『東京物語』(1953)をインドネシア国立映画製作所(Perusahaan Umum Produksi Film Negara[PFN])*4 で上映しました。オランダのNGOであるHivosからも協力を得ています。

*4 オランダ植民地時代に設立された国営映画製作・現像所。日本統治時代は日本映画社ジャカルタ製作所、終戦後、インドネシア国立映画製作所となり、スカルノ政権下では多くのプロパガンダ映画やニュース映画が製作された。

インタビューに答えるメイスクさんの写真

村田:日本とインドネシアの上映環境で特に違うと感じたことはありますか。

メイスク:最初に日本に滞在した半年間、神戸、大阪、東京のミニシアターを訪れる機会があったんですが、これはインドネシアにはないモデルだなと強く思いました。ヨーロッパに留学していたので、ヨーロッパのアート系映画館はよく知っていましたが、そういう劇場は市や州から助成を得るなり、行政が直接運営するなりして維持されていたんです。ところがとても興味深いことに、日本のミニシアターはほとんど民間が経営していました。インドネシアの状況を考えた場合、ヨーロッパ的なスタイルで国から支援は得られないので無理だと思っていたところ、日本のやり方なら自分たちの上映スペースを作れるかもしれないと思うようになったんです。

「カラフル!インドネシア2」のプログラミングと継続の重要性

村田:今回の特集上映を企画するにあたり、考えられたことは何ですか?

メイスク:実際に高崎さんと特集上映を組んで、大変面白いコラボレーションだと興奮しました。その一方で、私はこの特集の集客数を気にしているのですが、それはこのプロジェクトが最初から観客動員を予測できるようなものではないと、よくわかっているからなんです。
もちろん広報や宣伝はうまくいけばいくほどいいですが、このタイプの事業はいくら大々的に宣伝しても集客数は保証できるものではないということは、自分の経験で痛いほど分かっています。これがインドネシア映画を上映するうえでの困難なのですが、だからこそ強く思うのは、継続して定期的に行う事業に展開しなければいけないということなんです。単発のイベントでは一時的なものにしかなりませんが、例えば独立映画鍋とのプロジェクトで始まったものが、今回のアテネ・フランセ文化センターでの特集上映につながり、そして次は何ができるかわからないけれども、継続すべきだと思っています。特にインドネシア映画、あるいは東南アジア映画全般の上映機会や観客を増やしていくためには、継続性が重要です。
東南アジア映画は、もともと観客はそう多くありませんから、かなりタフな状況にあるわけです。だからこそ私は、今回の特集がどのような結果や反応を勝ち得ることができるのか、興味と好奇心を強く持っています。でも、個人的には、こんな企画が実現できたことをとても幸せだなあと思っています。

村田:高崎さんはいかがでしょうか。

高崎 郁子(以下、高崎):アテネ・フランセ文化センターでは、東南アジア映画は非常に弱い分野でした。私自身、東南アジア映画よりヨーロッパ映画を多く観ていたので、インドネシアを特集することはとても大きなチャレンジでした。
アテネでは作家の特集を組むことが多く、今回もそういった特集にする選択肢もありました。監督の特集は一番簡潔で、一番理解してもらいやすいからです。ただ、日本ではインドネシア映画を観る機会があまりなく、観たい人はいても気軽に観られる環境ではないので、今回はいろいろな作品を観てほしいという観点から、この企画が始まりました。
作品を選ぶ際、メイスクから様々なアドバイスをもらいました。特に、短編映画はメイスクから推薦してもらい、とても面白そうだねと進めていけたので、ありがたかったです。
候補作品の英語文献がなくて、調べるのが本当に大変でしたし、簡単な作品紹介しか見つからないこともありました。その中で、インドネシア人でありインドネシア映画を知り尽くしているメイスクからアドバイスをもらえたことは、作品を決める上でも、どうやってインドネシア映画を捉えていくかという上でも、本当に参考になりました。

メイスクさんと高崎さんの写真

高崎:アテネの客層は欧米的な批評を見て来る方が多く、常連の方々はイスマル・ウスマイル監督の『三人姉妹』(1956)というクラシックに注目が集まるかと思いましたが、今日の『短編映画傑作選』にも多くの方がいらしてくださいました。同時に、東南アジアやインドネシアの文化や映画に興味を持っていらした方もとても多い印象を受けています。アテネで上映を組む上で、いろんな方々に足を運んでもらうことを大切にしているので、今回は新しい方にも常連の方にもリーチできて、とてもいい企画になったと思っています。