『アメリカ大陸ぐるりと1万マイル』 ロージー・グエン/秋葉亜子 訳

Essay / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(ベトナム)

アメリカ大陸ぐるりと1万マイル

この夏、私は2か月かけてアメリカ大陸を車で巡る旅をした。同行者はテリーおじさんというパークレンジャーを定年退職した年配の男性で、数年来の友だちだ。

旅のスタートはアメリカ東海岸近くの山脈を走るブルー・リッジ・パークウェイ。南に下り伝説のルート66に入ってミズーリ、オクラホマ、カンザスの何もない平地を抜け、ニュー・メキシコ、アリゾナの荒涼とした砂漠にたどり着く。ここから国立公園を巡り始めた。グランド・キャニオン、ザイオン、アーチーズ、北上してグランド・ティトン、イエローストーン。その後パシフィック・コースト・ハイウェイで西海岸を南下したのちカリフォルニアでレッドウッドとヨセミテにも寄り、私が暮らすウィスコンシンに戻った。65日間の旅で19の国立公園を訪ね、25の州を横断した。この文章のタイトルは切りよく1万マイルにしたが、旅の総移動距離は1万3,000マイル、地球の半周以上になった。

2か月もの旅の間、私はいくつもの決して忘れられない経験をした。例えばグランド・キャニオンで見上げた満月の夜。まんまるい月が少しずつ姿を現し、巨大な電球のように天空から眼下に広がる切り立った岩壁を照らし出していた。マウントレーニア国立公園でハイキングした色とりどりの野花が埋め尽くす谷間の曲がりくねった道は、さながら桃源郷だった。アンテロープ・アイランド州立公園では何百頭ものバイソン“戦車軍団” が砂埃を上げ猛々しく道路を横断する光景を見た。100メートル級のレッドウッドの巨木が地球の守護神のごとく立ち並ぶレッドウッド国立公園の夜道をテリーおじさんとふたりで歩いた。自分が地球ではなくて遥か遠い別の銀河の星にいるような、見たことのない風景を目の当たりにして私は幾度となく驚嘆の声をあげた。

だが旅では、おかしなことや醜いことも目撃した。中西部の平野を走っていた時、数マイル先から肥育場の悪臭が漂ってきた。そこでは何千頭もの牛が狭い場所に押し込められ、膝まで糞に浸かって摂氏40度以上の日に当たり、人工飼料を詰め込まれ、ただただ屠殺場に行く日を待っていた。砂漠に、錆び付いた恐ろしく長い列車が捨てられているのも見た。処理工場まで列車を引っ張っていくほうが儲けよりも高くつくという理由だけで、この巨大で再生不能な廃棄物が生み出されたのだ。物質消費主義と利潤至上思想が人間にも自然にも多大な負荷となっている。

この旅で私はアメリカの自然についていろいろと学んだ。この地は実に豊かで、多様な地形、風景、地理的特徴に富む。地球は豊沃で果てしなく広く、一方で自分は宇宙に浮かぶちっぽけな塵に過ぎないと私は気づかされた。長期の車旅は窓から見える風景が日々劇的に変わり、自然の動きを感じ取るのに最適だ。この旅ではまたキャンプの技術やサバイバル・スキル、北米の動植物についても多くを学べた。行く先々の場所に生えている植物や薬草について、熊やヘラジカ、バイソンなど野生動物の足跡の見分け方、マッチやライターがない時に火を起こす方法、荒野や辺境でも安全かつ自然環境を壊さずにキャンプやハイキングをする方法をテリーおじさんに教わった。

さらにこの旅は、人間が地球上のどこに本来いるべきなのかを思い出させてくれた。新型コロナウイルスの蔓延によって1年近く家に閉じ込められていた私は、広大な自然のふところで過ごし、すっかり癒された。2か月以上森でキャンプをし、毎朝高原の鬱蒼とした森の音に囲まれて目覚め、透明な泉や川、湖沼に身を沈め、露に濡れた木陰の道をサイクリングし、さわやかな森の空気を吸って、私の精神には新たなやる気とエネルギーが満ち、生まれ変わったようだった。コロナが横行している中、安全に、自分を取り巻く広大な自然と、さらには宇宙との繋がりを感じられたことは本当にありがたかった。自然と繋がることは自分自身と繋がることなのだと、この旅に教えられた。

しかし一番驚いたのは、旅をしている私たちふたりについての理解が深まったということだ。テリーおじさんと出会ったのは台湾に行った時だったが、おじさんは偶然にも私が積極的に参加しているカウチサーフィンというコミュニティのアンバサダーだった。この旅までの間に、私たちふたりは台北をあちこち巡り、おじさんがベトナム旅行に来た時に再会した。私が渡米した時も頻繁に連絡を取り合い、一緒に車旅をしようと約束したのだった。今年の4月、私たちふたりはワクチン接種を終え、そして出発した。

旅ではテリーおじさんに関する発見の連続だった。本に大きな愛情を抱き、本は人生を変える力を持っているという観点で私たちは同意見だった。好きな本も同じで、それらについて何時間も話をした。パウロ・コエーリョ、カーレド・ホッセイニ。『たのしい川べ』、『シャーロットのおくりもの』、『星の王子さま』などの子ども向けの本から直近のベストセラー『エデュケーション—大学は私の人生を変えた』、『サピエンス全史』、あるいは『ザリガニの鳴くところ』まで。さらに音楽の趣味が同じだった。アバ、ビートルズ、シークレット・ガーデン。レナード・コーエンの語りかけるようなウィスパー・ボイスに、藤田恵美の蜂蜜のように甘く優しい声色。アウトドアの趣味も同じだった。ハイキング、トレッキング、サイクリング、水泳、ヨットにダイビング。政治や女性の権利、LGBTコミュニティ、移民などの社会問題についての見解も一致していた。誠意、共感、思いやり、謙遜といった核となる価値の多くを分かち合った。私たちふたりは一つのチームとなり、行程の相談からテント設営、料理や片付け、荷造りと荷ほどき、降って湧いたトラブルの解決に至るまで意気投合し協力できた。今まで私は、趣味、世界観、そして価値観まで自分とこんなにも合う人と会ったことはなかった。

テリーおじさんとの旅では人生について、人と人との関係や繋がりについて多くを教えられた。おじさんと私は外見的に似ているところは何もない。しかしこの旅は、文化も、世代も、個性も違うふたりを近づけてくれた。おじさんと何時間も語り合い、旅でいろいろな体験をした私は、人と人は知性、情緒から精神まで、さまざまなレベルで繋がり合えるのだと気づいた。図らずもこの旅は世代、年齢、民族、性別、生い立ちの違いを超越した友情を育んだ。旅での気づきはまだある。本質的に人は、外見や階級、ルーツあるいは宗教など関係なく、内心では外の世界や自分の内面世界と繋がりたいと渇望する、生と一つになりたいと渇望する無垢な魂なのだということだ。誰かの見かけを看破した時、その人の内側でキラキラと輝く魂の美しさが見えてくる。そう気づけたのはテリーおじさんとの一風変わった友情のおかげだ。

新型コロナウイルスの感染拡大による最大の課題は人間同士の繋がりが断絶されたことだと認識できたのも、この旅をしたからだ。コロナ禍の頂点で大学院進学のためにアメリカに渡った私は、世間から切り離されたような孤立感、孤独を何度も感じた。大好きな人たちに抱きしめられ、手をぎゅっと握ってほしかった。家族と温かい食事を囲み、友だちと会って騒ぎたかった。この旅で私は失ったと思っていた繋がりを再び見つけることができた。テリーおじさんは家族のように接し、私が安全に気兼ねなく旅ができるように助けてくれたし、誠意と思いやりを持って気遣ってくれた。私もテント張りや料理、荷物の整理、キャンプ場の予約など、できる限りおじさんをサポートし、そして私を平等に扱ってくれるおじさんを心から尊敬した。おじさんと語り合うことで私の心は温まり、焚き火の横で食べる質素な食事にも満ち足りた気分になった。思いがけずこの旅によって私にはもうひとりの家族が、年上の友人ができ、コロナ禍の1年で奪われてしまった人と人との深い繋がりと一体感の美しさを思い出すことができた。

旅から戻った私の心は安らぎ、喜びにあふれ、そして人生と人間への信頼がさらに増した。旅ではアメリカという国の良いところも悪いところも見たけれど、旅から帰った時にはむしろ希望を感じられるようになっていた。私たち人間は何らかの方法で人間や自然と繋がっていて、一人ひとりが大宇宙の中で連鎖する小さな一つの部分であり、他人や自然をいたわり繋がることこそが自分自身をいたわり自分のインナーセルフと繋がることなのだと、どんな時よりもコロナ禍の今だからこそ分かった。今後、すべての人々が決意と勇気と忍耐でパンデミックを乗り越え、強く、悠然と前進できればと願う。私たち一人ひとりが、周囲の人々との、自然との、コミュニティとの、さらには大きな世界との繋がりに感謝し、コロナ禍から抜け出せますように。自分の役割を意識し自分が地球に及ぼす影響に心を留めていれば、思いやりのある、より多くを与える生き方を私たちはできるだろう。人類が感謝の気持ちとマインドフルネスと懸命さで一丸となってコロナ禍から立ち上がり、これまで以上に平和で持続可能な世界を築くことができますように。