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ベトナムにおける「観る」から「読む」への移行―チャン・ティ・トゥック

Report / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(ベトナム)

昔から現在に至るまで、文学作品は映画やドラマ作りのための無尽蔵な源泉となっている。傑作と言われる映画の多くが原作の映像化に成功した。文学作品が映画化されるとき、作品は新たな顔を持ち、新しい芸術的、嗜好的価値が付加され、映像作品としての命が吹き込まれる。日本文学作品も然りである。中世から現代までのあまたの日本文学作品が、国内外で映画やドラマになっている。紫式部の『源氏物語』、井原西鶴の浮世草子、現代では芥川龍之介、安部公房、川端康成、太宰治、三島由紀夫、村上春樹、吉本ばなな、市川拓司、東野圭吾、百田尚樹等の作品が挙げられよう。国内外の映画祭で高く評価され賞を獲得し、文学作品に新たな価値を与えた映画もある。

ベトナムにおいて若年層に最も好まれている日本小説の映像化作品に、『いま、会いにゆきます』、『ノルウェイの森』、『1リットルの涙』、そして最近では東野圭吾の小説を映像化した作品群がある。

トラン・アン・ユンが監督した映画『ノルウェイの森』(2010)はベトナムの若者たちの好意的な反響を呼び、それ以前はあまり興味をもたれなかった村上春樹の同名小説を多くの人がこぞって読む流れとなった。村上作品の映画化は多くないが、この映画をきっかけに小説を読むようになった多くのベトナム人読者が村上春樹という作家に夢中になった。彼の作品の翻訳や研究が増えていったことも読者の読む行為に拍車をかけた。書店や出版社も村上作品の大量翻訳、出版に重要な役割を果たした。

もう1本、美しくロマンチックな自然風景と人の心に染み渡る深いヒューマニズムで強烈な印象を残したのが、市川拓司の『いま、会いにゆきます』を原作とした作品である。映画を観た若い人々は、この作家の静謐で繊細な文体のファンとなり、ほかの作品も読むようになった。映画は観客のハートを、まさにわしづかみにした。それ以来、ベトナムの若者たちは市川の小説を熱狂的に受け入れた。市川拓司は、ベトナムの若者の観る行為と読む行為とを結びつけた代表的な作家の1人であると言えるだろう。

現在のベトナムにおいて、日本文学作品を「観る行為」から「読む行為」への移行が最もはっきりと見て取れるのは東野圭吾だと思う。東野作品の翻訳部数は村上春樹をも凌駕している。『白夜行』と『容疑者Xの献身』の映像化作品は、ベトナムの若年層の「観る」から「読む」への移行を最も顕著に引き起こした2本となった。ここで、東野圭吾の推理小説を映像化した映画を「観る行為」と、彼の作品を「読む行為」を取り上げてみたい。我々の調査では、東野圭吾は現在ベトナムにおいて翻訳された作品が最多の作家であり、同時に映画化あるいはドラマ化された作品数が最多の作家でもある。近年、彼の30作品近くがベトナム語に翻訳され、さらに現在翻訳中の作品もある。ベトナム人ユーザーのソーシャルネットワーク上には東野圭吾ベトナム・ファンページが作られ、多くのメンバーが参加し、そのほとんどが大学生や若手研究者といった若年層である。東野作品は独創的かつ奇抜で印象的な推理小説という作風によって読者を惹きつける。ソーシャルネットワーク時代のベトナムにおいては、日本の作家や文学作品を敬慕するファンによって映画や文学作品の名が広がり、それがあっという間に大勢の読者へと波及した。

これまで東野圭吾の数多くの小説が映画・ドラマ化され、国内外で多くの賞や高評価を受けている。東野圭吾の小説『白夜行』は2006年に日本でドラマ化され、2011年には映画化された。2006年にはザテレビジョンアカデミー賞最優秀作品賞を獲得している。また2009年には韓国でも映画化されている。小説『秘密』はフランスで映画化された。『ナミヤ雑貨店の軌跡』も日本で映画化されており(2017)、中国では『解憂雑貨店』のタイトルで映画化されている(2017)。

そのほかにも、東野圭吾の作品の多くが日本で映画化、ドラマ化されている。それらの映像作品では、男女ペアの犯人、ガリレオ先生や加賀刑事を演じる俳優陣の卓越した演技により小説の内容がほぼそのまま再現されている。また劇中で描かれる和室、弁当屋、華やかな都会の光景、ホームレスたちがいる場所などの特徴的なシーンによって、日本の文化や現代社会が映し出される。文学と映画は文化生活、現代芸術の中で密接につながっていると言えるだろう。東野圭吾の作品が日本国内の書籍市場でベストセラーになると、多くの映画人がそれらを映像化する。近年、彼の作品はアメリカ、中国、韓国、ベトナムを含む東南アジア諸国などにおいても次々と翻訳出版されている。東野の推理小説を読み、その映像化作品を鑑賞すれば、誰もが日本人の心情や日本社会での時事問題を理解できるだろう。だからこそ彼の作品には、この先も大勢の読者や映画人を惹きつける力があると思う。

日本文学を観る行為が読む行為へと移行する過程の一つとしてアニメ作品に端を発する現象がある。調査によれば非常に多くの若者がさまざまなジャンルの日本のアニメとマンガに夢中である。それらの中には文学を映像化したアニメ作品が数多くある。例えば『秒速5センチメートル』、『火垂るの墓』、または『かぐや姫の物語』のように日本の古典から作られたアニメなどがそうだ。多くの若者は、まずは好きなアニメを観て、それから原作を読むようになる。ベトナムの高校生に参考図書として紹介される小説は、調査によると『窓際のトットちゃん』ぐらいである。他方、学齢期以降の子どもたちのほとんどが膨大な量のマンガを読み、アニメを観ている。日本文学作品に触れるのはそれより遅く高校生か大学生の年頃が多い。

ベトナムでは、初めから文学作品を読みたがる若者が多いわけではない。主な原因は本を読むのが、特に分厚くて量の多い小説を読むのが億劫だからだ。しかしながら映画を観ると彼らは原作との違いが気になり、小説を読み、そして作者の文章に夢中になる。上で述べたように村上春樹が典型例である。『ノルウェイの森』を観た多くの若者が原作となった小説を読み、徐々に、まだ映画化されていない村上のほかの作品をも好んで読むようになった。これらの動きはソーシャルネットワーク上のグループ、フォーラム、サイト、あるいは書店のファンページによって広がっていき、多くの若い参加者を集め、次々に情報をアップデートし、日本文学愛好家にとって好循環を作り出している。

ある大学の文学専攻の学生を調査したところ、日本文学への誘いは映画観賞がきっかけだったというケースがかなりあることが分かった。分厚い小説を読むのは嫌だが映画を紹介されて観たところ気に入り、原作となった文学作品を読み、そこから日本文学に熱を上げるのだ。そののちは作品を読むだけで映画を観なくなることもあれば、映画を観つつ作品を読むこともある。

実際、私の講義でも同じようなことが起きている。文学作品を読むようにと学生に要求しても、たいてい嫌がられる。量が多い作品はなおさらだ。しかし映像化した作品の一部を観せると学生は大いに興味を示す。小説版と映画版の類似点や相違点を知るために映画全編を鑑賞し、原作の小説を読んで双方を比較するという方法で探究を始める学生が少なくない。その過程で興味をそそられ、原作者やほかの作家による日本文学作品を次々と読むようになる。また一方で、日本文化に魅了され、日本文学をたくさん読んだのちに映画化作品を観る学生も少なくない。こちらは読んでから観るプロセスである。日本文学を観る行為と読む行為における相互作用が見て取れる。学生は日本文学をさまざまなテーマで研究する。著名作家の文学作品の内容や芸術性に焦点を当てるほか、映画との比較やベトナムを含む他国の翻訳との比較もある。

ベトナムで日本文学を研究する学生の写真

書店や出版社は、読者の嗜好トレンドの決定に重要な役割を担っている。村上春樹や吉本ばなな、東野圭吾らのような有名作家の翻訳作品の選定から判断するに、彼らは文学トレンドをかなりよく把握している。一方で、ほかの有名な日本人作家が、まだベトナムではそれほど翻訳されていない。逆に言えば、ある作家の作品が熱烈に迎え入れられると、次に翻訳される作品選定もそれに追随するのだ。

このように、文学作品を映像化した映画やドラマを観ることは、ベトナムの若年層に非常に大きな影響を与えている。その中で最も観客の注意と感動を引き起こした映像化作品は『ノルウェイの森』、『いま、会いにゆきます』、『1リットルの涙』、そして『秒速5センチメートル』、『ほしのこえ』、『君の名は。』等の新海誠監督のアニメと言えるだろう。観る行為が読む行為を促し、日本の文化や文学を好む若い人たちのコミュニティの中で広がっていった。大勢が原作を読み求め、作者や日本文学を愛好するようになった。文学作品は文化や日本社会における人々の生き方を描き、つまりは時代性を帯びた諸問題を反映しているからだ。

観る行為には間違いなくベトナムの若者の読む行為を促す作用がある。ベストセラー作家の作品は若年層の嗜好やニーズに合わせて翻訳されている。加えて、ほかの著名な日本人作家の作品についても徐々に翻訳の動きが広がり、若い人々のみならず日本文学を研究、教授する者のニーズに応えている。遠くない将来、ベトナム人読者が日本文学により総合的にアプローチするためにも、引き続き必要な取り組みだろう。

ベトナム語からの翻訳:秋葉亜子


チャン・ティ・トゥック
ベトナム国家大学人文社会科学大学ハノイ校講師。2019年に日本文学博士号取得。2016年に東京大学大学院総合文化研究科に研究生として在籍。日本近代文学と比較文学を中心に研究・教育活動に携わっており、『東アジア 文学研究と教育の課題』(文化文芸出版社、2019年)や『文芸研究ジャーナル』等、さまざまな雑誌や書籍に学術論文、エッセイ、記事を発表している。