カンボジアの学生たちが観たい「日本映画」をプログラム
11月5日のカンボジア日本映画祭オープニングは、プノンペンでもっとも格式高い劇場とも言われるリバーサイドの「国立チャトモック劇場」で行われた。17時半、会場に到着すると、玄関前には小規模ながらレッドカーペットが敷かれ、国内外のメディアが集まっていた。華やかな雰囲気のなか、会場脇に止めた高級車から降りてくるのは、カンボジアの要人たち。俳優に各省大臣、さらにソー・ケン副首相まで訪れたのには驚いたが、同国内での今回の映画祭の重要性が伝わってくる。ただ雰囲気は、いたって和やかだ。
カンボジア日本映画祭オープニングレセプションの様子
参加者はまず、劇場の1階でレセプションを楽しんだ。ここでは、先にも登場した文化芸術省大臣のプーン・サコナや、カンボジア教育青年スポーツ省次官補のサムディ・シヴァタナ、同国でビジネスや日本語の教育を行う、カンボジア日本人材開発センター(CJCC)所長のウーン・クムらに話を聞けたが、いずれからも、両国のポップカルチャーに関する交流の未開拓性への指摘があった。やはりこの認識は、同国で広く共有されているようだ。
その後、映画祭の開催を記念し、階上の大規模な劇場において『おくりびと』の上映が行われた。2時間強の上映中、満席の会場からは笑い声や嗚咽の音がもれ、退場時に話を聞いた観客からも、「人生についての深い洞察を感じた」(40歳男性、ラジオ局職員)などと、好意的な感想が多く聞かれた。なかには、同作で描かれる死者の弔い方に、「カンボジアの文化との共通性を強く感じた」(18歳女性、学生)という声も。少なくない観客が「日本映画は初体験」と語るなかで、「納棺師」という日本の文化に焦点を当てた『おくりびと』の世界観が、目新しさよりもむしろ、共感を持って受け止められている様子が興味深かった。
こうした反応の背景に「ローカルに基づく意識」があったと語るのは、今回の映画祭のかじ取り役を担った国際交流基金アジアセンターの許斐雅文だ。先の作田の話にもあった通り、国際交流基金では19年前よりシドニーで日本映画祭を開催しているが、許斐はその試みを立ち上げた張本人。「カンボジアには、シドニーでの経験をつぎ込んだ」と言う。
許斐:今回の出品作の選定には、ぼくらだけでなくカンボジアの大学でメディアを専攻する学生が関わっているんです。日本で文化紹介というと、どうしても「日本人が見てほしいもの」を選びがちですよね。でも経験上、このやり方では現地の人々を惹き付けられません。そうではなく、8割は現地の人が見たいもの、2割は日本人が見てほしいものを選ぶというのが、ぼくの信念。同じ意識から、字幕にも気を配りました。多くの日本映画祭では英語の字幕のみが付けられますが、カンボジアの人口の多数を占めるクメール人のなかには英語が読めない人も多い。クメール語の字幕にも徹底的にこだわりました。また、ローカルの人たちの意識を高めるのに重要な要素は、徹底した現地主導型の運営体制とマーケティングです。そのため、ソト・クォーリーカー監督を中心としたスタッフと100名を超すボランティアで運営組織を構成しました。
結果として今回のカンボジア日本映画祭には、会期を通して約5千4百人の観客が集まり、開催に先立って設けられたFacebook特設ページには、1か月足らずで約2万の「いいね!」が付いたという。もちろん、一朝一夕の視点で測れないのが文化交流であり、その真の成果がわかるのは、まだまだ先のことになるだろう。ただ、カンボジアの国内に日本のカルチャーへの潜在的な関心があることは、今回の反応からも十分に感じられた。
「みんながハリウッド映画を目指す必要はない」(柴田)
カンボジア日本映画祭のラインナップが、カンボジアの学生たちの感性によって「ローカライズ」されていたように、文化交流や輸出においては、自国文化の「すばらしさ」をただ誇示し、押し付けるのとは根本的に異なる、現地の人々との共通点や相違点の丁寧な検証が重要になるだろう。言わば、誰にとっても親しみやすく、偏ったところのないストーリーテリングと、莫大な資本力を使って世界に乗り出していくハリウッド映画的なやり方の真逆を行くような方法論。「それぞれの国、地域には、その住民独自の感性や課題がある。みんながハリウッドを目指す必要はない」と語るのは、柴田監督だ。
柴田:怖いのは、海外での展開を念頭に置きすぎたために、アジアの映像制作者がこぞってハリウッドを真似てしまうことです。映画制作の根本には、ローカルな欲求にローカルな映像で応える、そうした確固としたローカリズムがあるべきでしょう。そのなかから、ある作品がときに地域性を越え、ユニバーサルに発展することもあるのです。
カンボジア日本映画祭※
柴田はそのうえで、映画祭に関連して訪れたカンボジアの大学での、学生との交流についても語ってくれた。彼の出品作品『千年の一滴 だし しょうゆ』は、和食を入口に人間と自然の共存関係を問うドキュメンタリーだが、劇中に描かれた焼畑のシーンについて、鑑賞後の学生から「焼畑は自然破壊ではないのか?」との質問を受けたという。
柴田:彼らには、伝統的な焼畑農業が「時代遅れで恥ずかしいもの」という意識があったようです。ただ、焼畑が悪というのは欧米の視点であり、いまでは有効なエコシステムとして認識されはじめています。小さなことですが、映画を通して現地の若者と、アジアで続く文化の共通性と可能性を語り合えたことは大きかった。アジアが欧米に向けて発信できるコンセプトは、「自然と人間の共存」「自然を踏まえた伝統文化の継承」だと思います。映画の上映や共同制作によってこの意識を育てていければ、人類のもう1つのあり方を示す場所として、アジアの価値は高まっていくと思っています。
カンボジア日本映画祭※
価値観の押し付けや盲目的な受容ではなく、あくまで地域の独自性に目を向けながら、発見される共通性。柴田監督とカンボジアの学生との小さな共鳴は、そんな未来型で解像度の高い、文化交流の1つのモデルを示しているように思える。そして、そこから見えてくるのは、日本からカンボジアへ、カンボジアから日本へ、といった国単位のまなざしには還元されない、異なる背景を持った個人が共通の関心を軸に互いの場所を行き来するような、アジアの姿ではないだろうか。最後にふたたび、作田の話に戻ろう。
作田:そのアジア像は、まさにアジアセンターの目指すものです。「日本のものを持っていく」ではなくて、それぞれの地域の固有性を理解しつつも、国のなかも外もない、人の混じり合いが生まれるところまでいけたらいい。日本とアジア諸国には、日本と欧米にはない、共通性や交流の歴史がある。映画祭を通じた交流は、いずれ文化を超えて、その関係性を咀嚼するチャンスにもなると思います。
「近くて遠い」、そんなカンボジアの地ではじまったカンボジア日本映画祭は、かつてヨーロッパの人々がEUに見た理想にも似た、新しいアジアのあり方を垣間見させる。この先も毎年続けられるという同映画祭によって、カンボジアからはどんな反応があるのか。ドアはまだ開いたばかりだが、その奥に広がる風景は、見続ける価値のあるものだろう。