私が住むジョグジャカルタにはクラトン(王宮)があり、今も尚スルタン(王様)が住んでいます。クラトンの一部は一般開放され、王家が愛用した品々を見学できる観光名所にもなっています。伝統行事も行われており、私は幸運にも予言者ムハンマドの生誕を祝う儀礼に遭遇することができました。というのも、宗教行事はジャワ暦で行われる為、西暦上では毎年日付が異なります。昨年は12月1日がムハンマドの生誕の日にあたり、11月の上旬からクラトンの周辺はお祭りムードに一変しました。
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クラトンの前の広場では毎日ナイトマーケットが開かれます。食べ物の屋台やおもちゃ、古着屋、そして観覧車やジェットコースターなどの移動遊園地が立ち並び、毎日たくさんの人々で大賑わい。週末はナイトマーケットに向かうバイクで周辺の道路が大渋滞になる程、大勢の人々がこの時期を楽しみにしています。
クラトンの近くのムスジッドではスカテンという儀礼が行われます。クラトンにはスカテンの為だけに作られた2組のガムランがあり、ムハンマドの生誕の前日まで一週間毎日演奏されるのです。
スカテン初日。日も暮れた厳かな雰囲気の中、クラトンでガムランの演奏が始まります。
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まるでお鍋が並んでいるようなボナンが何かを語りかけるようにゆっくりとリズムを刻み、その節目に鍵盤状楽器のサロンやゴング、大太鼓のブドゥッグが力強く鳴り響きます。中盤を過ぎると曲は華やかに盛り上がり、再びゆっくりと終えていきます。
スカテンは、イスラム教を人々に広める為にガムランの音色で人々を集めたことが始まりと言われています。今のように車やバイクなどの騒音や高い建物もない時代は、町中にガムランの音色が響き渡ったのではないでしょうか。
演奏が終えると、ガムランはクラトン近くのムスジッドへ運ばれます。
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赤い衣装をまとった王の召使いがガムランを担ぎ、近衛兵と供にナイトマーケットを抜けてムスジッドへと進んで行きました。
そして、ガムランはムスジッドの東側の広場にある2つの建物の中に置かれます。
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建物は向かい合うように南北に配置されてます。その南の建物に年を取ったガムラン、北の建物に若いガムランが置かれた後、格が高い南のガムランから演奏が始まりました。クラトンのガムランは青銅でできており、その音は身体の芯までジーンと響きます。この日は小雨が降っていたにもかかわらず、たくさんの人々が集まり、ガムランの音色に耳を傾けていました。
翌日から毎日、朝から夜まで南と北で交互にガムランが演奏されます。
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朝8時。人々に幸せな一年が訪れるよう祈りを込めた演奏が始まりました。曲は、その時の状況からボナンの演奏家が何を演奏するかを決めるそうです。11時半頃、イスラム教のお祈りの時間を告げるアザーンが鳴り始めると演奏はストップ。午後は14時から夕方のお祈りの時間まで演奏されます。
演奏の傍らでは、スルタンの召使いに願い事を伝える人々の姿もありました。
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露店で買った花びらとお香を召使いに渡し、願い事を伝えると、召使いはお香を燃やして何かを唱えながら花びらを火で軽くあぶります。お香の香りと共に願い事は神様の元へ。持ち帰った花びらを水に入れ、その水で水浴びをすると願いが叶うと言われています。私も見よう見まねで「またジョグジャカルタへ来れますように」と、願い事を託してみました。どうか叶いますように!
夜、演奏家の顔ぶれが変わります。
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ジョグジャカルタのクラトンは多くの演奏家を抱えている為、南北でそれぞれ2つのグループが交代で演奏します。夜・翌朝・昼の演奏を終えると、夜はもう1つのグループと交代するのです。
夜の演奏は、神様と繋がるとても重要なもの。人々は健康や長寿、家族の幸せなどいろんな願いを抱いてこの演奏を聴きにきます。中には手を合わせるおばあさんの姿も見られました。
スカテン7日目、最終日。昼の演奏を終えた後、召使いによってガムランは磨かれます。
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磨き終えた後、建物の要所とガムランにジャスミンなどの花がかけられていました。
夕方になると人々が建物の周辺に集まってきます。
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これまでとは違い、なんだか異様な熱気でみんな目がギラギラしています。それもそのはず、なんとスルタンが建物にお越しになり、建物の中にコインとお米をまくのです! そのコインを取ろうとする人で建物の中はもみくちゃに……。さっきまで楽しそうに話していたのが嘘のように、みんな決死の形相でコインを奪い合っていました。そんな中でもガムランはスルタンがその場を離れるまでずっと演奏されました。
儀礼が終わると再びガムランはクラトンへ。
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赤い衣装をまとった召使い達がガムランを運んで行きます。
こうして7日間のスカテンは幕を閉じました。
ムハンマド生誕の日の朝、 野菜などで飾られた山車グヌンガンがクラトンの外へ運び出されます。
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ガムランが鳴り響く中、近衛兵の列に続き7つのグヌンガンが、ムスジッドともう一つのクラトン、役所の3カ所にわかれて運ばれていきました。行く先は、すでに身動きが取れない程のものすごい人集りです。グヌンガンが到着すると、人々はお米からできた花の飾りや野菜を我先にと飾りをもぎ取り、ご利益を家に持ち帰っていくそうです。残念ながらあまりの人の多さに私は近づくことさえできませんでした。
夜、ワヤン・クリッ(影絵人形)によって全てが締め括られます。
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ジョグジャカルタでは、結婚式など人生の節目やお祝いの行事の際にワヤン・クリッが上演されます。この日は全ての儀礼を納める儀礼としてクラトンで上演されました。演目は、なんと元はインドで生まれたヒンズー教のお話です。インドネシアではイスラム教を広める為に、当時から人々に親しまれていたワヤン・クリッやガムランの音色で人々を集めました。その際、「マハーバーラタ」や「ラーマヤナ」など人気のあったヒンズー教のお話は、登場する神様の性格が微妙に変えられるなどして上演されました。偶像崇拝はタブーとされるイスラム教ですが、インドネシアではヒンズー教とイスラム教が混ざりあった独自の文化をみることができるのです。
ジョグジャカルタの文化や歴史、人々の熱気を肌で直に感じた一週間。さらに行く先々で出会った人々との思い出も加わり、私にとって一生忘れられない濃いひと時となりました。ジョグジャカルタにお越しの際は、ぜひクラトンの行事もチェックしてみてくださいね。