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わたしのゆめは〇〇です

私がインドネシアでした日本語の授業のうち、最も好きだったのは「わたしのゆめは〇〇です」という単元の授業です。私が高校生だったときには、自分の夢をはっきりと言うことができませんでした。なので、目を輝かせながら自分の夢をはっきりと答える生徒たちが、とても輝いて見えたのです。

私の派遣校は進学校で、特に理系のクラスでは「医者になりたい」という夢を持っている生徒が多かったです。日本より衛生環境や医療技術がまだ整っていないインドネシアでは、残念ながら若くして亡くなってしまう人が日本より多く、高校生であっても、身近な人が重大な病気に罹ってしまったり、亡くなってしまったりという経験をしたことのある人が多く居るようです。そんな経験から、医者になって沢山の人を救いたい、と医者を目指す生徒が多いようでした。

ある日、私のところに、一人の男子生徒がやって来ました。その生徒は「令子先生、日本では、田舎の子供も、学校に行ってちゃんとした教育が受けられるのですか?」と尋ねました。私が「そうですね。」と答えると、その生徒は少しずつ話し始めました。

「僕は、この学校からも離れた田舎で生まれ育って、だからこの学校に通うことができないから、学校の近くの下宿に一人で住んでいます。家族と離れて生活するのは寂しいけれど、僕は夢があるから、沢山勉強して進学するためにこの高校に来ました。僕の田舎は、都会とは違って、ちゃんとした教育が受けられないんです。
僕は母親が教師だから、幸せなことにこうして離れた高校にも通わせてもらっているけれど、田舎の人々は教育の重要性をわかっていない。日本のような国に将来留学して、教育のシステムを学んで、田舎の子供たちみんなが、より良い教育を受けられるようにしたいんだ。」

私は、今回出会った生徒たちが、将来インドネシアを担う人物になるであろうと確信し、この生徒たちと出会えたことを誇りに思います。


これが私の自慢の派遣校、SMAN 1 Kendal(クンダル国立第一高等学校)です!

インドネシアの将来を担う生徒たちの笑顔、眩し過ぎます。一生忘れません。
Writer
インドネシア 中部ジャワ州
小宮山 令子さん

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