バトゥ・パハのこの学校で過ごす日々の中で、私の日課は放課後のウォーキングです。そこで出会うドライバーやスタッフと言葉を交わすことも、交流の一つでした。
そんな最中、ある生徒が名前を名乗ってきました。いつも友達と同じ時間、同じ場所で話をしている生徒で、その後、会うたびに少しずつ言葉を交わすようになりました。また、同じ頃、ある日本イベントで関わりを持った別の生徒が、歩いている私の姿を見つけて、追いかけて来ました。その二人は寮の同じ部屋に住んでいる友人同士で、それ以来、夕方の礼拝までの時間に、一緒にウォーキングをするようになりました。その後二人の仲間が増えて、今では5人で夕方のひと時をたわいない会話をして過ごしています。
最初は「先生、夕方、散歩をしませんか」と教えた日本語で誘いかけてきましたが、今では何も言わなくても5人が集まるようになりました。夕方に加えて、昼食休憩のわずかな時間も4人が毎日職員室に訪ねて来るようになりました。さらに特別な日と称して「巻きずし」「おにぎり」「おはぎ」といった日本食を作る機会も回を重ねています。
このようにして続いていく小さな交流、実は、この形こそが私の思い描いていたものでした。わざわざその場を設けなくても自然に生まれ、繋がる交流。今、それが実現していることをうれしく思います。しかし、不思議なことに、4人全員が日本語クラスの生徒ではありません。それが奇妙といえば奇妙ですが、自然に生まれたものというのはこんなものなのでしょう。
次に私が思い描く事は来年クアラルンプールで行われる日本語フェスティバルで彼らと再会することです。全員日本語授業の選択者ではないことが心配ですが、今度も偶然の神様の力で再会できることを期待しています。