Selamat siang(こんにちは)!
日本語パートナーズへの参加の動機の一つは、大学時代に学んだ人類学の知識を深めたいということでした。特にその中でも「通過儀礼」にはより一層の興味がありました。
そこでインドネシアの死生観を体感するため、中部スラウェシ州にあるタナトラジャの伝統葬儀「ランブソロ」(ランブは水牛、ソロは儀式の意味)に参加して来ました。
この地域で暮らすトラジャ族は、一生を通して得る収入よりも大きい額を葬儀に費やします。一生懸命働くのは最期のためと言われるほどです。
そして、死は突然訪れる悲しいものではなく「プヤ」と呼ばれる魂の行き着く先へ向かう1つの流れだと、また牛は死者の魂を天国へ連れて行く乗り物で、多く生贄にするほど早く天国にたどり着けると信じられています。
今回は運に任せてタナトラジャまで行きましたが、シーズンということもあり運良くランブソロを見学することができました。
門をくぐると驚きました。葬儀だというのに皆笑っていたからです。マイクを持って場を盛り上げる係がいるほどでした。
会場を囲むように来客用のスペースも設けられていました。
司会者の合図で村の男性たちが次々に牛の首を切っていきます。来客の方に突進してきたり痙攣したりする牛たちもいて動揺しました。そして皮を剥ぎ、肉を裂き、それぞれの家庭に持ち帰られていきました。
ちなみにランブソロの費用が足りないとき、ご遺体はホルマリンを打って(昔は草から出来た薬を塗っていた)家に保管しておくそうです。目で見て死をしっかり現実のものだとして受け止める意味も兼ねています。豚や鳥で行うときもあるそうです。
1つの命のために他の命を捧げる「生贄」。その概念は頭では分かっていたものの、目の当たりにしたのは初めてで怖気付くことしかできませんでした。生と死の狭間の薄さに、私たち人間も今たまたま生きているだけであって、命ってちっぽけだと思いながら会場を去りました。