4月に日本語パートナーズの後藤さんに『ハノイの家族』として紹介された「タンロン(昇龍)の暇人」です。タンロンとはハノイの昔の名前で、1010年、リー・タイトー王が今のハノイに遷都した際に、黄金の龍が現れたことから都をタンロン(昇龍)と名付けたのが由来です。
二つほどベトナム雑感を記しましたのでご笑読ください。
1.ベトナムのお札の名所訪問~日本橋(ホイアン)と文廟(ハノイ)
ベトナムのお札は、五百、千、二千、五千、一万、二万、五万、十万、二十万、五十万ドンの十種類が流通しています。表側はみなホーチミンの似顔絵ですが、裏側にはベトナム全国の名所等が描かれています。今回は、二万ドンと十万ドンに描かれた地を訪問し、札裏の画像と実写真を比べてみました。
まず、二万ドン札に描かれた中部ホイアンの「日本橋」(来遠橋)です。この橋は、1593年この地に住む日本人(朱印船貿易の商人)によって作られたと言われています。ホイアン観光の起点にふさわしい名所です。
次は、十万ドン札に描かれたハノイの文廟(ぶんびょう)の「奎文閣(けいぶんかく)」です。文廟は別名「孔子廟」で、1070年李朝皇帝のリー・タイントンが設立しました。
「奎文閣」は文廟第三の楼門で、この建物の形状はハノイ市章のデザインモチーフにも取り入れられ、ハノイのシンボル的な存在です。私が週3回通うト・ホアン中学の校章にも用いられています。
文廟内の池には、綺麗な蓮の花が咲いていました。
2.「学問の神様」日越比較~チュウ・ヴァン・アンと菅原道真
前項「文廟」の一番奥には、ベトナム最古の大学「国士監」があり、そこに元教師のチュウ・ヴァン・アン(朱文安)の像があります。暇人は、この人は、いわばベトナムの「学問の神様」で、日本でいうと菅原道真の様な人ではないかと考え、比べてみました。
暇人も、像の前で手を合わせ、生徒たちの学力向上と健康を祈ってきました。