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日本語パートナーズの経験で得たもの。これからの私

みなさん、こんにちは、HORAS(バタック語で「こんにちは」)!
2023年8月〜12月までインドネシアの北スマトラのメダン市で活動し、帰国しました渡邉貴子です。日本語パートナーズとしての3か月半の活動は、私にとってかけがえのない経験となりました。
今では、派遣先校の先生、生徒たち、メダンで知り合った皆さんのことが、恋しくて仕方がありません。メダンは私の第二の故郷です!

①日本語パートナーズの活動

私の派遣先校は、スルタン・イスカンダール・ムダ専門高等学校とメダンUISU高等学校です。二つの学校はそれぞれ特徴がありますが、共通していることは、先生や生徒たちがとても元気で好奇心旺盛なことです。日本文化を紹介する度に生徒たちが「わぁ!すごい」「日本のことをもっと知りたい」と言ってくれました。私は、生徒たちが目を輝かせながら、日本文化に関心をもってくれてとても嬉しかったです。

スルタン・イスカンダール・ムダ専門高等学校「浴衣体験」

メダンUISU高等学校「巻き寿司作り」
②インドネシアでの生活を通して

異文化で生活することで新しい発見や楽しいことがありました。その一方で、インドネシア語でのやりとりがうまくできず我慢してしまう、雨が多く洪水や渋滞によって交通事情も不安定など、不便さを感じることもありました。
インドネシアでは、Tidak apa apa(大丈夫だよ)という言葉をよく耳にしました。相手の失敗を受け入れる寛容さを表しています。私は、失敗をする度に、この言葉に何度も救われました。異文化での生活を通して、不便さ、もどかしさ、そして環境や価値観の違いを感じました。
周りの皆さんのサポートがあり生活に慣れ、少しずつ異文化を受け入れる余裕もでき、楽しく生活を送ることができるようになりました。

心の支えになってくれた先生たち
③自分が日本人であることを実感

日本語パートナーズとして異文化の中で生活することを通して、両国の文化や価値観の違いに気づき、さらに日本文化の魅力に気づくことができました。今では、日本人であることに誇りを持っています。

生徒たちが私のために作ってくれたインドネシア料理
④これからの私

これから、日本人と外国人が共に生きる「多文化共生社会」の実現が進められます。私は今まで、実習生や特定技能外国人のサポートに携わってきました。今後も、日本語パートナーズの経験を活かして日本とインドネシアの架け橋となりたいと思っています。

ジャカルタ日本文化センターにて
Writer
インドネシア 北スマトラ州
渡邉 貴子さん

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