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バンドン歴史探訪

インドネシア21期の小野寺毅仁です。西ジャワ州バンドンに派遣されています。

バンドンは、ジャカルタ、スラバヤに次ぐインドネシア第3の都市で、またインドネシア独立にも大きな役割を果たした町でもあります。先日はバンドンの歴史探訪を楽しみました。Monumen Perjuangan Rakyat Jawa Barat(西ジャワ人民闘争記念碑)とMandala Wangsit Siliwangi Museum(マンダラ・ワンシット・シリワンギ博物館)を訪問し、ボランティアの学生が案内をしてくれました。

西ジャワ人民闘争記念碑

マンダラ・ワンシット・シリワンギ博物館

バンドンは第二次世界大戦終了後、再びオランダの占領地となりましたが、その際この地は誰にも渡さないと住民が自ら街を燃やし、苦渋の気持ちで撤退したという歴史があります。この博物館はその“火の海の街(kota lautan api)”のジオラマや体験者の絵、記録がたくさん展示されています。多くの生徒、児童が先生引率のもと見学にきていました。

西ジャワ人民闘争記念碑 展示

“火の海の街(kota lautan api)”

また西ジャワ人民闘争記念碑では1945年にジャカルタで草案、記述、そして正式に発行されたインドネシア独立宣言文の拡大コピーが展示されていました。宣言文の日付は以下のように記載されています。
Hari 17 boelan 8 tahoen ‘05
(17日 8月 `05年)
インドネシアでは日付は日、月、年で書かれますが、日本風に言えば `05年8月17日となります。西暦で言うと1945年8月17日ですが、この暦には日本の皇室歴(紀元歴)が使われていて、西暦1945年は日本の皇室歴では紀元2605年にあたります。独立宣言文では紀元2605年を表す`05が使われました。

このような記述をした理由は、今は憶測するほかありませんが、時のインドネシア政府のおかれる立場や、第二次世界大戦後のオランダをはじめとする西洋列強に対する姿勢と、日本占領後の終戦直後、数万人を超える日本の未帰還兵を抱える尼国の、したたかな政治力を私は感じました。

インドネシア独立宣言文の拡大コピー

オランダ占領時代、日本占領時代を経て独立を果たしたインドネシア。日本との歴史上の関わりを知ることは双方の建設的な未来のためにも大切なことだと実感する1日でした。

Writer
インドネシア バンドン
小野寺 毅仁さん

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