「ほとんどの住民は日本人を見るのが初めてでした」(上田さん)
―日本語パートナーズとして派遣されて、現地での反応はどのようなものでしたか?また、活動の内容を教えてください。
上田:私が赴任したカガヤン・デ・オロは、日本人が7人しかいない町です。たいていの住民は日本人を見るのが初めてでした。「日本も年中暑いんだろう?」と聞かれて「日本には四季があるよ」と答える。このように、日本に対する認知度が低い町だったので、私の存在を通じて「日本人」の姿を見せることに意義があったと思います。「日本人がいる」といううわさも広まっていたようで、校内を歩くだけで生徒が駆け寄ってきて「グッドモーニング、サー」と丁寧にあいさつしてくれることも。生の日本人の姿を見せることで、日本についての情報を発信できたことは良かったです。 日本語の授業では、毎回10分くらい文化紹介をしました。インターネットの動画を活用して、ラッシュアワー時の駅の様子など、伝統的な文化よりも、今の日本の様子を紹介しました。生徒から「日本の結婚式がみたい」とリクエストされ、日本の結婚式の様子を紹介したこともあります。
「楽しく日本語を学べる活動に、学校側の意識も変わってきた」(髙橋さん)
髙橋:私が派遣された学校は、スーパーサイエンス校に指定されていて、理数系科目に力を注いでいる学校でした。第二外国語として日本語と中国語が選択できるのですが、日本語クラスは大学の教育実習生が教えているような状況で、あまり重視されていないという印象でした。そのため、まずは生徒たちが日本語を好きになるように心がけ、日本のいろいろな文化を紹介したり、浴衣を着たり茶道をやったりゲームをしたりと、楽しみながらいつの間にか日本語を覚えるような工夫した活動を行いました。 うれしいことに、このような楽しく日本語を学べる活動に少しずつ先生方も興味を持ってくださり、実際に活動に参加されるなど、学校側の意識が変わっていくのを肌で感じました。生徒も先生も、日本語の授業が好きになって、日本語が好きになってくれました。
猿田:私の派遣された学校には、日本語教育歴17年の先生と、日本語教育歴13年の先生の奥さん、大学の教育実習の先生が2人の4人体制で授業を行っていました。日本語の先生は充実している状況だったのですが、それでもけん玉や折り紙、巻き寿司作りをやって見せたら、とても受けましたね。タイの日本語教師でも実際にやったことがないことも多く、それらの実演を期待していたようでした。授業では会話を担当し、紙に印刷した会話文をはさみで切ってバラバラにして、元の順序に並ばせたり、絵だけの漫画を渡してセリフやストーリーをつけさせたりと工夫しました。生徒との距離が近くなったころには、生徒の将来の相談にのることもありました。
―“派遣された学校で、何か困ったことや問題はありましたか? また、その問題をどう乗り越えたのでしょうか?
上田:最初、日本語を学ぶ学生が少ないという問題がありましたね。私の派遣先はフィリピンでは中堅どころの大学で、大学側は自校に付加価値をつけることに熱心でした。それで日本語クラスを設けたんですが、生徒が思ったように集まらない。私は、「こんなことでは私が派遣された意味がない」と思い、学部長に頼み込んで生徒を集める活動をしました。日本語ができるメリットを生徒たちにわかりやすく伝えていったのです。特に、海事教育学部という船員を養成する学部の生徒たちは「日本語を学ぶことで、日系海運企業への就職も期待できる」と伝えたところ、熱心に学んでくれるようになりましたね。
橋本:私が派遣された南部には方言があり、話す速度も速くてタイ語が全く聞き取れずに困りました。「これはまずいな」と思って、近所の人にも話しかけてもらえるように、積極的にあいさつしました。すると近所のおばさんとか警備員さんが「ご飯食べたの?」などと話しかけてくれるようになったので、日常の会話を通じてタイ語を勉強しましたね。現地人の国語の先生にもタイ語を教えてもらうなど、積極的にタイ語を勉強しました。
「人生が180度変わったんじゃないかな」(髙橋さん) 「この派遣は、夢のような世界でした」(橋本さん)
―派遣前と後で、自分の中での変化はありましたか?
髙橋:私は思うところあって、脱サラして日本語パートナーズに参加しました。派遣前は外資系の企業で広報の仕事をしていて、時間に追われ、成果を出しては、競争を挑まれて……という、楽しいけれど厳しい生活をしていたんですね。 日本語パートナーズは成果や競争ではなくて、人間を相手にして育てる仕事です。生徒のわかったときの喜んだ顔や、意外なことを知ったときの驚いた顔。日本語が得意でない生徒でも面白い授業をやるととても楽しそうに学び育っていく。このように生徒たちと関わりながら、早く起きて早く寝て、ゆったりとした時間の中で生活したことは、宝となりました。派遣前と派遣後では、人生が180度変わったんじゃないかな。考えや価値観が変わりました。
橋本:私にとってこの派遣は、夢のような世界でした。時間をあまり気にしないタイで、土日は時計をつけずに出掛ける生活。日本帰ってきて一週間がたちますが、少しずつ現実に引き戻され、日本の感覚を取り戻したところです。日本は忙しいですね。日本語パートナーズの活動で、タイの「マイペンライ、マイペンライ(気にしない、気にしない)」の感覚を身に付けたことも、変化の一つです。タイでは怒ることは良くないこととされていて、「怒るのは心が狭い人だ」と思われます。「マンペンライ」を身に付けることができて、派遣前より心が広くなれた気がします。
「日本語パートナーズの活動は、これまでの人生とあまりに違いました」(猿田さん)
―日本語パートナーズでの体験は、今後のご自身にどう影響していくと思いますか?
髙橋:私は帰国後、予定通り起業の準備をしており、基本的には教育関係のことをやるつもりです。働くお母さんと子どもを幸せにして日本を元気にするビジネスをしたいと思っているのですが、日本語パートナーズを通じて人的ネットワークやビジネスのアイデアが得られました。例えば夏季に、タイの子どもと日本の子どもが寝食をともにする国際キャンプなどをやりたいと思っています。日本語パートナーズは前の仕事と未来の仕事の橋渡しになりました。とてもいい機会だったと思います。
猿田:日本語パートナーズの活動は、これまでの人生とあまりに違いました。ビジネスマンとして成果を出すのとは全く違って、生徒が喜んでくれる、歓喜に沸く、そういうのを眺めて「これはいいな」「次は何をやろう」と思う。そういう生活をしていたので、「帰国後は燃え尽き症候群になってしまうのでは」と懸念していました。が、今のところは派遣中のことを報告書にまとめるので忙しいし、その後は派遣中にアップしていたSNSの記事をまとめて体験記を本にしようかと思っています。
橋本:これまでは学生同士で関わることが多かったのですが、日本語パートナーズでタイの学校に派遣され、現地の先生方との関わりは学びにつながりました。特に、人のいいところを見つけてはいつもほめていた、英語の先生の影響は大きいですね。「私、日本で全然人のことほめたことないな」と感じ、日本に帰ってきてからも意識して人のいいところを見て、言葉にするようになりました。
―それでは最後に、未来の日本語パートナーズに向けて先輩からメッセージをお願いします。
「ASEANの人は、日本が好き。企業も日本語パートナーズをサポートしてほしい」(髙橋さん)
髙橋:ASEANの人はすごく日本が好きで、日本文化に興味があって、とても純粋な目で手を広げて待っていてくれます。そういう人たちに何かを与えたり与えられたりする人間関係は、日本にいてはなかなか経験できないとても貴重なことなので、参加してみることをおすすめします。 今は企業の中にもさまざまな制度があり、ボランティア休暇を取ったりできる時代です。休職というオプションを使うことも可能なので、興味ある人は休職してでも行くべきです。企業の方も「ボランティアに貢献した」ということで企業価値が上がります。人材育成の観点からも、6カ月休んだとしても 日本語パートナーズに参加した人は人間的に成長し、役に立つ人材となって帰ってくると思います。もしその業種が東南アジアと関係がある職だったら、人的ネットワークができるという効果もありますから、企業はぜひ日本語パートナーズをサポートしてほしいですね。
「日本ではできない経験ですよ」(猿田さん)
猿田:派遣中は毎日、いろいろなことが起きて、その都度感動します。例えば、子どもがいつも「先生」「先生」と言ってくるので、「そろそろ先生、の次も日本語で聞きたいな」と言うとしょげてしまって。でも次会ったとき「先生。元気ですか」と言ってきたんですよ。面白いですよ、子どもは! 日本ではできない経験ですよね。 日本語パートナーズの経験は、今後の人生の大きな糧になります。
「応募資格が20歳からになっているのは、大学生が行きやすくしているんだと思います」(橋本さん)
橋本:行くといいことだらけです。特に、大学生のうちに行けたのがとても大きい。この日本語パートナーズの応募資格が20歳からになっているのは、大学生が行きやすくしているんだと思います。大学生のうちに、海外で、しかも滞在費を支給してもらって、社会人生活をするというのはとてもいい経験です。あと、タイの人の心の温かさに触れられます。派遣の最後の日には、生徒たちが日本語の歌を歌ったり手紙をくれたり、警備員さんと別れを惜しんで互いに号泣する、という状態でした。 日本語パートナーズ、行った方がいいです!
「時間がゆったり流れる感覚と、『ああ、生きてて良かった』という思いをくれるのが日本語パートナーズ」(上田さん)
上田:日本人として生まれて日本で生活していると、ゆったりと時間が流れる感覚はまず持てません。でもASEANの、特に地方へ行けば、時間がゆったり流れているなあという実感が持てると思います。あと、「生きてて良かったね」という瞬間がある。そのためだけでも、半年、一年、行く価値があると思います。われわれの年になりますと、人生の残り時間の配分が非常に大事なんですよ。「Aということをどれくらいやろうか、Bということをどれくらいやろうか」と。このように残り時間を意識する中で、時間がゆったり流れる感覚と「ああ、生きてて良かった」という思い、この二つをくれるのが日本語パートナーズです。そういうものを評価する人は、ぜひチャレンジしてください。