“卒業前に武器となる経験が欲しかった”
西田: きっかけは、大学3年生の時。第2言語で履修していたインドネシア語の先生が「君みたいな人に向いていると思う」と勧めてくれたのが日本語パートナーズでした。
大学生活は「人生の夏休み」っていうように、時間がたっぷりとあるじゃないですか。それで、何かをやりたいという思いはあったんですけれど、両親に迷惑をかけたくなかったし、数十万、数百万をかけて留学に行くなんて夢のまた夢。でも勧めてもらった日本語パートナーズなら、自己負担はほとんどなく行けると知って、心が動きました。
就職活動を控えていた頃で、参加するには休学しなければいけなかったのですが、悔いはありませんでした。それまで僕には誰かに誇れるような経験がなかったので、1年卒業を遅らせて、武器となるアイデンティティを作ろうと考えたんです。
村松: 僕の場合は同期の友達と卒業したかったから、大学4年生のときに応募して、派遣されたのが新卒の時期でした。それまでに、交換留学でカンボジア、ベトナムでインターンシップ、タイで語学研修を受けたことがありました。アジアの人々の優しさや文化に触れて、「日本語教師になりたい」という夢を持つようになったんです。
不安だったのは、選考に落ちたらどうしよう、ということ。周りが就職活動をしている時期に、企業を受けられないのは置いていかれているような気分で。日本語学校でアルバイトしていて、もしダメだったら、そこで引き続き働かせてもらおうと思っていました。でも、卒業してすぐ海外に行きたいという強い想いがあったので、面接で力を込めて伝えました。
海野:私は「新卒ブランド」とか、大学に在学しながら就職活動するのっておかしいと思ってたので、新卒で日本語パートナーズに行くことに抵抗はありませんでした。こういう道もあるんじゃないって、あと先考えず飛び込んでいったイメージです。
在学中に一度タイに留学していて、タイと日本を文化的につなぐ仕事はないかなと考えていて、調べていたら日本語パートナーズが出てきたんです。タイでは日本製品が現地でなんでも手に入るし、強い経済の関わりを感じる一方で、タイ人が抱いている日本人像がステレオタイプ過ぎる! というのがありました。「日本人と言えば刀やろ」みたいな。表面的な文化だけではなく、例えば「茶の間」のように何もない空間を大事にする日本独特の感性とか、カルチャーの深いところを伝えたいと思ったんです。