派遣先での経験を通して感じた、日本語教育を支える仕事のやりがい
――活動のメインである日本語の授業について、現地ではどのような教材を使っていましたか?
山本:基本的には指定の教科書があり、それに沿って授業が進みます。ただ、教科書の言い回しは古かったりするので、今どきの言葉に直したり、日本の風景の写真を用意して補足したりと色々工夫しました。日本語のネイティブとして、「今の日本ではこういう感じです」といった風にフォローしていました。
実際に教えていく中で「こういう教材があったらいいよね」と先生方と話す機会も多かったです。例えば、私が「教科書のこの部分にはカードを作ってみましょう」とか「この教科書は音声CD がないから、私が声を録音します」とか。そういった活動を行う中で、教育のサポートをする仕事も、すごくやりがいがあると感じました。
――現地での経験から、今後やりたいことを見つけていったんですね。
山本:参加前に日本語教師の資格を取っていたので、帰国後は教員の道に進むつもりで日本語パートナーズに参加しました。でも、先生方のサポートだったり、学生たちが日本に関心を持てるようなイベントを数多く企画する中で、教師としてではなくバックオフィス的な形で教育に携わる仕事もやりがいがあるなと思うようになりました。
――そういった様々な活動の中で、最も印象的なエピソードはどんなものでしたか?
山本:派遣期間を終えて帰国する際に学生たちから手紙をもらったんですが、そこに書いてあった内容にすごく感動しました。実際に日本人と話をするのは初めてという学生が多かったこともあって、日本語や日本文化を教わったこと以前に「日本人の先生に名前を呼んでもらえたことが一番嬉しかった」と書かれていたんです。
派遣前は「私に何ができるんだろう」と思っていたのですが、自分と向き合いながらやってきたことが10か月の間に少しでも学生の中に届いて、懸け橋のような存在になれたということは、自分の中でとても心に残っています。
帰国後に就職した会社で、日本語パートナーズの経験を買われミャンマーへ
――では次に、帰国後のお話を聞かせてください。派遣期間が終わり日本に帰国してから、次の仕事を探されたのでしょうか?
山本:現地の活動中も日本語教師の道か、日本語教育に別の形で携わる仕事を探すか、ずっと考えていました。帰国して、いざどうしようかと考えた時に、現地でお世話になった日本人の先生方に相談したり、日本語教育に関わっている会社の説明会を聞きに行ったりしました。
できるだけ日本語パートナーズの経験が活かせるものを、と思い調べていく中で、ひとつの会社を見つけました。その会社は、国内で日本語教師を育てる学校や日本語学校を運営したり、海外事業部でEPA(経済連携協定)の仕事に取り組んでいたりして、とても魅力的に感じたんです。以前は学校法人に勤めていたので、一般企業に勤めるのは新しい挑戦でしたが、自分がやってみたいことに合っているか、自分には何が向いているのかなどを考えた結果、その会社に就職を決めました。
――今の仕事で、日本語パートナーズの経験はどのように活かされていますか?
山本:勤めている会社の海外事業部で、EPA関連の看護師や介護福祉士の候補者を育てる事業があり、ベトナムの案件を引き受けています。私が入社した時の配属は国内事業部でしたが、日本語パートナーズの経験があるからということで、その事業に携わる機会をもらったんです。「長期でベトナムのオフィスに行ってほしい」という出張の依頼で、入社してすぐに3か月ほどベトナムで勤務しました。ミャンマーでの経験も活かせましたし、海外で教育関係に携われるのも嬉しかったです。
――入社してすぐに、すごい活躍ですね!
山本:また、ベトナム出張が終わってすぐに、ミャンマー出張にも同行したんです。私の会社は日本語学校を運営していたり、特定技能外国人の就業支援プログラムを提供していることもあって、上司が現地視察のためミャンマーへ行くことになったのですが、「山本さんはミャンマーにいた経験もあるし、現地の日本語学校や派遣校とのつながりもあるので、もしよかったら一緒に来てもらえますか?」と言ってもらいました。
――日本語パートナーズの経験を評価してもらえたのは嬉しいですね。
山本:仕事でも何かしらミャンマーに関われたらと思っていましたが、まさかこんなにすぐ訪れることができるとは思っていなかったので、すごく嬉しかったです。凱旋ではないですが、授業が終わった後の時間帯に大学を訪問しまして、現地の先生も学生も温かく迎えてくれました。