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パラグミ・サイナート――「農村記者」としての誇り インド農村の豊饒な物語

Presentation / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

インドにおける農業を取り巻くメディア環境

本日のテーマは、インドの農業の危機、農村地帯がいかなる事態に直面しているのか、それに関してメディアに何ができるのか、何を報道するべきか、ということについてです。ここにおられる皆様方はジャーナリストでいらっしゃいますので、初めに、ある数字を共有したいと思います。インドにおける全国日刊紙が平均で、1面のページのどれくらいを農村関連のニュースに充てているかというと、これは5年平均の数字なのですが、わずか0.67%となっています。しかもこの0.67%という数字すらも、水増しされた数字であると言わざるを得ません。なぜならば、5年平均といいましたが、この5年のうち1年は総選挙のあった年だからです。通常、選挙がある年は、取材をされる記事の割合が3~4%アップするものなのです。インドのメディアがどのようなことを取材するのかについては、38年間のジャーナリスト経験をもとに申し上げると、全国紙、または全国放送のテレビチャンネルで、労働問題について取材をする常勤のジャーナリストを置いているところは、一社たりともないのです。あるいは、農村、農業を専門とする記者がフルタイムでいるというところも全然ないのです。私はヒンズー語の農業専門誌の編集に10年半ほど携わっていたのですが、その時の私が、農業専門記者にいちばん近い存在だったと思います。要するに、インドのメディアには、名ばかりの「農村記者」が数名いるだけということになります。その人たちがすることといえば、農務省のお役所の取材、または農務大臣の取材くらいです。あるいは、せいぜい農業ビジネスについて取材をするというくらいで、農事作業や、農村の人たちの日常生活に関する取材はほとんどしません。この結果、農村記者という肩書を持っていながら、キャベツときゅうりの区別すらもつかないような記者がたくさん出てきてしまったのです。少し想像してみてください。インドのような国では、メディアが、労働専門記者や、農業専門記者などいらないと主要なメディアでは言われています。ちなみに私は、全キャリアを通して常に主要メディア、現在では正確には法人メディアと呼ばれるメディアで働いてきた人間です。そういった主要メディアが専門記者などいらないと言っているということは、人口の75%を占める人たちはニュースにはならない存在だと言っていることと同じなのです。選挙のある年だけは、少しはその75%の人口も取材の対象となりますが、記者たちは誰と何を話していいのかさえわからないため、取材など成り立たないのです。

物語の宝庫としてのインドの農村

次に、インドの農村についてお話します。まず前提としてお伝えしておきたいのは、インドの農村は、地球上でおそらく最も複雑なものであるということです。記者にとってはまさに天国だと思います。取材をするためのストーリーを探す必要がないのです。ストーリーの方から、記者の方に絶え間なくやってきます。このインドの農村というのは、人口にして、8億3300万人の規模になります。これは2011年の国勢調査からの数字です。この8億3300万人もの人たちは、780の異なる言語を話しています。そのうち8言語が1500万人以上に、3言語が1800万人以上に、1言語は5億人以上によって話されている状況です。その一方、20万人ぐらいの小さなグループでしか話されていない言語もたくさんあります。たとえば、アンダマン諸島で使われている言語の一つに、それを話せる人が一人しか残っていないという言語があります。東インドにあるトリプラ州のサイマール語のような、それを話す人が7人しかいない言語もあるのです。ですから、インドの農村の言語事情は、この上なく複雑な様相を呈しています。

パラグミ・サイナート氏の写真

さて、農村インドの稼ぎについての正確な情報をお伝えしたいと思います。というのも、皆さんよく、インドは8%、9%の成長をしているという話を耳にされると思います。しかしそれは実のところ、28年間に及ぶ、雇用なき成長 だったのです。そしてその成長の仕方というのは、富の過度な集中を引き起こし、何百万という農民たちの生きるすべを奪うようなものでした。私のお伝えする数字はすべて公式な数字ですが、使い勝手が悪い感じがあるために、あまり広く使われていません。これらの数字は2014年、15年、17年からとられた数字です。現在のインド政権はデータを破壊したいがために集めている状況で、データソースになるインドの主要機関のほとんどは、政府から攻撃を受けています。そのような主要な機関の中には、3年間報告書を公開していないところもあります。

一人当たりの月収が2,000円以下の農村世帯

2011年の国勢調査によりますと、農村には1億7900万世帯が暮らしていると発表されています。そして、社会経済的な、また、カースト制度を加味した国勢調査によりますと、この農村世帯の75%において、主要な稼ぎ手が得る収入の額というのは、月額5,000ルピー以下、つまり日本円で7,748円以下にしかならないという結果が出ています。月収7,748円というのが、インドの農村世帯の75%の所得の現状なのです。農村世帯の90%はというと、主な稼ぎ手の得る収入は、月額1万ルピー以下にとどまります。すなわち日本円にして15,500円以下の月収しかあげていないということになります。(ここで言う「稼ぎ手」とは、世帯の中でも主要な稼ぎ手のことです。) 主な稼ぎ手が月額15,500円以上の収入を得ていた世帯は、調査の時点では、たったの8%にとどまりました。しかし、指定カーストや指定部族ごとに世帯をみてみると、たとえばダリット*1 やアドゥバーシス*2 などの部族的な視点からみてみると、8%にすらならないのです。世帯数のうち主な稼ぎ手が15,000円以上の月収をあげているのは、たったの4%しかないことになります。それでは、農家の世帯ごとの収入はどんな状況でしょうか。農家の場合、主な稼ぎ手の得た収入という数字はありません。代わりに、一世帯当たりの農家がどれだけの収入を得ているかという数字になります。インドの平均的な農家は、一世帯当たり五人で構成されています。このような平均的なインドの農家の平均収入をみてみたいと思います。これは、インド全国標本調査機構による2013、14年の数字で、このデータによると、インドの農家の一世帯の(全家族メンバーが得た)月収は、6,426ルピー、日本円で9,960円といわれています。これは農業以外で稼いだ収入も含みます。ということは、農家の世帯に属すメンバー一人当たりの所得は、平均で月収2,000円以下ということになります。

*1 不可触民族

*2 原住民族