ASIA center | JAPAN FOUNDATION

国際交流基金アジアセンターは国の枠を超えて、
心と心がふれあう文化交流事業を行い、アジアの豊かな未来を創造します。

MENU

パラグミ・サイナート――「農村記者」としての誇り インド農村の豊饒な物語

Presentation / Asia Hundreds

世界中で起きている農村の没落

私に言わせれば、農業の危機、農村の没落は世界的な現象だと思っています。農村の危機は、インドだけの問題ではなく、日本にもある現実的な問題だと考えます。その見え方は違うかもしれません。危機の結果も違うかもしれません。しかし、伝統的な農業、家族主体の農業は、世界的な規模で危機に瀕しています。ですから農業の危機は、少なくともインドでは確実に、農業という範疇を超えた危機になっていると思います。今では、社会的な危機とも言えます。文明的な危機であると言うことすらできるかもしれません。小さな土地を持つ農家の集団が世界最大規模である地において、その集団がまさに死活問題に直面しているのが、現在の危機なのです。

パラグミ・サイナート氏の写真

1998年からずっと農業危機を取材し続けている人間として、これは文明的な危機であるだけではなく、人類にとっての危機なのではないかとすら思い始めています。インドの国立犯罪統計局の発表によりますと、20年間でインドの農民の自殺人数が31万人にものぼっているという状況なのです。このような危機に直面していながら、私たちは黙視し、何も語らなくていいのでしょうか。自殺をする農家のほとんどは、債務に苦しんでいます。そしてこの債務は、我々が国として意図的に採択した経済政策の結果、発生しているものです。1990年代の初めごろから、インドは誇らしげに経済改革政策を採択しました。しかし実質的にこの経済改革は、ネオリベラリズムの経済政策を、選んでもいない国民に押し付けた政策なのです。このような政策が持つ大きな意味は何であったかというと、農家が銀行や公的機関から借りたり、公共投資から得たりする信用供与の方向性が、大きく変わったことを意味しています。今までは農家が得ていた直接融資が、農業ビジネスを行う法人へと流れて行ったのです。農家に対する直接融資の金額が劇的に減り、種子、肥料、殺虫剤を所有する法人に対する信用供与が大幅に増えたのです。つまり、信用供与の行く先が、小さな農家から、大企業へと大きく変わってしまったのです。名目上は、価格というものは、自由市場経済をもとに決まるということになっていますが、皆さんご存知の通り、自由市場など存在しません。しかし私たちは、自由市場経済に基づく価格設定システムのもと、法人による価格のつり上げを許してしまいました。その結果、農業における投入財のコストが何百パーセントも上がりました。たとえば綿花栽培は、自殺が発生しているおもな農業分野の一つですが、その分野では1エーカー当たりの栽培コストが何百パーセントも上がっているのです。栽培コストが、です。農家の収入が栽培コストの高騰に合わせて上がるというわけでもないのに、です。そして、信用供与がまさに必要だという時に、信用は法人に流れてしまっているのです。つまり農家は、一方では信用供与の不足によって、他方では、栽培コストの高騰によって大打撃を受けたのです。また、栽培コストが上がると同時に、農産品の価格が暴落し、農民たちの受け取る金額が激減しました。なぜなら、政府の政策により、何百万人に上る自給自足農民が、20年以上をかけて食用作物の生産から換金作物の生産へと移行してきたからです。世界の農産品価格は、6社ほどの企業によりコントロールされているのですが、農民たちはその農産品価格の暴落により、深刻な影響を受けました。

この状況をさらに悪化させているのが、市場でとられている「先物取引」という仕組みです。この仕組みが、地方の市場を大きく損なっているのです。私の出身州であるマハラシュトラ州には、玉ねぎの生産で有名なナシェックという地域があります。そこで農家が玉ねぎを市場に持っていくと、1キロ当たり2ルピーくらいにしかなりません。1キロでたったの2ルピーです。ところが、そこから200マイル離れたところでは、同じ1キロが80ルピーになるのです。何が起きているのかというと、先物取引には投機が大きく絡んでおり、そのせいで小規模な農家は自分たちの農産品の価格を決める権限を完全に失っているわけです。

4万人の農民による抗議の行進

おまけにこの問題に加え、大きな水危機も到来しています。この水危機は自然のなせる業であるだけではなく、人間が引き起こしたものでもあります。私たちの水の使い方、分配の仕方、だれが水のコントロールをするか、水の少ないところでどんな作物を生産するのか、などということが積み重なって、巨大な水危機をもたらしているのです。その表れ方は多岐にわたるのですが、今は時間がないので申し上げられません。それに加え、土壌の持つ、作物を育てる力が低下してきているという問題があります。化学肥料を使いすぎたり、殺虫剤をまきすぎたり、他の農薬を使いすぎたりするせいで、土壌の生産力が弱まっているのです。

その結果、雇用面でも大きな危機が生まれています。2001年から2011年の間、データが発表されて以来、最大の移動労働が起こっています。国勢調査をみてみたいと思います。1991年と2011年に国勢調査があり、次の調査は2年後になりますが、フルタイムで農業に従事する人の人口は、この20年間で1500万人減っています。ではこの1500万人はどこへ行ったのでしょう。彼らの多くは、農業労働者になりました。農業従事者の中でも、最下層になってしまったのです。その他の人たちは、仕事を求めて他の村、街、市に移動しているのですが、どこへいっても仕事にはありつけません。この2年間で、大規模な農民の抗議行動が全国的に起こっており、これからも大きくなっていくと思われます。去年、2018年の3月に、最貧層の農民4万人が抗議の行進を行いました。彼らは、玉ねぎを生産するナシェックに暮らす、アドゥバーシスの部族の人たちです。抗議行進には老若男女を問わず多くの人が参加しました。男の人も女の人も子供も、60代後半の女性や、孫を連れたおばあさんまでもが、ナシェックから182キロ離れたムンバイまで、40度の高温の中を行進しました。この抗議行進に参加した農民のほとんどがあまりに貧しかったために、履物を買うということすらままならない人ばかりでした。その人たちは抗議行進に裸足で参加し、ムンバイについたころには、足の傷口が開き、血が流れていました。3か月前の11月29日、30日に、大きな抗議集団が国の首都デリーに押し寄せました。この人たちは、国内の21もの州から参加していました。

インド農村部の人々のためのアーカイブ(PARI)-マス・メディアとマス・リアリティの断絶を埋める取り組み-

申し上げたいのは、メディアが、自らが作ったプリズムによってがんじがらめになっているのだということです。これまでの30年間、多くのインドのメディアが法人化されてきました。メディアを所有する人の数はどんどん減っていき、法人化の勢いが止まりません。これにより、ジャーナリズムというものが、収入をあげるための手段と同義語になっているのです。「もし儲かるのなら取材をするけど、儲からないなら取材になんか行かないよ」というような態勢です。結論として、インドのメディアは政治的には自由であるにもかかわらず、利潤によって自らが囚われ人になってしまっているのです。ここにこそパラドックスがあるわけです。私はこのようなメディアの法人化は、世界的な現象だとも思っています。そして、現代のメディアに共通して持つ基本的な特徴は何かというと、「マスメディア」と、大衆が属す現実「マス・リアリティ」との間に断絶があること、しかもその断絶がどんどん広がっているということだと思います。インドには、何千という、若く、やる気と能力に満ちた、そして本当に感受性の豊かなジャーナリストたちがたくさんいるのです。彼らは取材活動をしたいと思っているのですが、インドメディアの制限のせいで、結局は何もできないでいます。そのために、特にデジタルメディアの分野では、実験的なことが多く行われるようになってきています。2014年に、私は、自分と同じく35年くらい主要メディアの経験を持つ同僚たちと一緒に、「インド農村部の人々のためのアーカイブ(PARI)」という仕組みをはじめました。これは、インド亜大陸の農村の日常を報道するためにつくられたものです。インドの農村について伝えるためだけに捧げられているものなのです。都市部で移動労働者として働く農民のことも報道していますが。可能であれば後で皆さんにお伝えしたいのは、経済政策の結果によって、どのような格差が生まれたのかということです。「インド農村部の人々のためのアーカイブ(PARI)」を通して、農村地帯でどんなことが起きているのかということが大体わかっていただけると思います。私からは以上にさせて頂きます。ありがとうございました。

「農村記者」としての誇り講演の様子

【2019年2月18日、日本記者クラブにて】

「ジャーナリストが見たインドの経済格差」パラグミ・サイナート氏