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リザ・ディーニョ=セゲラ――フィリピン映画の過去と現在と未来を拓く

Interview / Asia Hundreds


ASIA HUNDREDS(アジア・ハンドレッズ)」は、国際交流基金アジアセンターの文化事業に参画するアーティストなどのプロフェッショナルを、インタビューや講演会を通して紹介するシリーズです。 文化・芸術のキーパーソンたちのことばを日英両言語で発信し、アジアの「いま」をアーカイブすることで、アジア域内における文化交流の更なる活性化を目指しています。

フィリピン映画の遺産を守るために

岡田 秀則(以下、岡田):リザ・ディーニョさんは女優として活躍なされているわけですが、2016年に大統領からの任命を受け、FDCP(Film Development Council of the Philippines フィリピン映画開発審議会)の理事長に着任されました。

リザ・ディーニョ=セゲラ(以下、ディーニョ):大変やりがいのある任務を頂戴したと思います。いつもとは違ったフィールドですし、私個人ではなく映画業界全体のためという、より大きな使命をもった仕事ですから。映画産業の向上に貢献し、映画の重要性への理解を深めるべく、映画の過去と現在と未来のためのプログラムに取り組んでいます。

岡田:まずは、FDCPの主な取り組みについてご説明いただけますか。

ディーニョ:私たちのFDCPという機関は大統領府が管轄していますが、その主要な任務としては4つ挙げられます。まず、映画界というエコシステムの健全化を図り、国内的・国際的な映画製作を支援すること。次に、フィリピンの映画遺産の保存を一層充実させること。さらに、国内外での上映を通じてフィリピン映画のプロモーションに努めること。そして最後に、他国が製作する映画のフィリピンへの撮影誘致を推進すること。以上のような目的をFDCPは担っています。

岡田:2016年8月に初めてマニラを訪れ、マニラ国際無声映画祭に出席しましたが、熱気に満ちたすばらしい映画祭でした。その際に、フィリピン国立映画アーカイブ(NFAP/National Film Archive of the Philippines)にもお邪魔できましたし、リザさんにもお話を伺えました。

ディーニョ:もちろん覚えてますよ!

岡田:私は海外に行くときにはいつも、その国の映画保存の現状を知りたいと思っています。皆さんのお話を伺うにつけ、フィリピンでは今まさに、映画保存をめぐる状況が進展しつつあると感じました。

ディーニョ:楽観的な見方をしてくださっているかもしれません(笑)。

岡田:フィリピンは昔から大衆娯楽映画もアートフィルムもともに盛んで、東南アジアのなかでも特別な映画産業を擁する国という印象をもっています。その一方で、映画保存に関していえば、1990年代からすでに尽力されている方々がいたのは存じ上げていますが、国立の映画アーカイブが設立されたのが2011年のことで、保存に向けた態勢が近年になって整いつつあるように思います。

ディーニョ:大規模な映画と小予算の映画の両方があることによって、フィリピン映画というもののユニークさと美しさが形作られていると思っています。映画保存への関心が生まれたのはたしかに遅くはありましたが、まさに現在、私たちがアグレッシブに取り組んでいるところです。長期的な保存が可能な施設をつくり、万全の態勢を整えながら、積極的に寄贈いただけるようさまざまな方とのコネクションを保つ―目下そうした努力を積み重ねています。

アジアハンドレッズのインタビュー中のリザ・ディーニョ氏と岡田氏

岡田:映画アーカイブの整備を現在進めていくにあたって、一番大きな課題はどのようなものでしょうか。

ディーニョ:未来の世代のために映画の保存ということがいかに重要であるか、政府を説得する必要がありました。フィリピンは途上国として直面している問題がたくさんありますから、映画保存などといったことになると、優先順位の後ろに追いやられてしまいがちです。幸いにも、こうした問題に理解を示し、保存施設の整備を政策として推してくださる議員や政府関係者もいてくれています。保存の必要性への理解ということに関しては、フィルムを提供くださる方々からも徐々に得られつつあります。
ただ実際のところ、FDCPにフィルムを寄贈していただいても、現在の収蔵庫ではスペースが足りません。室温管理なども行き届いた、国際基準に見合う施設をきちんと作る必要があります。実は2017年になって予算が下り、スービックという地区にある、アメリカ軍によって使われていたシェルターを収蔵庫に転用できないかと考えています。フィルムの保管にも適していると技術コンサルタントから言われています。映画保存への取り組みのあくまで第一歩ということであって、まだまだ道のりは長いのですが。

岡田:フィルム収蔵庫として旧軍事施設を利用するというケースは世界的に見られますね。シネマテーク・フランセーズやCNC(フランス国立映画映像センター)の収蔵施設は19世紀に建てられた砦が使われていますし、私たちの国の映画保存庫(国立映画アーカイブ相模原分館)も東京の西の郊外にありますが、元々は日本を占領した米軍からの返還地で、さらにその前は日本陸軍が使用していた場所です。

ディーニョ:CNCの収蔵庫もこの5月に見学でき、とても刺激になりました。私たちとしては、アーカイブだけでなく、ミュージアムとシネマテークも同じ場所に設けたいと考えていますが、いずれにせよ、劣悪な環境に置かれたままのフィルムを、適切に保存できる環境を整えることが急務です。マドリッドのフィルモテカ・エスパニョーラを訪問したさいに、収蔵作品のなかにフィリピン映画がいくつも見つけられたのですけれども、そういったフィルムを自国に取り戻したいと思っても、保存施設の不整備がボトルネックとなってしまいます。それが整いさえすれば、私はどこへでも胸を張って映画を探しに行きますよ(笑)。そういうわけで私たちは政府の支援を求めているところですが、その次の段階として、フィリピン映画がアーカイブされている国外の自治体や機関との連携を深めていきたいと思っています。たとえば福岡市もフィリピン映画の貴重なコレクションを持っておられますね。

岡田:フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)もそうですが、とりわけ福岡市総合図書館が東南アジア映画の保存の一翼を担ってきたことは間違いありません。マリオ・オハラ監督の『神のいない三年間』(1976)といった傑作に私が出会えたのも福岡市が所蔵してくれていたおかげですが、これからはそれぞれの国が適切な施設を作ってフィルムを「里帰り」させられる時代になってくると思います。フィリピン国内での収集について伺いたいのですが、映画の著作権者やプリント所有者の方々からは積極的な協力を得られていますか。

アジアハンドレッズのインタビュー中の岡田氏

ディーニョ:皆さん保存の重要性は理解してくださっています。自分たちでフィルムを所有しているうちに散逸させてしまうといったことになるよりは、寄贈することの意義を認めてくださっていますね。コレクションに加えるにあたっては、寄贈者の方とは契約の覚書を交わし、権利を確認したうえで、非商業的な上映の許諾も得ています。ただ、映画の権利というのは複雑ですよね。権利元が監督なのかプロデューサーなのか映画会社なのか込み入っていたり、上映権と別にテレビ放映権もあったりしますし。ですから、権利に関するガイドラインを考えるのも私たちの仕事のうちです。

岡田:昔の映画で権利がどこへ行ったかわからないものを「オーファン・フィルム(孤児映画)」と言いますが、フィリピンにもそういう問題はありますか。

ディーニョ:それはもう、しょっちゅうですね! プリントはここにあるのに権利元がわからない、ということですよね。2019年にフィリピン映画は生誕100年を迎えます。そのためのイベントをいまから準備しているのですが、昔の映画を上映したりデジタル化したりしたいと思っても権利関係が不明というケースにしばしば見舞われます。

岡田:そうした理由で活用できない映画が大量にあるのは日本も同じです。ヨーロッパやアメリカでは法制度を変えていく動きもありますね。

ディーニョ:いわゆる「オーファン・フィルム」に関しては「フェア・ユース(公正な使用)」を適用して、上映による収益が出た場合は私たちの元でいったん預かり、権利所有者が判明したさいにお支払いする、といった手続きをとっています。

岡田:過去のフィリピン映画の復元をめぐる現況を教えていただけますか。

ディーニョ:復元あるいはデジタル化という事業は、目下進行中ですね。FDCPのコレクションについては、フィルムそれ自体を保存するとともに、デジタル化の作業もできるだけ優先的に行っています。2015年にフィルムスキャナーを購入しましたので、デジタル化の作業はインハウスで可能です。一方、復元作業はイタリアのリマジネ・リトロヴァータに依頼していますが、国内大手のセントラル・デジタル・ラボとの連携も進めています。ABS-CBN所蔵作品の復元をすでに100本以上手がけた会社です。また、韓国映像資料院をはじめ、復元の設備をそなえた国外の機関とも協力しています。いま私たちが復元作業に取り掛かっているものには、マリルー・ディアス=アバヤ監督の『Brutal(ブルータル/暴行)』(1980)やエマニュエル・ボルラザ監督の『Mrs. Eva Fonda, 16』(1976)があります。つい最近終えたのはコレクション中の最古の作品、1937年製作の『Zamboanga(サンボアンガ)』(エドゥアルド・デ・カストロ監督)という映画です。主演を務めたフェルナンド・ポーは、フィリピン映画界の著名なアクションスターであるフェルナンド・ポー・ジュニアのお父さんですね。復元については今のところ毎年2本分の予算を受けていますが、国内での復元作業も視野に入れ、今後は年間5作品以上を目標にしたいところです。

アジアハンドレッズのインタビュー中のリザ・ディーニョ氏

岡田:いま名前が挙がったABS-CBNはテレビ局ですが、フィリピンの映画保存に大きな役割を果たしていると聞いています。

ディーニョ:ABS-CBNは、単なるテレビ局ではなく、映画製作も手がけていて、数多くの商業映画がABS-CBNによって製作されています。同社が映画遺産への強い関心を寄せているのには、社長のチャロ・サントスさんの存在が大きいです。フィリピン映画「第2黄金期」*1 の頃から活躍されている女優で、1976年のマイク・デ・レオン監督『Itim(黒)』で高い評価を受けた方です。ABS-CBNアーカイブの所長であるリオ・カティグバクさんも、非常に熱心に取り組んでいます。同社が製作した映画は大量にありますから、それらの復元の作業も進められており、上映だけでなくDVD販売もされています。

*1 1950年代の隆盛を「第1黄金期」とみなすのに対し、70年代~80年代前半にかけての新潮流が「第2黄金期」と呼ばれる。マルコス政権下で表現の自由が制限されるなか、社会批判の精神に富んだ作品が次々と作られた。代表的な監督に、リノ・ブロッカ、イシュマエル・ベルナール、マイク・デ・レオン、マリルー・ディアス=アバヤなど。

岡田:映画遺産といいますと、映画本体だけでなく、映画のポスター、スチル写真、映画雑誌といった資料群も含まれてきます。そうしたノンフィルム資料にもFDCPは取り組まれていますか。

ディーニョ:FCDPが目下注力しているのはやはりフィルムの収集と保存ですので、ノンフィルム資料については今後の課題ですね。個人コレクターとのつながりもありますから、予算が確保できれば、そうした方々から購入してコレクションの一部にしていきたい、とは願っています。フィルモテカ・エスパニョーラでは、ノンフィルム資料を保存しているだけでなく、それらを修復するラボもあるということを聞いて、羨ましいかぎりでした。

岡田:シネマテーク・マニラには名作のポスターがたくさん貼ってあり、嬉しくなったのを思い出しました。入口にはヘラルド・デ・レオン監督の銅像が、中に入るとイシュマエル・ベルナール監督やリノ・ブロッカ監督の銅像があって、感銘を受けました。収蔵品が充実していけばミュージアムを作れるのではないかと感じました。

ディーニョ:じつはFDCPでも、ノンフィルム資料のためにあらたに一部屋設けることになっています。古い撮影機材の寄贈を数多く受けていまして、それらを展示するためのスペースです。今後は、ポスター、スケッチ、絵コンテ、脚本、プロデューサーの覚書といったものも展示していければ、と思っています。

アジアハンドレッズのインタビュー中のリザ・ディーニョ氏

岡田:フィルムアーキビストの養成といった事業はなさっていますか。

ディーニョ:先ほど申し上げたような収蔵施設の整備は、FIAF(国際フィルムアーカイブ連盟)*2 への加盟を将来的に視野に入れているわけですが、その目標が実現すれば、アーキビストの養成もいっそう充実してくるでしょうね。FIAFのイベントがバンコクで開かれた際は人材を送りましたし、2017年にSEAPAVAA(Southeast Asia-Pacific Audiovisual Archive Association 東南アジア太平洋地域視聴覚アーカイブ連合)の会議のホスト役をフィリピンが務めたときには、国内から若いアーキビストを募ってワークショップを行いました。そうした努力をしているというのが現状です。

*2 映画・映像を文化遺産・歴史資料として保存すべく世界各国の映画アーカイブから構成された国際組織。1938年に創立され、2018年5月時点で166の機関が加盟している。日本からは国立映画アーカイブと福岡市総合図書館が会員となっている。