マレーシアでは、年に1度、全国高校生日本語弁論大会が行われます。 その名は、「Secondary School Japanese Language Speech Contest」。
マレーシア全土の日本語履修者から、たくさんの応募があります。まず原稿予選、次はスピーチ予選、そしてファイナリストに残った約10数名が、全国ファイナル大会に進むことができます。
現地の日本語の先生と私は、この“日本語パートナーズ”プログラム始動の際、2人で目標を立てました。 「私たちの学校として初めて、全国高校生日本語弁論大会に出場すること!」 というのも、Form3(3年生)から出場資格のあるこの大会。 私の学校では日本語開講・履修歴はまだ3年目と歴史が浅く、今年ようやく、出場資格のForm3に達したのです。とはいえ、表舞台までには、困難なハードル(弁論原稿予選→弁論大会予選→弁論大会決勝)がたくさんあります。
校内候補者に原稿を書かせ、現地の日本語の先生と慎重に選考を重ね、代表者1名を選び応募しました。
応募後、なかなか連絡のない日々にほぼ諦めの気持ちでいたある日、1本の電話が! 「弁論原稿予選通過……!」 顔がほころぶ、先生と私。しかし喜びもつかの間! 弁論大会予選までは約1週間強しかありません!
練習が始まれば、いばらの道。当然ですが、思い描いたようには進みません。厳しく指導をする日も多くありました。
準備不足も否めない状況で迎えた、弁論大会予選。ここで、初めて日本語のスピーチを披露します。行政都市プトラジャヤにある立派な大ホール。大人でも緊張する雰囲気。生徒もすごく緊張し、言葉少なくかたまっています。 「ここに残れているだけでも、すごいよ! 間違っていいから、大きな声でスピーチしておいで!」と、明るく送り出す私たち。 少しの望みにかけた結果、なんと――生徒はファイナリスト10名に選ばれたのです! 「夢かしら?!」という顔をする生徒、笑みを一生懸命に我慢している姿がとてもいとおしい! その隣で、ホッとする先生と私。
さて、ここまででも十分! しかし、やはり、少しは欲が出ます‼ 初出場で決勝に出られるのですから……。早速3人で次の目標を立てます。入賞、できれば東京賞・大阪賞(訪日研修あり)を狙いたい!
その後、3人で忙しい合間を縫い、スケジュールを合わせて練習が始まりました。
日増しに、生徒の発音・表現力も良くなってきます。毎日感じましたが、「成長」って本当にすごいです! ファイナルまでの約1カ月間弱、一喜一憂しながら、「三人四脚」で走り抜きました。
そしていよいよ最後の練習日です。私はなんとなく寂しい想いでした。そして、なんとこれまでで一番のできだった生徒。 堂々と日本語でスピーチをする生徒の姿に、私は涙が止まりませんでした。「よく、ここまでがんばったね……(涙)」
そして迎えた、大会ファイナル in 首都クアラルンプール! 全国から勝ち残ったファイナリストが、その名を連ねます。みんな素晴らしいスピーチ、そして日本語力。上には上がいます。はっきり言って、ネイティブの私より上手……です!
ついに、わが生徒の出番です。 「あっ、やはり……緊張してる……。練習の成果を出し切れー!」 と、心で願う私たち。
これまでの練習の成果を、十分に発揮できた5分間のスピーチ。生徒は無事、立派に務め上げました。質疑応答まで終えた後、先生と私は無言で顔を合わせました。初めて日本語に挑戦した、まだ幼い生徒が成し遂げた努力とそのプロセスが、走馬灯のように頭を巡りました。感無量で、目にはあふれるものが。
とにかくやりきりました! 練習プロセスが満足したものだと、結果より、すがすがしい気持ちで満たされるものだなぁと実感! さぁて‼ タイ国境近くのクダ州に住む私たちは、これから夜な夜な、遠い本拠地まで遠距離移動です。飛行機の時間も迫っている中、空港行きのタクシーを素早く先生が手配(本当に機転のきく先生です)、帰る用意は万端!
すると、アナウンス。「では続いて、審査員特別賞です。SMKスルタナ・アスマの……」
「えっ‼ 先生! 先生! 審査員特別賞ですって‼」 慌ててカメラを持ち、人の合間を縫って、足がもつれながらもダッシュで前に出ていく私たち大人2人。
「おめでとう! 良かったね!!」でも、生徒の表情は、いまひとつパッとしません。すると生徒は、「ありがとうございます……でも……今回日本に行きたかったです。先生、勝てなくてごめんなさい。」
なんと! 生徒に「ごめんなさい」と言わせてしまった……とてもショックでした。十分すぎる結果なのに……。これは完全に私の力不足だと反省しつつ、生徒のこの一言で、私の次の目標設定ができました。何事も必ず次につながっています。
この“日本語パートナーズ”プログラムは、「現地の日本語の先生」、「学習者である生徒たち」、「私たち“日本語パートナーズ”」がより良く絡みながら、さまざまな「文化のWA(和・環・輪)」をつくることも、大きな目標とされています。
今回の弁論大会は、目標設定(初出場するぞ! 初入賞したい!)→練習を惜しまないプロセス(日本の精神鍛錬もできた!?)→結果(審査員特別賞受賞!)→次の目標設定(日本へ行きたい!行かせたい!)という「WA」を描くことができた、最高の舞台でした。その隠れた舞台裏で、私たち3人はたくさんの「和・環・輪」を生み出すことができました。
また、“日本語パートナーズ”として派遣された私たちには、未来の“日本語パートナーズ”のためにも「前例を残す」という仕事もあります。この、全国弁論大会を舞台にした「ゼロからの発進で目標達成」の三人四脚ストーリーが、この投稿を見てくださっている皆さんのそれとなれば幸いです。
最後に、このような日本語弁論大会は、私たち日本人にとって、「日本を再発見」できる非常にありがたい場でもあります。私が本事業に応募したのは、日本で幾度も外国人弁論大会に出席して感銘を受けたことも、大きなきっかけの一つなのです。 本事業へ関心をお持ちのみなさま、身近な弁論大会をのぞいてみてください。あなたにとっても、大きな扉になるかもしれません!