私が入院したのは、12月半ばに差し掛かろうとしていた時のこと。入院する数日前にフォレストランで15㎞完走していた私は、体のだるさや疲れはマラソンからだろうと思っていました。しかしそう思っていた日の夜、38℃を超える熱と猛烈な腹痛が私を襲いました。私は必死ながら、国際交流基金の担当調整員やカウンターパート(CP)の先生(現地日本語教師)へ連絡し、保険会社へキャッシュレスの手続きと病院の予約をお願いする電話をしました。キャッシュレスを頼む電話は以前にも例があったため、てこずりませんでした。(前回は眼科へ)しかしCPの先生とうまく連絡を取ることができず、この日は自宅待機することに。
翌日、CPの先生に付き添ってもらい病院へ行きました。しかし、手続きが済んでいるはずなのにも関わらず、受付は「そんな連絡は来ていない」と一点張り(キャッシュレスはこちらでは珍しいらしく、このように言われるケースは多いそう)。CPの先生が根気強く話し合ってくれたため、何とか診察や採血・尿検査を受けることができました。結果、私は入院することになり、入院中さらに心電図やエコーなどいくつかの検査を受けました。しかし、診断された病名と症状があっていなかったなど、正直不安でしかありませんでした。
病院で使われるインドネシア語は、日常で使うインドネシア語と異なり、私にとって難易度が高いものでした。そのためCPの先生が傍にいてくれて本当に助かりました。しかし、CPの先生がいてくれるからと言って、100%意思疎通が出来るわけでないため、どうしても全ての不安は取れませんでした。日本にいる時に入院する経験がなかったため、尚更かもしれません。そして3泊4日の入院生活を経て、やっと退院することができました。「自分の体調を過信してはいけないな」、と思う瞬間でした。