「これからはお金のためじゃなくて、本当にやりたいことをやろうと思う」
―今年の3月で日本語パートナーズの任期を終えられました。振り返ってみて、タイでの半年間はどんなものでしたか。
高橋:新しい人間関係もでき、自分にとってとても大きな半年間でした。私はサラリーマンを辞めるという大きな決断を経ての参加でしたが、今後の人生の糧になるような経験になったと思います。
―サラリーマンを辞めての日本語パートナーズ参加には、どんな思いがあったのですか。
高橋:日本語パートナーズを経て、帰国したら起業するプランだったんです。規模の大きな会社の中では、さまざまな立場や考えの人がいるため、必ずしも正しいことをすることが良いことではないんだと、感じることがありました。自分の行動に責任を持ち、自分で仕事をしたいという思いは昔から持っていたんです。 ただ、私はシングルマザーで子供を育てていたので、子供たちがちゃんと学業を身につけて自分たちで生きていけるようにしなければいけない。それで、これまではあまりリスクを冒すことは避けてきたんですが、下の子供が大学を卒業したので「これからはお金のためじゃなくて、本当にやりたいことをやろう」という気持ちになったんです。
「女性が働ける社会を、教育分野で支援したい」
―起業については、具体的なプランがあったのですか。
高橋:人生をかけてやりたいと思えるものは、それまで見つかっていませんでした。サラリーマンを辞めて何をしようかと考えた時に、私が両親から手とり足とり勉強を教わったことを思い出しました。一方で自分は忙しさにかまけてあれほどのことを子供たちにしてあげられなかったな、と。それでもう一度「子供を育てたい」という思いが生まれて、教育関係の事業で起業をしようと考えました。 ちょうど安倍首相が「女性が働ける社会」というのを掲げた時期でもあり、女性の起業が奨励され始めていました。働くお母さんたちにとっては、子供を責任もって預かってくれる人が必要になる。自分がやり残したことと社会のためになることがぴったりと合ったので、「これは自分がやるべきだ」と思いました。それまではアメリカの企業に長く勤めていたため、これからは日本のために働きたいという気持ちも強かったんです。
「タイでもビジネスの種を見つけました」
―すでに起業の計画があった中で、日本語パートナーズに参加しようと考えたのはなぜですか。
高橋:日本の子供を教育するにしても、日本の中で完結するというのは考えられませんでした。私自身これまで、インド、フランス、ロシアとさまざまな国に住んだことがありますが、それぞれとてもいい経験でした。東南アジアというのはこれから重要な地域でもあり、この事業に参加することで絶対に起業にもプラスになるだろうと直感的に感じました。実際に参加してみて、とてもいい「バッファ(準備期間)」になったと思います。
―では今は、タイでの経験を踏まえて計画を実行に移している段階でしょうか。
高橋:そうですね。ただ、タイでの経験を通して、教育というのはあまりお金もうけにしてはいけないんじゃないか、とも思うようになったんです。それもあって、教育の事業に関してはあまりお金もうけにはこだわらず、ビジネスとしてはタイで見つけたものをこれから始めようと思っています。タイのものを日本に持ってきて紹介するようなビジネスですが、タイに行かなければ見つからなかったものです。教育に関しては、普段は学童保育をしながら、長い休みには「国際キャンプ」を開催するというアイデアをもともと持っていて、それは順調に進んでいるところです。
日タイが交流する「国際キャンプ」のアイデアとは
―「国際キャンプ」というのは、どんなものですか。
高橋:日本の学童とタイの小学生が日本でキャンプをする取り組みです。将来的にはほかの国から帰国した日本語パートナーズの方たちのネットワークも使って、ASEAN各国の児童が参加できるといいと思います。一番大事なのは、寝食を共にすること。タイの子供たちにとっては、日本を自分の目で見て文化を経験したり、日本語を勉強したりすることができて観光とは違うものがあるでしょう。日本の子供たちにとっても海外の異なる文化や宗教などを小さいうちから経験することはいいことです。両親が働いている家庭にとっては、長期間キャンプに行っていれば安心できるというメリットもあります。 海外=アメリカではありませんし、英語の勉強は必要でしょうが、これからは「英語プラス1」だと思います。東南アジアは、ASEAN経済共同体(AEC)の開始もあって、これから特に大事なエリアになります。そういう地域の子供たちと日本の子供たちが寝食を共にするというのはお互いにメリットがあるんじゃないかと。それを今、実際に走らせているところで、1回目のキャンプを今年の夏に行います。 学童のための国際キャンプ2015夏
タイでの生活は夢のように楽しかった
―髙橋さんはこれまで海外在住経験も豊富ということですが、タイについてはどんな印象を持ちましたか。
高橋:インド国費留学という形で行ったインドでは、初めての海外生活ということもあって最初の一年はすごいカルチャーショックを受けました。でも、タイに関しては観光で何回か行ったことがあったということもあると思いますが、カルチャーショックはありませんでしたね。タイは物がある国なのでインドとは比べられないところもあると思いますが、国際交流基金による派遣は個人で行くのとはサポートの面で全く違うということを強く感じました。 例えばインドに留学した時は、空港から大学の寮にたどり着くのも、そこから生活を始めるのも全部自分でやらなければなりませんでした。でも、今回は空港で迎えていただいて、部屋に連れて行ってもらったらすべてが用意されているという感じでしたから。授業で使いたい教材は購入してもらえ、学校のエリアに売っていなければバンコクなどで買って送ってもらうこともできました。もちろん苦労がなかったとはいいませんが、国際交流基金の支援体制は手厚いものでした。
―派遣校はバンコクから少し離れたチョンブリー県でしたが、生活面でも不自由はなかったですか。
高橋:私にとっては、会社勤めの生活と180度違う、夢のように楽しいものでした。車がないので、移動はどこに行くにもバスに乗らなければ行けません。タイ語学校に通うのも片道1時間半とか2時間とかかかりましたけど、それはそれで楽しかったです。
―タイ語学校は週末に行っていたのですか。
高橋:日曜日に行けるかぎり行きましたが、何せ6カ月という短い期間なので全部行っても17回くらいの授業だったんですが。タイ語は派遣前の研修でも勉強しましたが、ローマ字やカタカナを使った授業だったので実際に現地で使ってみると、なかなか通じないんです。現地のタイ語学校でタイ文字を習ったら、どうして通じないのかということもわかって、最後の頃はタイ語で簡単なコミュニケーションは取れるようになりました。でも、この前、生徒が日本に来てくれて一緒にご飯を食べたりしたんですが、「おいしい」というタイ語すらすぐに出てこなくて(笑)。やっぱり、使わないと忘れてしまいますね。
帰国後も生徒との交流が続く
―帰国後も生徒との交流が続いているのですね。
高橋:今はFacebookやLINEがあるので、何かあると連絡してきてくれます。あまり離れているという感じはしませんね。日本の生徒を教えた経験はないので比べられませんが、タイの生徒はすごく純粋でとてもかわいらしいんです。
―日本語パートナーズの経験を経て、これからの目標や夢などがあれば教えてください。
高橋:タイとの関係をキープして、いい意味で日本と東南アジアの国々の架け橋のような仕事ができればと思っています。それが、ひいては日本の社会のためにもなると思うので。
―日本と東南アジアは今後、どんな関係になっていけばいいと思いますか。
高橋:日本語パートナーズの研修などでも「教えてあげるのではなく、教えてもらいなさい」ということをよく言われましたが、私もそれは当然のことだと思っています。何かしてあげる、という上から目線ではなくて。実際、私も彼らからすごくいろんなことをしてもらいましたから。 今回派遣された学校はサイエンス校で、とても優秀な生徒もいました。比較的裕福な家庭の生徒が多かったと思うんですが、それでも、医者になりたいという生徒が医学部を出るのは大変です。優秀だけれども、資金面で厳しいという生徒には日本への留学を勧めました。日本の文部科学省の試験に受かれば、日本の医学部で7年間、奨学金を受けて勉強できるんです。日本の医学を勉強して日本語もできる、いいタイ人の医者が育ちますよね。 私が知っている範囲でも3、4人の生徒が今年、その試験を受けるそうです。1000人くらい受けるそうなので簡単ではないと思いますが、ぜひ受かってほしいです。彼らが日本に来た時にも、対等な関係でなければいけません。彼らが「日本に行ってよかったな」と思えるような、お互いにメリットのある関係になったらいいですよね。
―最後に、これから日本語パートナーズへの参加を考えている人にメッセージをお願いします。
高橋:私はぜひ働き盛りの人に参加してもらいたいと思っています。新しいネットワークができますし、人間的にもいろいろな経験ができて成長できると思いますから。価値観も変わったりしてその後の仕事にも生きることがあると思うので、半年間休職してでも参加してみたらいいじゃないかと思います。新しいものが見られると思いますよ。