日本語パートナーズの活動を通して、アジアに恩返しをしたい
――まず、柘植さんが日本語パートナーズに応募された経緯を教えていただけますか。
柘植:私は定年まで商社に勤務していまして、仕事でインドネシアとマレーシアに11年ほど駐在していた経験があるんです。現地では色々な人にお世話になり、支えられ助けられて今の自分があると思っていて、「何か恩返しをしたい」という気持ちをずっと持っていました。63歳で会社を辞めて、その後何をしようかと考えた時に「社会貢献がしたい」と思ったんです。そこで、日本語を教える地域のボランティア活動や、東京都の観光ボランティアを始めました。
でも、素人で始めた活動ですから、しっくりこないところはたくさんあったんです。そこで、短期間の日本語教師養成講座を受けてみることにしました。日本語パートナーズ派遣事業を知ったのは、その講座を受けている最中です。日本語パートナーズの舞台がASEANを中心とする国や地域ということで、「恩返しをしたい」という気持ちともつながりましたし、短期とはいえ養成講座も受けているので、「じゃあ応募してみようか」と思いました。
――日本語パートナーズとしてタイ中部の学校に派遣されましたが、現地ではどんな活動をしていましたか?
柘植:ひとつは、現地で日本語を教えるタイ人の先生(カウンターパート)のサポートですね。先生と一緒に教室に入って日本語の授業をサポートする「チームティーチング」と呼ばれる活動です。もうひとつは、現地の先生なしで授業を組み立て、日本の文化や習慣を生徒たちに伝えていく「日本語クラブ」という活動で、主にこの二本立てでした。
――派遣された学校はいかがでしたか。やはり日本とは勝手が違うものですか?
柘植:タイは、大体が中高一貫校なんです。私の派遣先も中高一貫校で、中学1年生から高校3年生までいました。中学1年生は小学校から上がってきたばかりで、まだ幼さが残っているような生徒たちも多く、かたや高校3年生は、もう大人の域に入っている生徒たちもいる、という状況でした。
――中学生には、初めて日本語を教わる生徒もいるんですよね。
柘植:そうですね。日本語の授業は高校生だけが対象ですが、私一人で教える「日本語クラブ」は全学年の生徒が受けられるんです。中学生はまだ外の世界をほとんど見たことがない生徒も多く、私が紹介するほんの些細な事でさえ、彼らにとってはとても新鮮な、遠い国の出来事なんです。そんな時、彼らがびっくりしたり、素直に感動してくれたりすることが、一番のやりがいになっていたと思います。
――活動の中で、特に記憶に残っているエピソードはありますか?
柘植:高校3年生の生徒たちが参加した「スピーチ大会」ですね。高3だと日本語の授業を受け始めて3年目くらいになるので、ある程度日本語は話せますし、私の言うことも大体理解できるんです。スピーチ大会に向けて、彼らの言いたいことを日本語で3分なり5分なりにまとめて話す練習をして当日に臨むのですが、彼らがうまくスピーチできた時は私も嬉しかったですね。