在職中に自分のキャリアを見つめ直し、日本語教育の道へ
――日本語パートナーズに参加する前は、学校法人にお勤めだったそうですね。
山本:大学時代に教育関係のNGOの活動に携わる機会があり、教育の大切さを痛感したのがきっかけですね。卒業後に学校法人へ入職し長く勤めていましたが、「教育」を柱に国際貢献や国際交流に携わる仕事で、自分に何かできることはないかとずっと考えていました。そんな折、30歳を前に自分のキャリアをもう一度考え直していた時に、日本語教師の仕事を見つけたんです。
――日本語を教えることが、国際交流になると考えたわけですね。
山本:国際交流といっても色々な形があると思いますが、相手の国の言葉を知ることが最初の一歩かなと思うんです。自分も海外に行った時、現地の言葉で挨拶するとすごく喜ばれますし、逆に日本に来た外国人が頑張って「はじめまして」とか「こんにちは」と言ってくれると嬉しいので。そういった経験からも、言葉というのはとても大事なものだなと思います。
――日本語パートナーズを知ったきっかけは何だったのでしょうか。
山本:仕事をしながら日本語教師の資格を取るべく活動を始めたのですが、その最中に知りました。
――仕事を辞めて日本語パートナーズに応募することに、不安はなかったですか?
山本:もちろん「自分にできるかな」という不安もありますし、私は退職しての応募だったので、その後のキャリアなどの心配はありました。でも、経験者の方が「必ず活かせる経験になるし、次のキャリアにもつながる」と言っていたので、不安はあるにせよ、とりあえずやってみようという気持ちで応募しました。
――日本語パートナーズとして、ミャンマーのヤンゴンにある大学に派遣されましたが、現地の活動はどんなものでしたか?
山本:最初は大学1年生を担当していました。ミャンマー人の先生とペアを組んで、会話や文法の授業で、より自然な言い回しを学生に伝える活動です。そういった授業内の活動以外にも、日本の文化を学内で紹介するため、季節ごとにイベントを催したりもしました。
――季節ごとのイベントとは?
山本:私は5月に派遣されたので、すぐに7月の七夕がありました。家の庭に竹が生えている先生に竹を切ってきてもらって、お願い事を書いて飾って。さらに、日本の夏の風物詩であるそうめんを食べてもらう企画も初めて実施しました。
――新しい試みをしたんですね。そうめんの評判はどうでしたか?
山本:麺つゆの味が衝撃的だったみたいです。現地の食べ物はわりと辛いものが多いので、「なんか甘い!」みたいな(笑)でも、日本の食べ物に触れる機会ということで、大勢の学生が来てくれて大盛況でした。
――学生たちに浴衣の着付けもしてあげたそうですね。
山本:日本語学科の学生はイベントなどで浴衣を着る機会が多く、はじめのうちは私たちが着付けしていたんです。その後、自分でも浴衣を着られるように、興味がある学生には着付け教室を開催したりもしました。
――他にも日本の文化を教える機会はありましたか?例えば、日本のアニメとか。
山本:やはり日本のサブカルチャーはとても人気で、大学内にアニメクラブがありました。私自身もアニメや漫画が好きなので、クラブの学生たちと自然と仲良くなって「どんな漫画が好きなの?」「どういうアニメを見た?」といった話をしていました。日本語学科だけではなく、ドイツ語や中国語学科の学生もアニメクラブに所属していたので、他学科の学生ともサブカルチャーを通じて仲良くなれたのはとても良かったです。