「これは自分のためにあるようなプログラムだ」 東南アジアへの熱い思い
―まず皆さんの派遣国とご経歴をお聞かせください。
猿田: 1期最高齢の69歳、猿田です。退職しています。タイへ行きます。
岩下: フィリピンへ10か月派遣されます。大学生です。
徳永: フィリピンへ6か月派遣されます。この春に大学を卒業しました。このプロジェクトが日本語教師への第一歩です。
―この事業に応募した動機は何ですか。
猿田: 私は海外取引の現場で、20数年働いていました。退職後は、お世話になった海外の人たちに、自分が何かできないかと思い、日本語教育支援のボランティアをしていました。来日外国人に生活のための日本語を教えたり、文化紹介をしたりする活動していたのですが、今年3月に新聞の広告を見てこの事業を知り、「これだ」と感じて即応募しました。
岩下: 私は日本語教師を目指していて、大学での副専攻はタガログ語です。いつかフィリピンに行って日本語を教えられたらと思っていたのですが、フィリピンでは日本語教育があまり普及していません。正直、厳しいだろうと思っていたところへ、アマチュアでも応募できる今回の事業を知り、これは行くしかないと思いました。学生ですので、休学して行きます。
徳永: 私も同じく日本語教育に興味があって、大学でも日本語教員養成科の課程を受講していました。卒業して、日本語教育関係の就職口を探していた時に、大学の先生からこのプログラムのことを教えていただいたのがきっかけです。フィリピンへの留学経験もあったので、これは自分のためにあるようなプログラムだと感じました。
―皆さんは東南アジアでの生活経験があるとお聞きしました。どのような経緯で東南アジアに住まれたのですか?
猿田: 現役時代は生産ラインの仕事、それから営業をやりました。40歳の頃に海外営業を任され、以来20数年間、西はインドから東は韓国までアジアの国々をカバーして市場開拓をしました。最後の9年間はマレーシアで駐在も経験しましたね。
岩下: 私は大学の外国語学部で学んでいます。実は半年間休学してミャンマーの日本語学校で働いた経験があり、休学は2回目になります。
徳永: 私は大学で日本語教員養成課程も取りましたが、専攻は英語コミュニケーションでした。そこで、海外の方が、効率よく英語力をあげられると思い、1年間マニラへ私費留学し、英語を学びました。
―長期間の滞在でトラブルに合われたこともあると聞いております。
岩下: タイでパスポートを失くしてしまったんです。タクシーを降りて、友人との久しぶりの再会に喜んでいたのですが、その時にすられたらしいのです。これからは気を付けようと思いました。
徳永: パスポートをすられた話は、東南アジアだけでなくて海外旅行などの体験談として時々聞きますね。私自身は大丈夫でしたが、身近な人からも、被害に遭った話を聞きました。
猿田: いろいろと危険をくぐり抜けてきた分、「自分は大丈夫だ」みたいな心の隙がふっと出る時がありますから、海外に慣れている人も用心しなければいけませんね。
―それでもなお、東南アジアへの想いは変わらないものなのでしょうか。
徳永: 危ないなと思ったことはありますし、「フィリピンの人とは合わない」と思ったことも正直あります。
岩下: 私も同じです。現地の価値観を前面に出されると、日本人として受け入れにくいことはありますね。「どうして時間を守らないの」と思ってしまうこととか。
徳永: そうそう、考え方が全然違いますからね。もちろん、嫌なところも見てしまったのですが、それでも嫌いにはならないのです。前回の経験を生かせば、今度は彼らとうまく付き合っていけるんじゃないかと思うんです。フィリピンに恋してるんですかね(笑)
猿田: 私も、「悠々自適なのに、なぜわざわざまた行くの」と友達に言われましたよ。でもやはり、自分がかつて世話になったという意識があるので、今度は自分が何かお世話をしたいのです。
―東南アジアへ派遣されるに当たって、不安はありませんか。
猿田: 不安と言えば、私の場合は現地語のタイ語です。語学には苦労しています。現地語研修のクラスには若い方が多いので、授業の進み方が、シニアには早く感じてしまいます。ただ、私は派遣先がバンコクなので、現地で通える外国語学校もあり、向こうに行ってからも、少しでもタイ語が上達するよう頑張るつもりです。
岩下: 私の場合は、このプログラムでの派遣先が日本語教育1年目の機関が多い点や、日本人が行ったことのない学校が多い点について、少し心配になりました。「どんな所へ派遣されるのか。インターネットが通じなかったらどうしよう」とか。卒業する時には大学6年生になってしまうのですが、将来は日本語教育の道に進もうと思っているので、卒業時点で既に1年半の日本語教育経験があるのは、アドバンテージになると考えています。
徳永: 私は経歴が少し変わっていて、今34歳なのですが、20代後半で大学に入り今春卒業したばかりです。この派遣から帰国した時には、所属する所がない状態です。卒業するタイミングで就職すべきかと悩んだのですが、やはり日本語教育の道に進みたいし、帰国後は大学院で日本語教育を専攻したいと思っています。帰国後のことを考えると不安はあり、この不安はプログラムの6カ月間ずっとあるだろうとも思います。それでもやりたいと思っています。
「すばらしい出会いがたくさんありました」
―この4週間の研修を振り返ってどう思いますか。
岩下: 「出会い」のすばらしさを感じています。派遣前は、「語学研修と日本語教育事情等を勉強するのだ」としか思っていなかったのですが、この研修センターへ来て、皆さんの想いや体験を伺っていると、「すごいな。いろいろな人がいるのだな」と感銘を受けました。皆さん、とても真面目で、熱心です。
徳永: いつも何かしら刺激を受けています。勉強に対する意欲や姿勢には、特に刺激を受けました。
猿田: 皆、同じ目標を共有していますからね。ここへ来るシャトルバスに乗り込んだ時から「日本語パートナーの方ですか」と声を掛けていただいて、すぐ溶け込めました。この研修は、20代から60代まで、年齢も出身もばらばらの人たちが一堂に会し、違いを超えて語り合う、すばらしい機会だったと思います。縦は国際交流基金による研修で学び、横は皆さんといろいろ交流できる。この研修を通じて日本語パートナーズ第1期の間に、強い結束力が生まれた気がします。
徳永: 同感です。今回は本当に、すごくいい出会いにたくさん恵まれました。
―現地では、どんな日本語パートナーズになりたいですか。
猿田: 現地の先生とコミュニケーションを密に取って、先生が今困っていること、欲しているものを提供していきたいなと思っています。子どもたちに対しては、これから大学へ入る子もいるし、就職していく子もいるでしょうから、進路の選択に当たって、私の過去60数年の経験を生かして相談に乗りたいと思っています。
徳永: 私は、友達でありつつ、お兄さんのように思ってもらえればいいですね。私の、変わった人生経験を生かせればと思います。「回り道をしても、こんなふうになれます」と見せられればうれしいです。
岩下: 年の近さを生かして、友達にみたいに接していけたらと思います。私は大学にも派遣されるので、同じ大学生としても交流してみたいと思っています。もちろん、今回の私たちの役割のひとつは文化交流の推進ですが、「日本人にもこんな面白いヤツがいるんやな」と思ってもらいたいです。教科書に載っているような堅苦しい日本語だけではなく、「彼氏とはどんなデートするの?」みたいな砕けた、楽しい日本語も伝えたいですね。
猿田: 日本語パートナーズはこれから派遣先へ向かう、つまりこれからが本番だと感じています。
※掲載内容は、2014年8月時点のものです。