言葉を教えるのは、その場でダイレクトに反応があるから面白いですよね。国が違っても、笑いのツボはそんなに違わない。
―これから日本語教師や生徒のパートナーとして活動されると思いますが、これまで日本語を教えるというご経験は?
鶴谷:大学では法学部で、主に国際ビジネスや国際平和関係の法律を学んでいたんですけど、副専攻のような形で外国語学部で開講されていた日本語教師養成コースも履修していました。法学部では出会わなかったような、いろんな言語を専攻している友人や留学生がいて、多くの刺激を受けました。日本語教師養成コースで私が一番楽しいと思えたのは教授法。仲間たちと授業の方法を考えて、実際にやってみる授業です。言葉を教えるのは、その場でダイレクトに反応があるから面白いですよね。その授業でテーマにしたのが「笑い」だったんですけど、ある程度日本語を勉強してきている留学生には笑いも通じたし、国が違っても、笑いのツボはそんなに違わないんだという発見もありました。
―日本語を教える楽しさは、大学時代から見つけていたんですね。就職をする時に日本語教師になろうとは思わなかったのでしょうか?
鶴谷:その選択肢も考えられたんですけど、社会人としての経験を積むことがまずは必要だと考えて、一般企業に就職をしました。ただ、京都で生まれ育ち関西から出るつもりはなかったのに、入社した会社の配属先が東京だったんです。初めての一人暮らし、初めての東京、初めての標準語……。しかも、仕事は朝から晩までの営業職ですごく大変。そんな時に、東京の葛飾区がサポートしている日本語教室でボランティアを募集しているのを見つけて、参加してみたんです。
マレーシアの学校でも、教科書だけではわからない、自然な日本語というのもぜひ伝えたいなと考えています。
―葛飾区の日本語教室はどんな環境だったんでしょう。
鶴谷:日本で働いている方々もいれば、実習生として来日している人やその子どもたちもいて、本当にいろんな方が通っていました。先生を務めているのは、基本的に日本人の年配の方が中心でしたね。若かった私は、近い世代の留学生や子どもたちを主に担当することになりました。日本語のレベルもニーズもばらばらなので、それぞれの希望を汲み取って、接し方を考えながら教えていました。
―日本語を教える経験はそこで積むことができたんですね。
鶴谷:そうですね。子どもって覚えるのが早いから、出会った頃はほとんど日本語を話せなかった子が、どんどんしゃべれるようになっていく。成長が目に見えるんです。ただ、興味の方向もはっきりしていて、同世代の友達と話すような言葉を覚えたがったり、恋の話をしたがったり。マレーシアの学校でも、教科書だけではわからない、自然な日本語というのもぜひ伝えたいなと考えています。それが日本語パートナーズに期待されていることでもあるのかなと。