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ラオスのストリートダンスとその未来 ――オレ・カムチャンラ、ヌーナファ・ソイダラ インタビュー

Interview / Asia Hundreds

フェスティバルの運営と、国際的なコラボレーション

武藤:観客はどんな人達ですか?

オレ:ターケークのダンス・フェスティバルの場合は学生達が主です。6ヶ月かけてトレーニングし、学校対抗のコンテストをやります。「アーバン・ユース・ダンス・プロジェクト(UYD)」の場合は、若手のダンサー達と学生で、村の若者や一般の人達に見てもらいます。村の子ども達のための募金集め、そして研究機関による調査を促すのが狙いです。「ファン・メコン・インターナショナル・ダンス・フェスティバル」はコンテンポラリーダンスのフェスティバルで、海外のプロのダンサーと若いアマチュアのダンサーが出会う場です。ヨーロッパと東南アジアのアーティストを招きます。私達自身はここでストリートダンス、コンテンポラリー、そしてカンボジアやタイの伝統舞踊を融合させた作品を上演しています。ダンスだけでなく、音楽、グラフィティ、ビデオなどあらゆるものを組み合わせます。海外から見に来る観客もいるので国際的な雰囲気です。

武藤:あらゆる角度からダンスに取り組んでいるのですね。

オレ:ラオスには良いスタッフがいるので助けられています。

ヌート:実際のスタッフは6人なのですが、若いボランティアが加わってくれます。毎年、仕事のやり方を学んでもらっています。

武藤:オレさんが全体のリーダーなのでしょうか。

オレ:どうなんでしょう、皆で一緒に仕事をしていますから……。ただ「ファン・メコン・インターナショナル・ダンス・フェスティバル」を始めたのはたしかに私です。東南アジアのアーティストとつながりを持っていたからです。2006年以来、ラオス、ミャンマー、タイ、カンボジア、シンガポールなどでレジデンシーを経験してきました。こうしてつくったネットワークが土台になっています。各国のアーティストと知り合えたので、ラオスで初の国際的なダンス・フェスティバルにかかわってもらえないかと打診していきました。自分が知っているフランスの振付家達にも声をかけました。ラオス、フランス、アメリカなどの政府機関にも助成を申請しましたし、国内の民間スポンサーも探さねばなりませんでした。

インタビュー中のオレ・カムチャンラ氏、ヌーナファ・ソイダラ氏、武藤大祐氏の写真
写真:鈴木穣蔵

武藤:民間のスポンサーは多く見つかるのでしょうか?

オレ:多くはホテル、レストラン、商社などの外国企業、フランスなどヨーロッパやアメリカの人達ですね。文化の重要性を理解しているので……。フランスに住んでいた人ならダンス・フェスティバルといえばすぐに話が通じますから、ラオスでもそういうものがあったら良いといって支援してくれます。

武藤:資金集めから、創作、イベント運営、社会貢献まで、おそろしく忙しいですね。実際にラオスにいるのはどれくらいの期間ですか?

オレ:年に3回として、40%くらいですね。それ以外はフランスか海外にいます。シンガポールでもプロジェクトを持っているので、1ヶ月ほど滞在することもあります。

武藤:アジア域内でのコラボレーションをされているのがユニークですね。欧米からの方が資金を得やすいこともあって、欧米とアジアのコラボレーションの方がはるかに一般的だと思うのですが。

オレ:たしかにヨーロッパからの方が資金は得やすいです。しかし東南アジアにも国際的な組織やヨーロッパの財団・機関がたくさんありますよ。また、どの国でもアンスティチュ・フランセには協力してもらっています。とはいえ、やはりラオスの近隣諸国を含む「東南アジア」という空間を発展させていきたいと思います。タイやカンボジアからラオスに来るのは簡単ですし。実際、ラオスは5つの国に囲まれていて、アクセス自体は良いのです。私自身はフランスに知り合いが多くいるので、毎年、ラオスのアーティストを連れてフランスでも文化交流をしています。1ヶ月間のツアーを組み、フランスのアーティストと交流するのです。ダンスや音楽、それに食も含めて、ラオスの文化を紹介することもしています。

ヌート:ラオス料理の教室を開いたり、伝統舞踊を教えたりもしています。

異種混淆のための方法論

武藤:このあたりで、作品の方に話を移したいと思います。2007年の『Kham...』がオレさんの最初のソロということですね。

オレ:パリにあるLe Tarmacという劇場からの委嘱でした。ラオスとタイへ伝統舞踊を学びに行くんだと芸術監督に話したところ、この機会をいただきました。最初はただ個人的な勉強と創作のために出かけるつもりだったのですが、戻ってきたらぜひソロ作品を発表するように言われたのです。

武藤:ストリートダンスとコンテンポラリーダンスだけでなく様々なスタイルを取り入れていったわけですね。

オレ:はい、それで各国のアンスティチュ・フランセが招いてくれるわけです。私は伝統的なものをコンテンポラリーな形式で扱います。ストリートダンスもこの「伝統的なもの」の一種として考えています。アンスティチュ・フランセは、若いストリートダンサー達がただ技術的な向上のために練習する段階を超え、何らかの意味内容のある作品の創作に取り組むことを後押ししています。ほとんどのダンサーはカッコいいというだけの理由で、スポーツやショーの感覚でやっていますからね。ひたすら「ナンバー・ワン」になりたいわけです(笑)。

インタビュー中のオレ・カムチャンラ氏、ヌーナファ・ソイダラ氏、武藤大祐氏の写真
写真:鈴木穣蔵

武藤:(作品のビデオを見ながら)これが最新作『ファン・ラオ』ですね。

オレ:ファンラオ・ダンス・カンパニーのメンバーと、フランスのダンサーが共演しています。要素としては、ストリートダンス、ラオスの伝統舞踊、コンテンポラリーダンス、それにミュージシャンが加わっていて、彼は5種類も楽器を使っています。電子的なサウンドを取り入れたくて、フランス人の作曲家も入っています。

ステージの写真1
『ファン・ラオ』Photo by Jean Christophe Orly

武藤:本当に多様なスタイルの人達が一緒にやっていますが、そういったコラボレーションができるダンサーやミュージシャンは周囲にたくさんいますか?

オレ:フランスにも東南アジアにもいますよ。タイやシンガポールのダンサーと一緒に仕事をしたこともあります。

武藤:ダンサー達は、オレさんのワークショップや学校で学んだのでしょうか?

オレ:最初はワークショップに通って、やがて自分達で技術を磨いていきます。現在はファンラオ・ダンス・カンパニーがスタジオを所有しているので、そこを借りて練習したりしています。

ヌート:2015年7月にやっとできたのです。以前はダンスを学べる学校も施設もありませんでしたが、今はそこを使って練習もできます。

武藤:異質なジャンルを融合させる際、どういうコンセプトで進めていくのでしょう?

オレ:振付家は私ですが、たいていは出演者達と作業しながら作品を組み立てていきます。メンバーのなかで即興をしながら要素を膨らませていき、掘り下げるべき材料が出てきたらそれを拾い上げます。この『ファン・ラオ』の時は、「ムエ・ラオ」(ラオスの格闘技)ができるダンサーがいたのです。ちょっと見てみましょうか……動物のような動きですよ。

ヌート:ムエ・ラオにはたくさんステップがあるんです。

ステージの写真2
ステージの写真3
『ファン・ラオ』Photo by Jean Christophe Orly

武藤:なるほど、ストリートダンスと伝統舞踊が融合しているのがはっきりわかります。伝統舞踊はやはり垂直に立ち、手踊りが中心ですが、ストリートダンスは全身運動ですよね。どのような方法論で両者を組み合わせたのでしょうか?

オレ:ストリートダンスにしろ、伝統舞踊にしろ、あるいはコンテンポラリーやバレエにしろ、要はテクニックだと思っています。手で花の形をつくるとか、これもテクニック、単なる動きでしょう。ですから、個々の動きの意味を問題にするのではなく、動きやエネルギーの使い方に共通点を見つけていきます。たとえばラオスの舞踊は、基本的にとてもゆっくりしていますよね。

ヌート:それと柔らかさです。笑顔も柔らかくつくるのがラオスの伝統舞踊です。

オレ:ところがヒップホップのなかにも似たものが見つかることがあるわけです。あるいはコーンの猿の型のようなダイナミックなエネルギーの使い方は、ブレイクダンスに近い時があります。舞踏とヒップホップでも、遅い動きをする時には似た感じになります。こんな風に、違ったスタイルのなかにも似た動きが見つかりますし、似た要素が見つかることもあります。ヒップホップは「不良」の文化から始まって芸術へと高まっていきましたが、舞踏にとっても「悪」の要素は重要ですよね。コンテンポラリーダンスにしても、バレエの世界では受け入れられなかったようなことを自由にやっているわけで、ある意味で似ています。

武藤:「バッド」なところが共通点というわけですね(笑)。

オレ:カポエィラだってそうでしょう。農場で働きながら、戦闘の訓練をダンスに見せかけてやっていたわけですから。

写真
ラオス・サワンナケート県でのワークショップの様子 Photo by Lee Phongsavanh

武藤:この作品は映像を使っていますね。

オレ:『Akalika 1』というタイトルで、画家とのコラボレーションだったのですが、舞台ではプロジェクターで絵画を映し出しました。ただラオスではまだ上演していません。ちょっと内容が暗すぎて、画家が体を黒く塗ったり、頭がないように見せたりしているので……彼の絵画を取り入れることで、私達の内にある様々な悪しきものを作品のテーマとして扱ってみたのです。とはいえ、ダンスのエネルギーを見せていますし、メッセージは前向きですよ。

そしてこれが、最新作の『Fang Lao』です。ヒップホップ、ブレイクダンス、ラオスの伝統舞踊をたくさん取り入れた楽しい作品になっています。衣装もきれいでしょう。

武藤:これはブレイクダンスの動きとラオスの伝統舞踊のリズムを重ね合わせているわけですか?

オレ:そうです。ケーン(ラオスの伝統楽器で、笙の一種)とギターを合わせて、ブレイクダンスを踊っている場面もありますよ。

武藤:ダンサーが非常にソフトに動いていますね……。見たことのない動きになっていて、これは斬新ですね。

ヌート:伝統舞踊の動き方でブレイクダンスをやっているわけです。

オレ:ミュージシャンも特にリズムに焦点を絞って作業していました。かなり新鮮な経験だったようです。

武藤:ラオスではダンスはどのような経済的環境に置かれているのでしょう?

オレ:ラオスには、プロのダンサーは3人しかいません。ダンスは食べていける職業という概念自体がとても新しいので、芸術的な創作によって食べていくことが可能だと若者達に示すことで、何とか発展させて行けたらと考えています。たとえば私はプロのダンサーで振付家です。フランスではひたむきに取り組むことで生活ができますが、ラオスではまだ国立の芸能団体で伝統舞踊や伝統音楽をやる場合に限られています。ストリートダンスやコンテンポラリーダンスをやるなら、フリーランスでいるしかない。こんなわけで私達は苦労しながら、色々な団体に援助を求めているわけです。TPAMに参加したのもそういう理由です。様々な団体がラオスを訪れ、国際交流のための援助を始めてくれています。ラオスは今まさに外に開かれ始めたところです。海外からアーティストを迎えて、経験を共有したり、振付家の育成を手助けしてもらいたい、そういう時期なのです。

武藤:日本の国際交流基金も2015年、ビエンチャンに事務所を開設しました。アンスティチュ・フランセの他に、ゲーテ・インスティトゥートもありますか?

オレ:今のところはないですが、バンコクからスタッフがやってきています。バンコク事務所がビエンチャンもカバーしているようです。

武藤:やはりフランスの方が強いわけですね。

オレ:ええ、私には都合が良いのです。アンスティチュ・フランセの助成も申請しやすいですから、毎年のようにお世話になっています。でも実際は、国や自治体など、地元からの支援を取りつけたいと心から思います。政府にはなかなか支援してもらえません。イベントを開催することは支持してくれていますが……。まだ民間企業や他の組織に助けを求めるしかありません。フランスとは大違いですね。私のカンパニーもフランスでは国から助成を受けているので、創作環境は良いです。劇場とも連携していますしね。ラオスでは個人的なつながりでやるしかありません。

武藤:国立の舞踊団のようなものはありますか?

ヌート:伝統舞踊の団体ですね。

オレ:国の舞踊団はたくさんあります。しかし今のところ、国が関与するのは伝統舞踊だけです。個人の創作活動はまだなかなか支援してもらえません。

インタビュー中のオレ・カムチャンラ氏、ヌーナファ・ソイダラ氏、武藤大祐氏の写真
写真:鈴木穣蔵

未来について

武藤:最も影響を受けた振付家といったら誰になるでしょう。

オレ:特定の個人というのは、いないですね。むしろ世の中の、普通の人々からインスピレーションを得ていると思います。

武藤:伝統文化と現代文化にまたがって活動するアクラム・カーンやピチェ・クランチェンのような振付家には関心がないでしょうか?

オレ:あまり……。ただピチェとは2007年から知り合いで、2017年に予定している企画では一緒にデュオ作品をつくることになっています。フランスとアジアで上演する予定です。そうですね、ピチェの作品は伝統的なものと現代的なものからつくられているので面白いと思います。彼の作品には強いインパクトがありますね。

武藤:ヌートさんはいかがですか、最も影響を受けた振付家というと……。

ヌート:私は色々な作品を観ていないので……オレが私のアイドルです。新しいことをたくさん教えてくれますから。ひとつひとつの作品がいつも違いますし、彼は毎回大変な努力をしています。『ファン・ラオ』も、彼がいなければ生まれませんでした。他に知っているのは、ピチェとアルコ・レンツ*5 です。

*5 ベルギーの振付家、ダンサー。コンテンポラリーダンスの分野で、とりわけアジア各都市において現地のダンサーとともに制作した作品を発表している。

インタビュー中のオレ・カムチャンラ氏、ヌーナファ・ソイダラ氏、武藤大祐氏の写真
写真:鈴木穣蔵

オレ:様々なアーティストや組織との関わりが、ラオスの人々や国内外のアーティストのためになるように努めています。もし自分がラオスでずっと暮らしていたら、今ここにこうしていることもなかっただろう、とよく考えるのです。自分はフランスに育って、文化を大切にする社会のなかにいて、練習に思い切り打ち込んでこられたから、今の自分があるわけです。これはフランスのおかげです。ずっとラオスにいたとしたら違った人生になっていたはずです。

武藤:今後のビジョンについて聞かせてください。

ヌート:振付家として認められ、ラオス発の自分の作品を世界中の人に観てもらいたいです。それからラオスのダンサー達に、プロとして、趣味ではなく仕事としてダンスをやっていくにはどうすれば良いかを見せたいと思います。ダンスで生活していくことは可能だと思います。このことを追求していきたいです。

オレ:私は現在の取り組みが、まだ先は長いので、ひたすら継続していくのみですね。そして作品をつくり、ずっと踊っていきたい。フェスティバルを主催するのが専門ではなく、自分はあくまでもダンサー、振付家ですから。ただラオスのダンサー達は私のイベントに対して一生懸命になってくれるのですね。彼らは、いつもスタジオの賃料を払うために、お金を貯めたり、教える仕事をしたり、スポンサーを探す必要があって、大変な苦労をしながらダンスを続けています。そんな彼らがいるからこそ、自分の役割があるともいえます。彼らに助けられてもいますしね。彼らには、人に教える技術を身につけるように言っています。教える技術があれば、採点もできるし、交流もできるし、フェスティバルなどに呼ばれてパフォーマンスを見る機会も得られ、自分の創作を深めることができます。パフォーマンスをたくさん観なければ国外の状況を知らないままになってしまいますからね。

武藤:さらなるご活躍を期待しています。今日はありがとうございました。

インタビュー中のオレ・カムチャンラ氏、ヌーナファ・ソイダラ氏、武藤大祐氏の写真
写真:鈴木穣蔵

【2016年2月8日、BankART Studio NYKにて】



聞き手・文:武藤大祐(むとう・だいすけ)
ダンス批評家、群馬県立女子大学文学部准教授。20世紀のアジアを軸とするダンスのグローバル・ヒストリー、および、それをふまえた新しい振付の理論を研究。共著『Choreography and Corporeality: Relay in Motion』(Palgrave Macmillan、2016年)、『バレエとダンスの歴史』(平凡社、2012年)、論文「大野一雄の1980年」(『群馬県立女子大学紀要』第33号、2012年)など。振付作品に『来る、きっと来る』(2013年)がある。