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『恐竜に落ちた男』 チラット・プラスートサップ/福冨渉 訳

Short Story / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(タイ)

恐竜に落ちた男

1

彼が目覚めたところは、床が傾いていて、狭くて息苦しく、オーブンの中みたいに暑かった。正午の陽射しが天井の割れ目から漏れて、目に刺さる。高さは2メートルほどで、そこだけが光源になっている。身体は汗だくで、めまいもするし、全身がじくじくと痛む。誰かがここに彼を投げ込んだのか、さもなければ彼自身がなにかに強くぶつかって、ここで倒れ伏せるはめになったのかもしれない。

しばらく考えてはっきりした。後者が理由だ。彼は恐竜の腹の中に落ちたのだ。

歩道橋の目の前、道路の中央分離帯に立つティラノサウルスの像。家に帰る途中にあるのでよく目にしていた。昨晩かもう一晩前か、持ち家の友人が、酔い覚ましに泊まっていけ、車で送ってやると申し出てくれたのだった。それなのに彼は、ひとりで歩いて帰るんだと片意地を張った。そもそも夜間外出禁止の時間帯だったのに。アルコールがしっかり効いて頑固になったのだろう。そしてどうやらそんな理由で、車のいない道路をひとり横断しようとして、分離帯のところで立ち止まったらしい。

何十年も前にこの街でティラノサウルスの化石が発掘されて、この国に古生物学的調査の波が起こった。自治体が予算を注ぎ込んで博物館を新設し、観光スポットを整備するのに合わせて、発見されたこの恐竜を新しい街のシンボルに制定した。あげく、ティラノ〔タイラノ〕サウルスをもじった「タイランドサウルス」なるキャンペーンすら立ち上げた。海外からの観光客の呼び水にしようと目論んだわけだ。それが彼の生まれるほんの何年か前のことだった。

そんなわけで、物心ついたころにはすでに恐竜の像が堂々と立っていた。まるでそこが街の入口かのように高く掲げられて、華麗ながら威厳を保つ王室賛美の飾りのための台座としてしか使われず、ほとんど誰も渡らない歩道橋の目の前に。国王が先代から当代に変わっても、ティラノサウルスはそのままだった。

こんなことを言っていたひとがいた。「目が覚めてしまえば、この国のあらゆるものをいままでと同じ目で見ることはできなくなる……」。子どものころから見慣れた景色を眺めているときに、ふとこの言葉を思い出した……。街に入っていくこの道路の両側に、半人半鳥の天女キンナリーの彫刻をいただく無数の街灯がぎっちりと並んでいる。そして恐竜の像、王室讃美の装飾。巨大な国王の写真。そして歩道橋の下に隠された監視カメラ……。彼は微笑みながらそれらを見つめ、それから狂ったみたいに大声で笑い、そのあと泣き出した。

父とビデオ通話をしたのが土曜の夜だったか日曜の夜だったか、はっきり思い出せない。父は笑みを浮かべて彼に言った。よくなってきた、もうすぐ治るよ。だが数日後、それが嘘だったと彼は知る。実家の近所のひとが電話をかけてきて、悪いニュースを知らせてくれた。父は自宅でひとり、寝たきりで死んでいたのだ。父と同じように母も、あるいはこの国のほかの誰かにとって大切な何百何千もの人々も、この世を去っていった。政府が感染症を抑えきれずに、何度も何度も感染が爆発したからだ……。

曜日こそ覚えていないが、最後に話したときの服装ははっきりと、いや……父はいつだって黄色いシャツを着ていた。そして彼がどれだけの根拠を集めて、まもなく崩壊を迎えるこの国の凋落ぶりを説明しても、それは政府の無能さだけから来ているのではないと説明しても、納得しなかった。父は最後の日まで、自分の着ているシャツの色を誇り、信じ切っていた。

あの夜の道路には、見渡す限り車はなかった。金色のキンナリーの街灯が明るい光を放っていて、彼だけを照らしていた。まるで彼が、この場所の支配者だと伝えるみたいに。そして急に、彼は恐竜に登りはじめたのだ。尻尾から尾骨を通って背中のほうへ。恐竜の首に座ろうと心に決めていた。そこに座れば、あまりに荘厳な王室讃美の飾りの中心にある、国王の顔写真に近づくことができる。

なにが動機になったのかはわからない。悲しみでも、苛立ちでも、恨みつらみでも、たんなる挑戦心でもない。とにかく彼は、写真の男の顔を近くで見るために、恐竜に登ろうとしていた。だが首にたどり着き、恐竜の後頭部と背中合わせになるように身体をひねろうとしたところで、バリバリという音が聞こえた。体重を支えてくれていた表面のガラス繊維がとつぜん破れて、彼は中に落ちたのだった。

2

ポンおじさんが亡くなったと知って、ぼくはフェイスブックで彼にお悔やみのメッセージを送った。県境の移動制限が敷かれているおかげで、葬儀に参列してお別れを言うこともできず、悔しかった。

彼とは何年も話していなかったので、ほんとうは近況を尋ねる言葉をいろいろと書こうかとも思っていた。でもひとまずは、かんたんな哀悼の言葉だけを書いて送ることにした。

ポンおじさんは彼の父だ。ぼくたちは子どものころから働き出すまでずっと仲が良くて、おじさんのことも親しい親戚みたいに感じている。でもおじさんは、彼の息子とぼくが恋人として付き合っていたことを知らない。そしてぼくたちは別れ、おじさんに会う機会もなくなった。

おじさんの死の報せで、ぼくはあの日々を思い出した。それに、ぼくがまだおじさんの息子を愛していることにも気づいてしまった。

彼はすてきな心のもちぬしで、繊細で、とても優しかった。ぼくたちふたりの穏やかな暮らしは10年以上も続いた。だけどある晩、仕事から帰った彼が、ヒューズのトイレシートの上に重ねていた新聞紙を目にした。ヒューズとは、ぼくたちがいっしょに飼っていた3歳のプードルのことだ。その新聞紙に、彼がもうひとりの「父」として崇拝し、心酔する偉人の大きな肖像が印刷されていたせいで、彼は狂ったように怒り出したのだ。

彼が部屋に戻ってきたのは、ちょうどヒューズがおしっこを終えて、新聞紙が濡れたときだった。それから背中を丸めて、まさにその人物の顔あたりにうんちをしようとしていた。

わざとじゃないとは、はっきり伝えた。室内で飼っているんだから、トイレシート1枚で排泄物を全部吸うのは無理な話だ。古い新聞が置いてあったからいつものようにそれを広げてシートに重ねただけで、とくになにも気にしていなかった。そもそもそう言ったって、新聞に雑誌、それ以外のどこにだって見渡す限りあの人物の肖像だらけで、避けようなんてない。だけど彼はそれを聞かず、ぼくを許しがたい悪人だと罵った。

誰に言ったって笑われてしまうだろう。でもぼくたちはこのせいで別れた。

まるで世界が終わったみたいな落ち込みようで、ぼくは涙を流して、彼に許しを請うた。でもどうやら彼は愛想を尽かしただけでなくて、完全にぼくを嫌ってしまったらしい。それから時が経って、この国でクーデターが起こり、首相が変わり、感染症が蔓延し、経済が危機的状況に陥り、あるいは若者たちが、彼がかつて最高の善だとみなしていたものをむしろ問題の所在だと考えるようになり、彼自身もそんなニュースをシェアしたり、この国を支配する王室の正当性への疑問をフェイスブックに投稿したりするようになっても、ぼくのことは許してくれなかった。ぼくが送った何百、何千というメッセージに答えてすらくれなかった。ぼくが自分を恥じるくらいに彼は決然としていて、ついにはぼくも敗北を認め、彼のもとから去っていった。

ポンおじさんの死去の報せで、ぼくはもう一度彼にメッセージを書こうという気になった。さっき言ったみたいに、かんたんな言葉で、仰々しさを減らして、残念な思いだけを純粋に記そうとした。

彼も、礼儀として返事をくれるだろうとぼくは思っていた。そうすれば少なくとも、彼がいちばんつらいときにぼくがそばにいることがわかるはずで、それはぼくにとっても喜ばしいことだ。

ところがどうだ。一週間が過ぎても、彼はメッセージを開封すらしていなかった。葬儀の準備で慌ただしくしていて、フェイスブックを見る時間がないのだろうと思い、ぼくは電話をかけてしまうことにした。けれども、自動音声が、現在電話をつなぐことができないという応答を返しただけだった。

もしかすると電話番号を変えたのかもしれないと、ポジティブに考えようとした。でも、ほんとうは着信を拒否されているんじゃないかと考えずにはいられなかった──彼の記憶から、ぼくはもうすっかり消されてしまっているのかもしれない。

3

恐竜の首元の割れ目までは身体ひとつぶんほどしか離れていない。けれども彼は、立ち上がれないほどに身体を痛めていた。やっとのことでズボンの後ろのポケットにある携帯電話を取り出したが、そこで彼は人生の大きな失望をふたたび味わうことになる。携帯電話のバッテリーは切れていた。

彼にできたのは、熱くなった壁を叩きながら、ごくまれにしか車の通らない静かな午後に向かって助けを求めて叫ぶことだけだった。いちばんはっきりと、ひんぱんに聞こえるのは、王室讃美の装飾のどこかに巣をつくっている鳥の鳴き声だ。

ある晩にはかすかな希望が訪れた。近くでバイクがエンジンを止め、若い男女が歩道橋の階段を上って、そこで愛を囁きあっているのが聞こえたのだ。彼は声の限り叫んだが、ふたりの喘ぎ声ほどは大きくなかった。愛の営みが終わってようやく、恐竜の体から響く「助けて……」の声が彼らの耳に届くようになった。だが不思議に思われるまでもなく女のほうが叫び声を上げて、ふたりのあわてた足音がそれに続いた。それからバイクのエンジンをかける音と、急いで飛び出していく音。

彼が発見されたのはそれから数週間後のことだった。ひどく暑い午後で、ホームレスの老人が道路を渡ろうとしていた。歩道橋が古びていて渡る気にならなかったのか、疲れて階段を上る体力が残っていなかったのか、老人は歩道橋の下を走る道路を歩くことにしたらしい。だが抱えていた感染症が呼吸器に直接影響して、哀れな老人は向こう岸までたどり着くことができなかった。

ピックアップトラックの運転手が道路の真ん中に転がる人間を目にしたときには、ほとんどもう轢いてしまうところだった。運転手は急ハンドルを切って、中央分離帯の恐竜の像に突っ込んだ。像は砕けて、飛び散ったその一部がぶつかって、王室讃美の飾りも崩れ落ちた。

到着したボランティア救急隊は困惑した。ピックアップトラックの荷台に乗っていた人々は全員が無事で、運転手だけが重症だった。だが現場では、ふたりの遺体が発見されたのだ。ひとりは衝突こそ免れたが、そのまえに呼吸困難で亡くなっていた老人。もうひとりは、どうしてここにいるのか誰にもわからない、身元不明の男性。30歳過ぎのこの男性が亡くなってから、だいぶ時間が経っているようだった。恐竜の破片と王室讃美の装飾の折れた材木の中に身体を広げて寝転がる遺体は、まるで日干しされた肉みたいに乾いて、痩せ細っている。しかも土埃にまみれていて、発掘されたばかりの化石みたいだった。