日本語パートナーズ短期派遣事業は、派遣先ごとに異なる短期派遣へのニーズに対応するため、地域等を限定したうえで公募を行っており、ベトナムについては、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けてベトナムのホストタウンとなっている地域のご協力を得て運営しています。
ベトナム短期1期・2期の長崎県からの派遣に続き、今回は釧路市・美作市から1組ずつ計2組の大学生チームを派遣することとなりました。
日本語パートナーズベトナム短期(3期)
釧路チーム 森博隆、畠澤歩、所俊、千葉佳苗、西村日花里、渡辺有紀
私たちは、3月4日から3月16日までベトナムのホーチミン、バリアブンタウに派遣されました。バリアの4つの高校で5回、ブンタウでは4つの高校で4回の特別授業を行い、バリア=ブンタウ師範短期大学やホーチミン国家大学人文社会科学大学では、交流会を行いました。長期派遣の日本語パートナーズが派遣されていない大学や高校も訪問でき、日本語を学ぶ様々な生徒たちと交流を持てました。
活動内容
私たちの自己紹介と釧路の紹介を軸に置いて、バリアではアイヌ文化の紹介、ブンタウでは相撲の紹介をしました。北海道の先住民族であるアイヌ民族の暮らし方などを紹介した後、アイヌの伝統的な文様をモチーフにした切り絵を作りました。「きれい!」「上手にできた!」という声が聞こえてきてとても嬉しかったです。そして、昭和の大横綱・大鵬が北海道東部出身ということから、相撲の紹介を行ったあと、実際にまわしをつけて相撲のデモンストレーションや、全員でできる手押し相撲を行いました。最初は恥ずかしがっていた生徒も、手押し相撲をするととっても盛り上がりました!
また、パタパタ羽ばたくタンチョウ鶴の折り紙の用紙を釧路観光コンベンション協会から提供していただき、バリアでもブンタウでも、高校生と一緒に折りました。普通の折鶴の折り方は知っていても、羽が動く鶴は折ったことのない生徒が多く、できたときは満開の笑顔を見せてくれました。
北海道・釧路の紹介
準備段階では釧路紹介を考えることが一番難しかったです。メンバーのほとんどが北海道出身ですが、釧路市に在学していても釧路市の出身者はいなかったため、改めて釧路の良さを探し、どうしたら釧路の良さを伝えられるか、たくさんの方法を模索しました。
自分たちの住む街を見つめ直すと「あれもこれも……あっこれも紹介したい!」とたくさんの良さがありました。すでに知っていたこと、初めて知ったこと……私たち自身も釧路の良さを再発見でき、釧路への愛着も深まったと思います。
ただこのたくさんの良さをどうピックアップして伝えるか、それが最初の難関でした。そこで「自然・動物・スポーツ・食・文化」と5つのカテゴリーに分けることにしました。すると、伝えたいことがまとまり、それぞれの内容も簡単に深く伝えられるようになりました。
「自然」では日本で一番大きい釧路湿原と、まりもで有名な阿寒湖。「動物」では北海道出身の私たちにとっては当たり前のような野生動物のエゾシカ、キタキツネそして釧路にしかいないタンチョウ鶴。スポーツでは気候を生かして発展したスケートとスキー。カメラを身につけて撮影したスキーの映像を上映して、疑似体験もしてもらいました。そして、釧路といえば! のおいしい海産物と、知っていそうで知らなかった地元のグルメ(スパカツ、ザンギ、炉端焼き、勝手丼)。最後にアイヌ民族の紹介や、石炭の産業、ベトナムと釧路のつながりについてなども、写真を多くいれ、クイズも交えて解説しました。
ベトナムと北海道では気候も文化も全く違うため、高校生や大学生の皆さんはとっても興味津々で話を聞いてくれました。
苦労したこと・工夫したこと
チームで意識したのは「やさしい(優しい・易しい)日本語」で話すことでした。どうやったら日本語で伝わるか? をどの授業でも考えていました。「ここの言い方はこうした方がわかりやすいんじゃない?」とチームでも活発に意見を言い合い、「やさしい日本語」を目指してきました。また、言葉だけでなく、オーバーといえるくらいのジェスチャーや話し方(声の大きさ、表情、間など)にも気をつけ、言葉の違うベトナムの高校生に120パーセント伝わるよう努力しました!
また、授業で使える簡単なベトナム語を現地大学生の通訳ボランティアさんに教えてもらい、ベトナム語で積極的にコミュニケーションをとろうとしました。完璧なベトナム語ではなくとも、生徒さんたちはわかってくれて「これはこう言うんだよ」と逆に私たちが教えてもらう場面もありました。こうした「言葉」が私たちにとって苦労したことかもしれません。しかし、だからこそ工夫した点でもありました。
派遣を経験して、これから
私たち6人のうち4人は海外が初めて、全員が東南アジアは初めてで、行く前はどんな感じだろうとワクワクしていました。そしてこの活動を経て、帰国後、私たちメンバーの顔は見間違えるほど変わっていたと思います。
2週間と短い期間ではありますが、違う文化を肌で感じ、今までとは違ったものの見方や新しい進路を見つけました。私たち全員「小中高の先生になりたい!」というメンバーでしたが、もっと海外に飛び出したいと考えるようになったメンバーや、日本語教師や日本人学校の先生など就職の視野が海外に広がったメンバーもいます。それほどこのプログラムが私たちの人生の中で光り輝くかけがえのないものになったという証拠でもあります。この経験を活かし、自分たちの夢に向かって日々努力をしていきたいと思います!