こんにちは。日本はもうすぐ春ですね。3月上旬、私は常夏のインドネシアで日本の桜を待ちわびながら、ついに帰国しました。周りの多くの方々に助けられ、無事に任務を終えることができ、ホッとしています。帰国する間際、「日本はコロナウイルス大丈夫?」と校長先生からマスクをいただき、何人もの生徒からは「ひろこせんせいが恋しい」「インドネシアにいて幸せだった?」とメールが届きました。インドネシアの人たちの優しさが心に沁み、今、寂しさがこみ上げてきています。
7か月半の活動を振り返ると、課外活動や学校以外での交流も忘れることができません。2月には、第19回インドネシア高校生日本語弁論大会(主催・国際交流基金、共催・教育文化省)が開催されました。その合間の一幕で、私は派遣校のSMAN92、SMK nusantara1の生徒たちと盆踊り「東京五輪音頭」を披露しました。
当初は、2校合同で週1回の練習をこなせるか不安でしたが、生徒たちは覚えが早く教え合いながら、短期間で踊りをマスター。まるで青春を謳歌する部活動のようでした。本番で色鮮やかな浴衣を身にまとい、華麗に舞う教え子たちの姿を見て、涙がこぼれました。また、帰国する少し前には、カウンターパートの先生とカフェでおしゃべりしたり、先生の自宅で先生の家族と巻き寿司を作ったり、学校の先生の結婚式へ参加したり……。
他にも、私と同じアパートでカフェを営んでいた姉妹が、近くのレストランで送別会を開いてくれました。その姉妹から、「さよならを言うのが辛い。私たちのこと忘れないでね」との手紙が。
地域の方とも交流し、友情を育むことができました。CPの先生やその家族、生徒たち、インドネシア語の先生、そして仲良くしてくれた地域の方々は、私にとって第二の家族であり、宝物です。
このご縁を大切に、アジアで共に生きる仲間として末永く交流していきたいと思います。Terima kasih(ありがとう)!