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「英雄」は誰のこと?~前半~

Hari Pahlawan

11月10日は、Hari Pahlawan「英雄の日」です。私の派遣先校では全校集会が開かれました。国旗掲揚やスンダ伝統の歌が歌われるなど、見どころ満載の集会でした。そんな英雄を讃える全国規模の記念日ですが、「英雄」とは誰のことでしょうか?
先生方に聞いて多く返ってきた答えが「独立戦争で亡くなった兵士」でした。11月10日は、インドネシアの独立戦争が本格的に始まった日と言われています。私が滞在するバンドンには「アジアアフリカ会議博物館」など歴史を伝える記念碑的な場所が多くありますが、「英雄」が戦った独立戦争にまつわる場所もあります。この記事では、バンドンの歴史的スポットについてお伝えできたらと思います。

バンドン火の海事件

バンドンの地に残る独立戦争の傷として有名な出来事が、「バンドン火の海事件」です。歴史の教科書にも載っている有名なこの事件の経緯は、独立宣言から以下のように続きます。

1945年8月17日、スカルノなどが率いる反植民地グループは、インドネシア共和国独立宣言を発表しました。2日前に日本が敗戦した報せを受けてのことでした。独立前のインドネシアは、オランダ、イギリス、日本による合わせて約350年の植民地支配下にありました。独立宣言は、独立を目指し運動に打ち込んできた現地の人々の念願でした。
しかし、独立を許すまいとイギリス・オランダ連合軍(以下、英蘭軍)が進軍してきたため、すんなりインドネシア民族国家の成立とは進みませんでした。1949年までの約4年間、民衆と英蘭軍の間での戦闘が各地で続きました。

バンドンでも激しい戦闘が行われました。「バンドン火の海事件」と呼ばれる大きな事件もこの抗争中に発生しました。1945年末から1946年初頭にかけ、「バンドンに進軍してきた英蘭軍に街を奪われるくらいなら」と町の人々は自らの手でバンドンに火を放ちました。結果として、バンドン市南部の大部分が焼失し、人々は一時的にバンドンの街を離れることとなりました。上の写真は、大きな公園の中心に立つバンドン火の海事件の記念碑です。バンドン火の海事件についての歌、「Halo-Halo Bandung」の歌詞がそこに記されていました。歌詞はこのような意味です。

ハロ、ハロ、バンドン
プリアンガン(バンドンを含む高原地帯の地名)の都
ハロ、ハロ、バンドン
懐かしの町
長い間目にしていない
今はもう火の海になってしまった
一緒に取り戻そう

故郷を失う苦みと共に民族の誇りを示した出来事として記憶されているバンドン火の海事件からできたこの歌は、民族闘争中に繰り返し歌われたと伝えられています。今ではサッカー代表チームの応援に使われているそうです。

前半は以上になります。お読みいただきありがとうございました。

<参考>
・イ ワヤン バドリカ著. (2008). インドネシアの歴史(世界教科書シリーズ). 明石書店
世界の民謡・童謡. ハロハロバンドン Halo, Halo Bandung

Writer
インドネシア 西ジャワ州
鈴木 雅大さん

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