インドネシア西ジャワ州プルワカルタ派遣の菅原有紗です。
今回は、私の最終登校日に生徒たちが開いてくれた送別会の様子を紹介します。
朝、全校生徒と先生が校庭に集まり私のための送別会を開いてくれました。 まず、日本語クラブの生徒たちが太鼓とよさこいを披露してくれました。 生徒たちは1か月前から、授業のない時間や放課後に練習をしていました。 私が着任した時の歓迎会でも日本語クラブの生徒が太鼓とよさこいを披露してくれたので、10月に不安と期待の気持ち一杯でこの学校に来たことを思い出しました。
約半年間で私はこの学校に何を残せただろうかと考えながら、発表を見ていました。 生徒から言われたたくさんの「ありがとう」が、きっとその証だろうと思います。
よさこいを踊る日本語クラブの生徒
太鼓を演奏する日本語クラブの生徒
次に、私はオカリナで派遣先校の校歌を吹きました。 頼まれたわけではないですが、最後に私も感謝の気持ちを伝えたいと思い、吹くことにしました。 生徒や先生はとても喜んでくれ、盛り上がったのでよかったです。 そして、インドネシア語でスピーチをして感謝の気持ちを言葉でも伝えました。
私は送別会の内容はこれで終わりだと聞いていましたが、ここからがサプライズでした。 生徒会の生徒に、全校生徒が囲む校庭の真ん中に1人で立つように言われました。 「1000人以上の方が自分のためだけにイベントを開いてくれることは、 人生でもう 2度とないだろう」と感傷に浸りながら周りを見渡していました。
そして、音楽が始まり、全校生徒が歌っている中、インドネシア恒例のカラー煙を男子生徒が持って走り始めました。途中で、ある生徒が「先生もカラー煙を持つ?」と私に言ったので、私は受け取って手を振りながら校庭を走りました。 私はまるで聖火ランナーになったような気分で、それを見てみんな喜んでくれました。 インドネシアで約半年間生活したからこそ、日本では突然言われて戸惑うようなことにも、自分も場を盛り上げたいと心を身につけた結果、咄嗟の判断で行動できるようになったと思います。
カラー煙を持って走る私
ありがとうという垂れ幕と共に飛ばした風船
半年間を振り返ってみると、自分の想像以上に、私がインドネシアの文化を経験しようとすることを生徒や先生はとても喜んでくれたように思います。 例えば、自分が浴衣を着た時よりも、ヒジャブ(イスラム教の女性が頭に被るもの)を被った時やスンダ地方の民族衣装を着た時の方が、たくさん「せんせい、きれい!!」と言われ、写真を撮ってくれました。 自分がその土地の文化を経験したからこそ、絆ができて、私にも日本にもより興味を持ってもらえたように思います。
人生でかけがえのない時間を過ごさせてくれた 日本語パートナーズ事業に感謝の気持ちでいっぱいです。 私の日本語パートナーズとしてのインドネシアでの活動はこれで終わりですが 帰国後も日本とインドネシアの架け橋になれるよう頑張りたいです。