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挑発する身体:変化するスリランカのダンス状況 ――ヴェヌーリ・ペレラ インタビュー

Interview / Asia Hundreds

スリランカにおけるダンスの現状

久野:スリランカにおけるダンスの現状についてお話しいただけますか?

ヴェヌーリ:スリランカでは、もともと男性のみが踊る治癒的、悪魔払い的な儀式から派生した伝統舞踊が3種類あります。女性が踊り始めたのは、独立運動が始まった1960年代以降のことです。キャンディアンダンスが国家の舞踊として認定され、学校の教育課程の中でも教えられるようになりました。シンハラ族の代表的な踊りです。一方、タミル族のダンサーたちは主にバラタナティアムを学びます。キャンディアンの伝統的な男性的儀式の形式と、極めてテクニカルな古典形式は現代化されて、エンターテインメント性が高い官能的なものへと変化しています。

スリランカでは、数多くの伝統的な民族舞踊カンパニーがあります。大きなカンパニーになると、学校(Kalayathanaya)もあって、才能が認められればカンパニーに進むことができます。カンパニーメンバーは舞踊学校で教えるかたわら、たいていは他の仕事もしています。なんとかやっていくために、結婚式やオープニング・セレモニー、企業イベントなどで上演するカンパニーもあります。学校を持たない小さなカンパニーは、まずは必ずイベントを行い、メンバーはスタジオを借りながらさまざまな場所で教えたりしています。コロンボでは、モダンダンスやジャズダンスなどを教えるバレエ学校もあります。スリランカでは、舞踊学校はすべて課外活動として参加するものなので、週末や夜の時間帯に開講します。

実験的な作品や、コンテンポラリーな作品を創作上演するダンス・カンパニーはほとんどありません。ひとつだけ、フルタイムで活動するモダン・ダンス・カンパニーがあります。通常、カンパニーは劇場を借りて、夜の時間帯に小ぶりな作品や、長編のダンス・ドラマ作品を上演します。こうしたカンパニーの多くは、ほぼ同じような形で活動をしていますが、私が訓練を受けたチトゥラセナ・ダンスカンパニーは技術基準が非常に高く、近年はアーティスティックに自己改革していて際立つ存在だと言えます。

インタビューに答えるヴェヌーリさんの写真

写真:山本尚明

ヴェヌーリ:美術とパフォーミング・アーツを専門とする大学はひとつあります。他の大学でもそうした分野の授業を提供しているところはいくつかあります。舞踊学部では、伝統舞踊の技術や歴史を学ぶのですが、時代遅れといった感がありますね。こういった踊りの形式は標準化されていないので、講師によって舞踊スタイルがまちまちなのです。演劇学部には、舞踊演劇(オリエンタルバレエ)とモダンダンスなどの授業がありますが、厳しさがありません。大学は政府機関なので、低賃金で雇われる教員たちと、点数制度で国中から選ばれた学生たちが、ヒエラルキーが深く根ざした関係性の中にいます。卒業生の多くは、政府主導の学校で教えるか、小さなカンパニーを設立するか、さらに訓練を積んでからより大きなカンパニーに所属する可能性があります。

久野:現状を変えるには、何が必要だと思われますか?

ヴェヌーリ:問題は、皆が外のダンスの世界で起きていることに無頓着なことだと思います。批評文化の欠如や、凡庸であることを讃える風潮もです。われわれは、スリランカの外、例えばインドだったり、あるいは類似する文脈が見受けられる地域や場所で起きていることに、より一層の注意を払うべきだと思います。
ダンス・プラットフォームとダンス・シーンが成長していくには、自分たちでプラットフォームを所有すること、また、2年という期間に何をするかを考える必要があると思います。皆、コミュニティーやダンス・シーン、観客の形成といった、より大きなビジョンを持たずに直近の問題にばかりとらわれて、多少島国的な感覚になってしまっていると思うんです。一般論的に言えば、カンパニーではなく、「共同体(コレクティブ)」という観点から考えると面白いかもしれません。そうすれば異なる分野間のコラボレーションが可能になり、面白い作品を本当の意味でサポートすることができるようになると思うんです。
アートの世界には、まったく資金がありません。皆、なんとかやっていかなければならないので、当然お金が得られる場所―結婚式、文化的なショー、テレビ番組―で活動しなければなりません。この状況がこの先どう変わっていくのか、私にもわかりません。民間の団体や後援者から資金援助をしてもらうのも、前進するためのひとつの手立てなのかもしれません。
もっとも重要なのは教育です。芸術文化教育は本当に遅れていて、教育機関では大きな転換が必要とされています。なんとかしないと、芸術機関はただ繰り返しダンスの先生を生産していくだけになってしまいます。もっとダンス教育全般の限界、創造性、コンセプトづくりを押し広げていくことに重きを置く必要があると思います。

インタビューの様子の写真

写真:山本尚明

久野:状況は変わりつつあるように感じますか?

ヴェヌーリ:はい、実のところ、現時点では変化を感じています。2015年に新政府が発足し、根本的な変化がもたらされるチャンスがあるかもしれません。同じ年に、何人かのアーティストが運動して、芸術文化政策デスクという、政策のリサーチと作成に取り組む独立した主導的取り組みを始めました。現在、教育省の管轄下にあるアーツ・カウンシル(芸術評議会)のヘッドには、とてもアナーキーなアーティストが就任しました。これはとてもいいことで、ようやく「文化」(culture)と「芸術」(arts)も区別して考えられるようになりました。そうでもしないと、政府の資金はすべて文化イベントの助成に使われてしまいますから。私も以前は、政府の支援を受けることに対しては懐疑的でした。彼らのルールに従わないといけなくなると感じたからです。でも現政権はもしかしたら違うかもしれないと期待しています。時間はかかるかもしれないけれど、状況はゆっくりと変わりつつあります。今年は、芸術と和解のためのさまざまな取り組みが予定されています。国中のアーティストたちをつなぐことができるかもしれません。
近頃のアート・シーンは以前にも増して活気があり、ほぼ毎週末、舞台公演、展覧会、そして多くの芸術祭が開かれています。少数ですが、若くクリエイティブな人たちがアート―特に美術と演劇の世界で―を仕事にし始めていて、コラボレーション作品などを発表しています。ですから、スリランカのアートは今とても面白い状況にあると思います。うまくいくことを願っています!

創作の手法

久野:作品創作にはどのように取り組まれていますか? レジデンスプログラムなどを利用しているのでしょうか?

インタビューの様子の写真
写真:山本尚明

ヴェヌーリ:仕事のやり方はひとつではありません。プロジェクト、またはその主題によります。いずれの場合にも、自分の身体を動かす前にたくさん本を読み、リサーチをし、関係者にインタビューをしたり関連する場所に実際に行ってみたりします。直感的というよりも、理論的に仕事を進めます。
レジデンシーで作品をつくったのは、2014年、インドのニューデリーにあるGati Forumが初めてでした。10週間という期間中、スタジオを借りて、そこにはメンターや他の参加者がいて、それぞれがひとつひとつの創作プロセスに関わっていました。そういう形で他の人から自分の作品に対するフィードバックをもらうのは初めてで、完全に孤立して創作するのとはまったく違いました。
それ以降、Gati Forumとはまったく違うタイプのレジデンシーにもいくつか参加しましたが、そうした経験はまれで、ほとんどの場合はやはりひとりで創作をしています。母のリビングで、夜、人の目がないところですべてを記録しながらつくっています。でも、できる限り創作プロセスに他者を招き入れて、いわば「ドラマトゥルク」としての役割を担ってもらっています。視覚芸術、映像、詩、演劇、サウンドといったさまざまな分野のアーティストたちとコラボレーションすることにで、彼らの視点を共有してもらえるのが嬉しいですね。

インタビューに答えるヴェヌーリさんの写真
写真:山本尚明

アイデンティティの問題について

久野:海外の色々なところでレジデンスや公演を行っていますが、ご自身のアイデンティティのことを、どのように捉えていらっしゃいますか。

ヴェヌーリ:私が自分のことをダンサーだと自覚し、自分のことをアーティストやダンサーと呼ぶようになったのは、ごく最近のことです。もしかすると、インドと共感することが多いのかもしれません。インドのダンス・コミュニティーは私を受け入れてくれたと感じますし、自分の国よりもインドで作品を発表する機会の方が多いからです。インドの素晴らしいアーティストからとても多くのことを学び、今なお学び続けています。新たなコラボレーションのために、インドには頻繁に戻っています。
私は自分のことを、国際的なアート・コミュニティーの一部であるノマド的なアーティストだと思っています。でも南アジアを出て旅をするたびに、スリランカ人としてのアイデンティティが重要になってくるのです。スリランカを出る前、特にビザ申請の手続きをすると、自分が市民権のヒエラルキーの下層に属しているという事実に直面するのです。
しかし、スリランカ国内では、また違う立ち位置にいると思います。私はスリランカの多数派コミュニティーであるシンハラ仏教徒であるだけでなく、英語が話せるコロンボの中間層という少数特権階級でもあります。残念ながら、言語を基準としたスリランカの階級構造は非常に強固です。安定した収入がなくても、車や家を持っていなくても、一定の格好をしていなくても、メイドを雇っていなくても、英語が話せること、そしてある程度の学校で学んだということが自動的に私にある種のステイタスを与えてくれるのです。こういった意識にはある程度の責任が伴うわけで、それが私を創作へと駆り立てるのです。

日本での体験

久野:来日は今回が初めてではないのですよね? 最初はいつでしたか?

インタビューの様子の写真
写真:山本尚明

ヴェヌーリ:初めて日本を訪れたのは、2004年でした。国際交流基金が主催したマルチメディアの舞台コラボレーション作品『物語の記憶』に参加するためで、1ヶ月半ほどの滞在でした。南アジアの5つの国、スリランカ、バングラデシュ、インド、ネパール、パキスタンの人たちが関わっていて、ひとつの国から監督ひとりとアーティスト3人が参加しました。ムガール帝国の創始者であり初代皇帝のバーブルの回想録『バーブル・ナマ(バーブルの大回想録)』をモチーフとしたコラボレーションでした。
作品は、いわば「文化の衝突」のようなものでした。想像してみてください。異なる芸術的なビジョンを持つ5人もの南アジアの監督がひとつの作品に関わる。そこに極めて整理された日本の制作チームが加わるんです。どんな役を演じるかも決まっていない随分と早い段階で、すでに衣裳が用意されていたんです! これほどの大掛かりな多言語で考案された作品に参加するのは初めてで、本当に忘れられない経験となりました。ともに生活をし、素晴らしい才能を持ったチームの面々から多くのことを学びました。
東京は本当にすごいところで、テクノロジーも、細部へのこだわりにも感心しました。インド以外の場所には行ったことがなかったので、未来に旅するような感覚でしたね。作品は京都造形芸術大学の劇場でも上演されました。日本の異なるふたつの面に触れることができて、とてもよかったと思います。

将来的なプラン

久野:将来的なプランはありますか?

ヴェヌーリ:直近のプランとしては福岡県の糸島に行き、手塚夏子さんとしばらく時間を過ごして、2016年のシンガポール国際芸術祭で一緒に行うダンスアーカイブボックスを継続する形で、将来的なコラボレーションの可能性を探りたいと思っています。夏子さんにはあるアイディアがあって、それを私が、韓国のコリオグラファーであるソ・ヨンランにアーカイブボックスを通して渡すことになっています。3者間のやりとりのようなものです。全員が共通して、儀礼的なパフォーマンスや社会について、または近代化/植民地化の影響などについて興味を持っているので、こうした一連の交流からは多くのものを学べると思いますし、これからも継続して共同で創作をしていきたいと思っています。

インタビューに答えるヴェヌーリさんの写真

写真:山本尚明

ヴェヌーリ:ダンスというものの性質上、これからどういう作品に関わるのか、私にもわかりません。次に何をするか、具体的に語ることはできないですね。京都国際舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT」で、シャンカル・ヴェンカテシュワランが演出する太田省吾作の『水の駅』に参加するため、日本を再び訪れます。
今は、スリランカのダンス・シーンになんとかもっと関われる方法を探したいと思っています。コロンボ・ダンス・プラットフォームには、より責任のある立場で貢献したいですし、芸術教育にも関わっていきたいと思っています。より全般的なアーティストとしての方向性としては、ダンス、演劇、パフォーマンス・アートなどの、それぞれのジャンルの間にある余地のようなものにますます興味が出てきました。ダンスの形ではなく、そこに存在するということ、体験を創造し、実現させていくことに興味があるのかもしれません。

久野:今回日本に滞在されて、何か新しい発見はありましたか?

ヴェヌーリ:日本の周辺地域について色々と学んでいます。「アジア人」であることの意味を問うことが、絶えず浮かび上がってくるといった感じです。以前は、英国やヨーロッパの一部、インドなどのダンス・シーンのことしか知りませんでしたが、昨年レジデンシーで訪れた韓国とオーストラリアでは、東アジア、東南アジア、中央アジアの芸術や社会文化的な状況に触れることができました。初めて、台湾、中国、インドネシア、そしてフィリピンで起きていることについて多少見聞を広めることができましたし、多くの人との出会いを通して、同じような歴史、文脈、道筋を発見することができました。日本に来ることによって、この地域についてもっと学び、発見したいという気持ちを確認することができました。やっと初めて舞踏を観ることもできましたし、本当に素晴らしい経験でした!

久野:また、すぐにお目にかかれますね。楽しみにしています。

ヴェヌーリさんと聞き手 久野の写真

写真:山本尚明

【2016年2月11日、横浜・アマゾンクラブにて】


聞き手・文:久野敦子 (ひさの・あつこ)
公益財団法人セゾン文化財団 プログラム・ディレクター。多目的スペース「スタジオ200」の演劇・舞踊のプログラム・コーディネーターを経て、1992年に財団法人セゾン文化財団に入団。96年より現職。現代演劇、舞踊を対象分野にした助成プログラムの立案、運営のほか、自主製作事業の企画、運営を担当。ヴェヌーリとは、2014年から2016年にわたって日本とシンガポールで実施されたダンス作品のアーカイブに関するプロジェクトで知り合う。