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『片頭痛』 アルマイラ・ティブロン/山下美知子 訳

Short Story / アジア文芸プロジェクト”YOMU”(フィリピン)

片頭痛

「イスラムの儀式にのっとってマハル(結納品)を納めた後、アイサを妻にしますか?」とオマールと父が握手しているときに、イマーム(宗教指導者)はオマールにたずねました。オマールと父の手は白い布で覆われていて、2人は立会人である数人の男性親族に取り囲まれていました。豪華な結婚式が行われているマラウィ市の多目的ホールには大勢の人が押し寄せていました。

「はい、イスラムの儀式に従い、マハルを納めた後、私はアイサを妻とします」とオマールが答えました。

私はウエディング・ガウンを着て部屋の中にいましたが、外からこのやり取りの言葉が3回聞こえてきました。レカ・サ・ギボンを集めるために未婚の女性のいとこたちが私と一緒でした。マラナオの結婚式には多くの儀式がありますが、そのひとつがレカ・サ・ギボンで、これは花嫁に近い未婚の女性のいとこたちが花婿から受け取る少額のお金です。彼女らは、自分たちがもらうべきものをオマールが寄こさないならば、オマールを部屋の中には入れないとしゃべっていました。

オマールと私は知り合いではなかったし、友人でもありませんでしたが、私は自分自身に誓いました。私は理解と敬意を常に持ち続け、協力し、共感を示し、2人で夢を実現し、希望と幸せに満ちた家庭をつくるということを。この日、私たち2つの一族が結びついただけでなく、私たち2人は一生を共にすることを誓いました。

ドゥアア(祈り)が聞こえてきたので、まもなくオマールが彼の家族と一緒に私がいる部屋にやって来て、これからドアを叩くことがわかりました。私たちが正式に結婚したことを知らせるためです。

親が決める結婚はマラナオの文化です。以前はこのことが怖かったのですが、オマールを愛するのはむずかしいことではありませんでした。彼は愛情深く、心優しい人でした。結婚してからすでに5年になり、子供が2人います。3歳を過ぎたアジーブとまだ10か月のザイナルです。一緒になってからこれまで覚えている限り、深刻な問題はありませんでした。たとえ問題があってもすぐに解決してきました。

アジーブが動いたのを感じたとき、私の物思いは終わりました。上掛けシーツが払いのけられていたので、これを元に戻し、息子を抱きしめました。そっとさわってみると、寝入っているようでした。ゆっくりとベッドから降り、ゆりかごにいるザイナルをのぞくと、熟睡していました。そこで私はコンピューターに向かい、オンライン授業の準備をしました。終わったのは午前2時でした。片頭痛が再び始まりました。「なぜ今、頭痛、明日は早いので寝なければ」とつぶやきました。

目覚まし時計が鳴り、再び目が覚めました。時間が過ぎるのがあっという間だったので、起きるのがおっくうでした。頭がボーッとしていましたが、台所に行きオマールたちの朝食と昼食を作りました。私は夜にしか戻って来られないからでした。

家を出るときはいつも大きな石で押しつぶされたかのように心が重くなりました。車を運転している間、ザイナルへの授乳を思い出していました。哺乳瓶から飲めるようになるため私たちはあらゆる方法を試してみましたが、息子は嫌がりました。喉が渇けばたぶん瓶から飲むだろうと私は自分に言い聞かせました。アジーブが再び転び、怪我をするのでないかとか、私がいない間に起こりえることがあれこれと頭に浮かんできました。
「アシ!」ドアを叩きながら、私は友人を呼びました。すぐにドアが開きました。家に入ると、彼女が起きたばかりなのがすぐわかりました。

「ごめんなさい。他に行く所がないので」と言いました。「家のインターネットがまだつながっていないの」、バッグからコンピューターを取り出しながら言いました。

「大丈夫、問題ないわ」、髪の毛を結びながら彼女は答えました。

パンデミックのため、政府はオンラインで授業を行うことを指示していました。大学の教員として私は自分の職責を果たすことに苦労していました。というのも、オンライン授業は、インターネットを使うことに加えて、1日中コンピューターに向かい合うことによる目の痛みと片頭痛の発作を伴っていたからです。
授業が終わると、私はワイズネットに向かいました。この店がある路地に入りました。歩いている間、刺すような陽の光で肌がひりひりしました。

「アッサラーム・アライクム(平安があなたたちの上にありますように)」
「アライクミサラーム(あなたたちの上にも平安がありますように)」と店主も答えました。
「カカ(お兄さん)、私のインターネットの申し込みはどうなっているの?この3か月間何回もここに来ているのよ」

「実際のところ、インターネットを設定するための資材が手元にないのです。もしよろしかったら、私どもで購入すべき資材のリストを作成しますから、ご自分でお探しください。購入なさったら、私どもがインターネットを設定します」
彼の言葉で、突然頭が痛くなりました。太陽の熱で沸騰している空気の中に浮いているような感覚でした。風が止まったようでした。今になって初めて本当のことを言ってくれたのねと言おうとしました。

「そういうことなら申し込みを取り消します、ありがとう」

がっかりしてその場所から立ち去りました。ワト地区にある自宅に持ち帰るものを買うために市場に立ち寄りました。オマールたちきょうだいの家は隣りあっていました。オマールの家がいちばん大きく、大きなテラスもありました。左手には空き地があり、オマールたちきょうだいはここを駐車場にしていました。一族が集まって何かをするときは、オマールの家で行われていました。私たちがここに住むことにしたのは、私が家を留守にし、オマールが子供たちの面倒を見るときに、親戚の者がここに来て、オマールのそばにいてくれるからです。

家に着いたのは夜で空はどんよりしていました。車を駐車させている間、夫がザイナルを抱きかかえ、アジーブが2人の横にいるのが見えました。オマールや子供たちと一緒に親戚の者もいました。テラスには毎日、誰かがいました。子供2人は私を見て興奮しました。私が家に戻ったときのいつもの光景でした。私の帰りが待ち望まれていました。

私たちの所で働いていたお手伝いさんが家族の元に戻ってしまったため、オマールがいつも子供たちと一緒でした。オマールはエンジニアで、海外で13年間働いていましたが、結婚したときに、フィリピンに残ることを選びました。公共事業道路省で働き始めましたが、数か月後、法律でムスリム・ミンダナオ自治地域がバンサモロ・ムスリム・ミンダナオ自治地域にとって代わられることが決まったため、彼を含め多くの職員が解雇されました。解雇された者は、再度、雇用申請するよう言われました。

真夜中でした。オマールが目を覚ましました。「まだ起きているのかい?寝た方がいいよ」

「安全のために、子供たちは家の中にいさせて。部屋の中か、居間に」と心配で私は言いました。「外では病気にかかるかもしれない」とも言いました。

「アイサ、心配する必要はないよ」と彼は私を落ちつかせるために言いました。「今日1日はどうだった?」とも聞いてきました。「片頭痛の発作に見舞われたわ」と私は答えました。「でも痛みが消えてほっとしたわ、オンライン授業を行うと、いつも片頭痛に見舞われるの」

「心配しないで、インシャー・アッラー(アラーの思し召しならば)、このパンデミックは終息し、すべては元に戻るよ。対面授業を含めて」

「授業の後、ワイズネットに行って、申し込みをキャンセルしてきたわ。資材があって、インターネットを設定することができたら、マラウィ市に戻れるのに」

「大丈夫だよ。インターネットの会社は他にもあるし、時間があるときに行ってみよう、設定してもらうために」彼のこの言葉で私はハッピーな気持ちになり、寝入ることができました。

オマールが上掛けシーツを引っ張ったので、私は目が覚めました。オマールが体を丸めて寝ていました。彼の額をそっと撫でたところ、熱がありました。心臓が高鳴りました。急いで体温計を取って来て、彼のわきの下に挟みました。あっという間に体温計が鳴りました。38.6度でした。動揺して薬を取ってきて、彼に飲ませました。コロナウィルスに感染していないことを祈りました。しばらくすると彼が大きないびきをかくのが聞こえました。

翌朝、朝食を食べ終えた後、洗面器にお湯を用意し、彼に湯気を吸わせました。数分後には汗びっしょりになって座っていました。私は水にしょうがとカラマンシー(柑橘類)の果汁を入れて沸かし、これを彼に飲ませました。

「気分はどう?」私は心配でたずねました。

「大丈夫だよ。単なるインフルエンザだよ。看病してくれてありがとう」とオマールが答えました。

「私の方こそ、留守をするときに子供たちの面倒を見てくれているあなたに感謝しているわ」と言い、彼を抱きしめました。

3か月余りにわたって、夫と私はインターネットを設定してくれる店を探しましたが、以前のように、うまくいくようにと期待するしかありませんでした。

「私の姿が見えますか?私の言うことが聞こえますか?はっきり映っていますか?」授業中、私は学生たちに次から次へとたずねました。片頭痛が始まりました。学期末試験のために、学生たちに指示を与えていると、片頭痛の発作がさらにひどくなりました。最後の授業を終えると、私はアシにさよならを言いました。

家に戻る途中は、道路を修理しているため交通渋滞がひどく、数時間、前に進むことができませんでした。お腹がすいてきているのを感じましたが、家族のことがもっと心配でした。子供たちが泣いているかもしれない、お腹をすかしているかもしれない、私のことを探しているかもしれない、夫が私のことを心配しているかもしれない、家族に何かが起きているかもしれないからです。

電話に出ているオマールに「もしもし、子供たちはどう?」とたずねました。

「ザイナルが泣いていて、お乳を欲しがっている。哺乳瓶をあげたけど怒ってしまった」
と彼が言う間、私には、大雨に負けまいと大声で叫ぶ子供の声が聞こえました。「お乳が欲しいのだろう」とオマールが言いました。

「アジーブはどう?どこにいるの?」

「君を探していたけど、泣きながら寝入ってしまったよ」

「道路の補修工事のため、ここマランタオで足止めされているの」

携帯が切れました。バッテリーが弱くなったためですが、充電器を持参していませんでしたし、携帯充電器はポーチに入れてありました。さっきは急いでいたので、ポーチを持ってくるのを忘れました。
頭痛がさらにひどくなりました。頭の左側がずきずきしました。吐き気がしましたが、それより家族への心配が上回っていました。3時間後に車はやっと動き出しました。私はアクセルを踏み込みました。とにかく家にたどり着きたかったのです。

運転している間、視界がはっきりしませんでしたが、大雨が原因ではありませんでした。

「ラーイラーハ・イッラッラー(アラーの他に神なし)」とのことばが出ました。

忙しく動くワイパーの音、大雨の音、私を追い越して行こうとする車のクラクションの音、加えてさまざま小さな音が外から聞こえました。片頭痛に見舞われるときは、いつもこのような状態になりました。たとえどんなに小さくても耳にしたくない音が聞こえてしまうのでした。車の速度を落としました。頭がくらくらし、吐き気がしました。疲れでまるで目が飛び出るかのようでした。昨夜はひと晩中コンピューターに向かっていて寝ていなかったためかもしれません。

目を閉じたところ、気づかないうちにうとうととしてしまいました。近づいてくる車からは怒っているような大きなクラクションの音が聞こえました。この車のライトで目がくらみました。驚いたためクラクションを鳴らしてしまったところ、車が左右に揺れました。左折することができてほっとしました。心臓がどきどきし、息をするのが苦しく、頭痛がさらにひどくなりました。私を助けてくれる人は自分自身の他にはいませんでした。大きく息を吸い、自分を落ちつかせました。「無理して運転はできない」と自分に言いきかせました。「ここにしばらく停まっている必要があるわ」

あたりを見回しました。雨はさらに強くなっていました。水の流れと共に車が流されるのではないかと恐れました。周辺には家はなく、あるのは並んで立っている木々で、これらの木々が私についておしゃべりをしているように感じました。暗闇が支配し、私は目隠しをされたようでした。その後、私は自分が寝入ってしまったのか、気を失ってしまったのかわかりませんでした。

窓を強く叩いている音に驚きました。2人の男性が中をのぞき込んでいました。2人ともパーカーを着ていて、パーカーのフードをかぶっていました。誰なのか見極めようとしましたが、よく見えませんでした。片頭痛のため頭がずきずきしました。後ろの席に行きたかったのですが、座席の背もたれが邪魔でした。胸のどきどきが天にも届くほどでした。より窓に近いところにいた男性を見ました。

「おい、僕だよ。そっちに移って、僕が運転するよ」とオマールが言いました。オマールの後ろにいたのは兄弟のサアッドでした。

私は車の窓を開けて、運転席の横のシートに急いで移りました。彼が中に入ってきたとき、彼に抱きつき、泣いてしまいました。オマールはしゃべりませんでした。私が話しだすのを待ったのです。車が動き出しました。

この1年余りをどのように乗り越えたのかわかりません。多くのことが起こりました。パンデミックは消え失せました。アジーブは学校に行き始め、ザイナルはほんとにいたずらっ子になりました。

土曜日です。私とオマールは市場に買い物に出かけました。私だけが車を降り、オマールと子供たちは車に残りました。

「新鮮な魚だよ。買っておくれ」と女性の売り子が言いました。

私は「おいくら?」とたずねました。

「ガルンゴン(ムロアジ)は1キロ280ペソ、ティラピア(イズミダイ)も同じ値段、エビは1キロ550ペソだよ」

私はその値段にびっくりしました。車に戻りましたが、3000ペソで買えたものはさほど多くはありませんでした。

「どうして浮かない顔をしているのかい?何か問題でもあったのかい?」とオマールがたずねました。

「すべてが高いわ」と財布におつりの小銭を入れながら、私は答えました。

「フィリピンではみんなお金に窮しているから」と彼は説明しました。「パンデミックの時は、大勢の人が損失を被ったのだ。今、国が抱える負債は膨大だし、税金が高くなったため物価が上がったのだ。このことはこれからみんなが直面する新たな問題なんだ」とも言いました。

市場を離れたとき、胸が痛みました。片頭痛の発作に再び見舞われることになるでしょう。


日本語翻訳にあたり、フィリピノ語の部分はフィリピノ語から翻訳、マラナオ語の一部は英語翻訳を参照